今日の『中日新聞』一面トップは、「安保法施行」である。「安全保障関連法」の略だが、実質は他国、とりわけアメリカが行う戦争に参戦していくことを可能にするものだ。だから、「戦争法」、ボクは「参戦法」とよんでいる。
『中日新聞』は、大きな紙面をつかって、この法についての解説をしている。『中日新聞』は、これに関して明確に反対する論陣を張り、詳しい報道を展開してきた。
もういちど、この法律を確認するために、このような大きなスペースをつかっているのだろう。そして、「「無言館」からの警鐘」と題する社説も掲げる。無言館館主の窪島さんの「日本は1センチでも戦争に近寄ってはいけない国だ。角を曲がって戦争の臭いがしたら、戻ってこなければならない。このままほっておけば『無言館』がもう一つ増える時代がやってくる」で最後を固めた文だ。
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2016032902000111.html
「無言館」の絵の前に佇むとき、ボクらは声を失う。生と死がその絵画に漂っているからだ。ボクらは、そのとき、生者の声と死者の声を同時に聞く。その声の狭間には、戦争という悪魔が存在している。その悪魔の存在を凝視する。悪魔を払いのける力を持たなければならないと思う。
『中日新聞』は、大きな紙面をつかって、この法についての解説をしている。『中日新聞』は、これに関して明確に反対する論陣を張り、詳しい報道を展開してきた。
もういちど、この法律を確認するために、このような大きなスペースをつかっているのだろう。そして、「「無言館」からの警鐘」と題する社説も掲げる。無言館館主の窪島さんの「日本は1センチでも戦争に近寄ってはいけない国だ。角を曲がって戦争の臭いがしたら、戻ってこなければならない。このままほっておけば『無言館』がもう一つ増える時代がやってくる」で最後を固めた文だ。
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2016032902000111.html
「無言館」の絵の前に佇むとき、ボクらは声を失う。生と死がその絵画に漂っているからだ。ボクらは、そのとき、生者の声と死者の声を同時に聞く。その声の狭間には、戦争という悪魔が存在している。その悪魔の存在を凝視する。悪魔を払いのける力を持たなければならないと思う。