研究会があった。その研究会(以後、会とする)は、研究という文字を入れるだけあって、確かに研究する人たちが集まって出来た。
しかし、集まった人たちは、皆が皆専門の研究者ではなかった。いろいろな仕事に就いている人びとが集まった。もちろん専門の研究者もいた。
毎月研究する人びとが集まり、会員の発表を聴き、終了後は懇親会を行った。会員は、自分自身が調べたこと、研究したことを皆の前で発表した。専門の研究者も、そうでない人びとも、発表された報告にたいして、和やかな質問をした。あるいは専門の研究者からは有益な情報が提供された。
懇親会では、いろいろなことが語られた。専門の研究者も、そうでないものも、自由に発言した。懇親会の場は、学びの場でもあった。
学問研究の方法や問題意識をもつことの重要性などが、何となく参加者の胸の中に入り込んでいった。そこで学んだことを土台にして、人びとはそれぞれが自分自身の関心に基づきながら研究していった。そしてその成果を皆の前で発表するようになった。
そこに参加していた人びとは、研究会を「市民の学会」と呼んでいた。
パブリック・ヒストリーということばがある。アカデミックな歴史学の外で行われる歴史実践、という意味合いである。
その研究会は、アカデミックな歴史学とパブリック・ヒストリーのちょうど境界線上にあったように思う。
それはそうだ。研究とは、一定の方法や訓練が求められるから、専門の研究者の研究を学ぶ、つまりアカデミックな世界から学びとることも必要なのだ。だから、アカデミックな歴史学との境界線上に研究会はあった。
だがそうした初心がいつのまにか消えていく。研究会が、「市民の学会」ではなく、アカデミックの世界に入っていく?