『世界』8月号が届いた。ひとつだけ読んだ。内田雅敏弁護士の『陸軍将校たちの戦後史 「陸軍の反省」から「歴史修正主義への変容」』(角田燎、新曜社)の書評である。
旧海軍将校の親睦会に「水交会」があり、陸軍将校のそれには「偕行社」がある。戦前からある団体である。私は、いづれ、それらの団体は消えゆくものと思っていた。旧軍の将校はほとんど亡くなられていると思っていたからだ。
しかし、それらは自衛隊のOBを参加させて、これからも存続し続けるという。
それとともに、旧軍を全面的に肯定するような動きが強くなっているようだ。書評のはじめに、「靖国神社」の宮司に、もと海上自衛隊海将大塚海夫が就任し、小林弘樹陸上幕僚副長らが公用車を使用して「靖国神社」に参拝するなど、自衛隊と旧軍が直線的につながる事例を、内田は掲げているが、もちろんそのような事例はこれだけではない。
1945年に敗戦として終わった戦争を、批判的にみない風潮、すなわち旧軍を肯定する風潮が、自衛隊に強まっているようだ。憲法の「改正」、自衛隊の「国軍化」を目ざすことも主張するようになっている。
「水交会」も「偕行社」も、「鬼畜米英」と国民を戦争に動員して多くの若者を殺したのだから、当然厳しく反省し、その気持ちを持ち続けなければならないはずだ。
しかし、戦争直後、とりわけ旧海軍はみずからの戦争責任を免れるためにアメリカにすりより、その結果戦争責任を陸軍におしつけ、自衛隊が出来るやいなや米軍と蜜月関係を築くなど、旧海軍の幹部連中は恥知らずな行動をとっていた。
「偕行社」は、当初は反省的な動きもあったが、「戦争を体験しない」陸軍士官学校のメンバーが運営するようになってから、「歴史修正主義」へと傾いていったそうだ。
戦争体験世代は、次々とこの世を去り、未体験世代がほとんどをしめるようになった。戦争体験を直接聞くことはできなくなり、戦争体験は「記録」として残されている。わたしは、直接戦争体験を聞いた世代である。戦争を知らない人びとがほとんどであるという現在、戦争とはいかなるものであったのかを伝えることの重要性を、この書評を読んで痛感した。
昨今の社会状況をみると、もう手遅れかもしれないとも思う。
今も現実に、ウクライナやガザで戦争は行われている。そこには悲惨な、凄惨な事態が無数に起きている。そこからも戦争とはどんなことかを知ることはできるはずだ。事実を知ること、そして事実を元に想像力を発揮すること、そして考えること、それが求められている。
変わりゆく日本、変わりゆく先には、悲惨が待っているように思える。歴史は繰り返すというが、繰り返してはならないこともある。