昭和・私の記憶

途切れることのない吾想い 吾昭和の記憶を物語る
 

三島由紀夫

2022年07月04日 05時28分49秒 | 10 三島由紀夫 『 男一匹 命をかけて 』


昭和45年11月25日 (水)  
「三島由紀夫、市ヶ谷台上にて、クーデッタを促し、壮絶なる割腹自殺!!」

三島由紀夫
目次

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一の1
男一匹 命をかけて

私は、自衛隊に、このような状況で話すのは空しい。
しかしながら私は、自衛隊というものを、この自衛隊を頼もしく思ったからだ。
こういうことを考えたんだ。
しかし日本は、経済的繁栄にうつつを抜かして、ついには精神的にカラッポに陥って、政治はただ謀略・欺傲心だけ………。
これは日本でだ。
ただ一つ、日本の魂を持っているのは、自衛隊であるべきだ。
われわれは、自衛隊に対して、日本人の………。
しかるにだ、我々は自衛隊というものに心から………。
静聴せよ、静聴。静聴せい。
自衛隊が日本の………の裏に、日本の大本を正していいことはないぞ。
以上をわれわれが感じたからだ。
それは日本の根本が歪んでいるんだ。
それを誰も気がつかないんだ。
日本の根源の歪みを気がつかない、それでだ、その日本の歪みを正すのが自衞隊、それが………。
静聴せい。静聴せい。
それだけに、我々は自衛隊を支援したんだ。
静聴せいと言ったら分からんのか。静聴せい。
unknown comment・・・リンク→燃えよ剣
一の2
三島由紀夫の死 雷の衝撃
「ある人は、”事件の影響を受けるな” とペンで言う
でも僕はもう受けてしまった
それらの人の言葉は雷どころか乾電池ほどの衝撃も僕には与えてくれない


憂 国

三島由紀夫がなぁ、自衛隊で、クーデターを起こそうとして
失敗して、切腹して死んだそうだ
2.26事件を、想い起こしたよ
昭和45年(1970年)11月25日水曜日
高校1年、一日の授業を終えた後の、ホームルームの時間
担任より、知らされたのである
三の1
二・二六事件と私
  
三島由紀夫 英霊の聲 から
二・二六事件と私
・・・・たしかに ・二六事件の挫折によって、何か偉大な神が死んだのだった。
当時十一歳の少年であった私には、それはおぼろげに感じられただけだったが、
二十歳の多感な年齢に敗戦を際会したとき、私はその折の神の死の恐ろしい残酷な実感が、
十一歳の少年時代に直感したものと、どこかで密接につながっているらしいのを感じた。
それがどうつながっているのか、私には久しくわからなかったが、 
「十日の菊」 や 「憂国」 を私に書かせた衝動のうちに、 その黒い影はちらりと姿を現わし、
又、定からぬ形のまま消えて行った。
それを二・二六事件の陰画とすれば、
少年時代から私のうちに育まれた陽画は、蹶起将校たちの英雄的形姿であった。
その純一無垢、その果敢、その若さ、その死、すべてが神話的英雄の原型に叶っており、
かれらの挫折と死とが、かれらを言葉の真の意味におけるヒーローにしていた
三の2
三島由紀夫と二・二六事件
 ←山王ホテルで尊皇討奸旗を掲げる蹶起部隊
昭和十一年二月二十六日、
前夜来の大雪を蹶って暴発した二・二六事件は,
僅か四日間で敗退したが、
その四日間の経過は紆余曲折、三転四転、複雑怪奇の跡を辿って幕を閉じた
事件発生以来の、行動面の現象をいくら追及しても、その収拾措置の過程には、
どうしても納得できない疑問が解けない
その疑問の帰結する所は、天皇の意志、存在に突き当たるのであって、
これを裏付け究明することが、事件収拾の謎を解く鍵であると見られていた
しかし、天皇の問題は、踏み込み難い壁があることで、決めてを欠くものがあった
これを取上げて、大胆に触れたのが三島氏であり、その著 『英霊の聲』 である
その中で、天皇はこれまでの治世の中で、二つの失政を犯したとして、その一つは、
二・二六事件の処理であり、もう一つは、終戦時の処置であるとする
そして、そのいずれも失政の原因は、天皇が人間ひとになったためであり、
日本の天皇は人間になってはいけない、神でなくてはいけないと説くのである
二・二六の場合、陛下は 「天皇」 の座を降りて 「人間」 になったために、

その人間感情の激怒の奔流が、二・二六の青年将校たちの憂国の至情、純真精神を押流してしまった
そして、三島氏は磯部浅一が獄中で絶叫する 「陛下、何たる御失政でありますか」
「このままでは日本は滅亡致しますぞ」 と、陛下を御諫めするその烈々の心情を支持するのである
三島氏が言うように、二・二六事件の収拾が、あのような形で幕を閉じたことが、
不当であったか、あるいは妥当であったか、
さらにはそれが天皇の失政であったかどうかの問題は別として、
尠くとも、四日間の経過の不可解な展開の裏には天皇の意志が大きく左右したことが
幾多の事実によって推理されていたことは疑いがない
三の3
などてすめろぎはひととなりたまいし
こは神としてのみ心ならず、
人として暴を憎みたまいしなり。
鳳輦に侍するはことごとく賢者にして
道のべにひれ伏す愚かしき者の
血の叫びにこもる神への呼びかけは
ついに天聴に達することなく、
陛下は人として見捨ててたまえり、
かの暗澹たる広大なる貧困と 
青年士官らの愚かなる赤心を。
わが古き神話のむかしより
大地の精の血の叫び声を凝り成したる
素戔鳴尊は容れられず、
聖域に馬の生皮を投げ込みしとき
神のみ怒りに触れて国を逐われき。
このいと醇乎たる荒魂より

人として陛下は面をそむけ玉いぬ。
などてすめろぎは人間となりたまいし 

三島由紀夫の葉隠入門
・・・『葉隠入門』は、昭和42年(1967年)に書かれたもの
現代文化の特徴は、
従来まで人々を人生に向かって鼓舞していた様々な理想、規範、思想・・が悉く潰え去ったことであろう
嘗てモラルの基礎をなしていた絶対の観念が失われ、
人間は全ての意匠を剥ぎとられた等身大の、赤裸かの、即物的自然的な生命に直面することを強いられている
これが、現代社会を侵している救いがたいニヒリズムの原因であろう
人生いかに生くべきか
と謂う 曾ての求道的倫理的な問題は、
今では 日進月歩する科学的な生活改良や健康法や姑息な処世の技術や、
要するに瑣末(さまつ)な日常生活への関心にとって代わられた
現代は博学多識と、細分化された「ハウツウもの」の全盛時代である
「吾々は西洋から、あらゆる生の哲学を学んだ」
然し 生活自体への関心は、つまるところ 利殖と保身と享楽の追究におわる
与えられた「生の哲学」によって十全に人間性の自然を開放し、
富益を求め、奢侈(しゃし)と飽食と放埓(ほうらつ)に身をゆだねたのちに、
やがては等しく老衰と死にきわまる運命にさだめられている
生とはついに死に到る不治の病だとすれば、病んでいるのは「生の哲学」そのものだ、
と いえないことはない
民族、国家、社会など、ある共同体が他文化の侵蝕を受けると、
人々の生活の支柱をなしていた掟(おきて)や慣習がすたれ、道徳的精神的に荒廃して、
その共同体は徐々に崩壊、解体してゆくことが知られている
生の充実にどれほど力を注ごうと、生それ自身の自壊作用をくいとめる手立てはありえない
・・田中美代子 同書解説、から


勇者とは
泰平が続くと、われわれはすぐ戦乱の思い出を忘れてしまい、
非常の事態のときに男がどうあるべきかということを忘れてしまう
金嬉老事件は小さな地方的な事件であるが、
日本もいつかあのような事件の非常に拡大された形で、
われわれ全部が金嬉老の人質と同じ身の上になるかもしれないのである
しかし、それはあくまで観念と空想の上のできごとで、
現実の日本には、なかなかそのような兆候も見られない
そしていまは女の勢力が、すべてを危機感から遠ざけている
危機を考えたくないということは、非常に女性的な思考である
なぜならば、女は愛し、結婚し、子供を生み、子供を育てるために平和な巣が必要だからである
平和でありたいという願いは、女の中では生活の必要なのであって、
その生活の必要のためには、何ものも犠牲にされてよいのだ
しかし、それは男の思考ではない
危機に備えるのが男であって、女の平和を脅かす危機が来るときに必要なのは男の力であるが、
いまの女性は自分の力で自分の平和を守れるという自信を持ってしまった
それは一つには、男が頼りないということを、彼女たちがよく見きわめたためでもあり、
彼女たちが勇者というものに一人も会わなくなったためでもあろう


羞恥心について
私は、日本では戦後女性の羞恥心が失われた以上に、男性の羞恥心が失われたことを痛感する
ただ世間の風潮を慨嘆するだけではない
私自身が知らず知らずの間に時代の影響をこうむって、男の羞恥心を失いつつあるのである

それに気がついたのは妻のお産のときで、

私はいつ生まれるかとヒヤヒヤしながら病院につめ、いよいよ子供が生まれたときは、
初孫の誕生を父に知らせるため、何度も赤電話をかけながら、十円玉を入れるのを忘れて、
電話が通じなかった
そして、やっと十円玉を入れて電話が通じたとき、父の思いがけない不機嫌な声に驚かされた
父は少しも初孫の誕生を喜んでいないように思えたのである
あとでわかったことだが、父は明治生まれの男らしい、実に古風な羞恥心を持っていた
自分の嫁の出産に息子が病院へ行くのさえ、恥ずかしいことであった
病院からあたふたした声で電話をかけてくるのは、もっと恥ずかしいことであった
妻のお産のときには、日本の男はおなかの中で心配しながら、友だちと外で飲んで歩くか、
あるいはそしらぬ顔をしているべきであった
それは女にたいする軽蔑とは違って、むしろ純女性的領域に対するおそれと、
おののきと、遠慮と、反抗から生まれた男のテレかくしの態度であったと思われる
明治の男は、女と肩を並べて歩くのをいさぎよしとしなかった
世間からでれでれしていると思われないために、女と必ず離れて歩き、結婚しても、
妻と並んで歩くのを恥ずかしがる男性はいくらでもいた

礼法について
女性の力ではなく、アメリカという男性の、占領軍の力によって女性の自由と開放が成就されたとき、
女性は何によって自分の力を証明しようとしたであろうか
それがいわゆる女性の平和運動である
その平和運動はすべて感情を基盤にして、
「二度と戦争はごめんだ」 「愛するわが子を戦場へ送るな」
という一連のヒステリックな叫びによって貫かれ、それゆえにどんな論理も寄せつけない力を持った
しかし、女性が論理を寄せつけないことによって力を持つのは、実はパッシブ領域においてだけなのである
日本の平和運動の欠点は、感情によって人に訴えることがはなはだ強いと同時に、
論理によって前へ進むことがはなはだ弱いという、女性的欠点を露呈した

忠義とは何ぞや

ぼくは、それが忠義だと思っている
決して忠義というのはオールド・リベラリストがやっているような、
「陛下はいい方です  ニコニコお話をなさって、よく人口問題などまでいろいろ研究なさっていらっしゃる」
というようなものじゃないんだ
ヒューマニズムの忠義じゃないんだ
彼らは、大正文化主義から学んだものを忠義だと思ってゐるんだよ
ぼくが一番に 「二・二六事件」 に共鳴するものはそこですよ
忠義を一番苛酷なものだということを証明しただけで、あの事件はいいです
あとのオールド・リベラリストが何をしようが、有馬頼義が出てきてどんなことを書こうが、
そんなことは構わない
忠義は苛酷なものですよ
それはテロリズムだけじゃないだろうけど、精神の問題ですよ
しかし、天皇も皇太子も、結局 「二・二六」 の本質は理解できないんじゃないか
そういう忠義の本質は理解おできになれないという・・・・・・


最後に守るべきもの

石原
何をがんばるんですか
三種の神器ですか
三島
ええ、三種の神器です
ぼくは天皇というものをパーソナルにつくっちゃたことが一番いけないと思うんです
戦後の人間天皇制が一番いかんと思うのは、
みんなが天皇をパーソナルな存在にしちゃったからです

石原
そうです
昔みたいにちっとも神秘的じないもの
三島
天皇というのはパーソナルじゃないんですよ
それを何か間違えて、いまの天皇はりっぱな方だから、おかげでもって終戦ができたんだ、
と、そういうふうにして人間天皇を形成してきた
そしてヴァイニングなんてあやしげなアメリカの欲求不満女を連れてきて、
あとやったことは毎週の週刊誌を見ては、宮内庁あたりが、まあ、今週も美智子様出ておられる、
と喜んでいるような天皇制にしちったでしょう
これは天皇をパーソナルにするということの、天皇制に対する反逆ですよ
逆臣だと思う
石原
ぼくもまったくそう思う
三島
それで天皇制の本質というものが誤られてしまった
だから石原さんみたいな、つまり非常に無垢ではあるけれども、天皇制反対論者をつくっちゃった
石原
ぼくは反対じゃない、幻滅したの
三島
幻滅論者というのは、つまりパーソナルにしちゃったから幻滅したんですよ
石原
でもぼくは天皇を最後に守るべきものと思ってないんでね
三島
思ってなきゃしようがない
いまに目がさめるだろう(笑い)


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