昭和・私の記憶

途切れることのない吾想い 吾昭和の記憶を物語る
 

相撲をとって 遊んだころ

2016年05月11日 05時27分40秒 | 1 想い出る故郷 ~1962年


昭和34、5年頃
当時は、幼い男の子も、相撲をとって遊んだ。
チャンバラと相撲は子供の遊びの定番だったのだ。
「 ハッケヨイ、ノコッタ!」
・・・と、行司役の年長が存て、遊びを取仕切った。
塩を撒き、四股も踏んだ。
立合いまでの一連の動作をして
そして、必ず 「 マッタ!」 を、して 笑わせた。

「 栃・若時代 」 の頃のこと
親父と一緒にテレビのある家に行き、そこで相撲を観せて貰った。
親父は、横綱・栃錦のファンだった。
取り組みの記憶は無い
覚えているのは
絆創膏をいっぱい貼った小柄の力士
横綱・栃錦の
汚い尻・・・
いつの頃からか、如何してか、その理由は判らないけれど
私は、大鵬の出現まで若乃花のファンであった。
朝潮、若秩父、出羽錦、安念山・・・記憶の力士である。
 

19601001

 

 

 

 

美男子大鵬 
「 あめん坊 」
・・・という、
四股名が主人公の相撲漫画があった。
月刊誌、「 ぼくら 」 「 少年 」 「 冒険王 」 「 少年画報 」 
の、
何れで見たかの記憶は無い。

新横綱・大鵬が誕生した。
祝いに 「 まわし 」 を 鋏で千切り あめん坊の兄でし達にお裾分けする。
あめん坊 も、お裾分けの光栄に与った。
ところ
が、お裾分けが過ぎて、
まわし が締められなくなるほど、短くなってしまった。
・・・恥ずかし顔の新横綱大鵬。

新横綱大鵬が雲竜型の土俵入りの稽古をしている。
その傍で
、あめん坊 が見ていた。
そこへ、ハエが飛んでくる。
あめん坊 目の前のハエを捕まえようとした。
その仕種が、土俵入りの型の様に成っている ・・・と、親方
「 あめん坊、大鵬に教えてやってくれ 」

 

テレビ時代の到来に併せたかのように
昭和36年 ( 1961年 )、色白で綺麗な、大鵬が出現する。
少年漫画の表紙を飾る大鵬
テレビで観る大鵬
どれも、美男子だった。
役者の様な顔をして、しかも強いのであるからたまらない
すっかり
大鵬のファンになったのである。


強い・負けない・好きなもの
の、代名詞
巨人・大鵬・卵焼き

・・・とは、
よくぞいったものである


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2 コメント

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Unknown (籠田知憲)
2022-02-08 14:26:55
「あめんぼう」は私が毎月とっていた少年画報に連載されていました。そのマワシを切り取る場面も覚えていますが、それは朝潮のマワシだと記憶していました。ゲンをかついで勝ったときに通った道をまた歩くようにしたり、カラスのくちばしに米粒が着いていたからどうのとか、或いはその当時流行っていた強壮剤を飲んで勝ったからといってまた勝負の前に飲むのですが実はそれは親方が普通のジュースと置き換えておいたもので、要するに勝負は気の持ちようだという話とかー。懐かしく思い出します。兄弟子が勝負のとき相手と噛みつきあって、これが本当のがつぷり四つだとか。
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あめんぼう (花田幸徳)
2022-02-08 18:59:18
籠田知憲様
誰もが懐く それぞれの想い出
宝物です

懐かしい思い出、尽きないようですね
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