以前、「近代日本の国学」という歴史講座で、平田篤胤をとりあげたことがあった。賀茂真淵や本居宣長はもちろん、近世国学の流れのなかにある民俗学もとりあげ、国学が現代社会においても様々なかたちで息づいていることを話した。
ただ、平田の著作を読んでも、私の能力不足で理解ができないものがたくさんあった。
そのなかで、幕末の維新動乱の中で、平田の国学が多くの人びとに支持されたことは確かで、島崎藤村の『夜明け前』に見られるように、平田神道のネットワークが全国にあった。宮地正人さんは、それを「知のネットワーク」と呼んでいた。
なぜ平田神道が、各地の庄屋階層らの支持を得られたのかをかんがえたとき、もちろん幕藩体制の崩壊へと向かう混乱、その中で現れた尊王攘夷運動などもあるが、庶民にとって重要な死者の「魂の行方」について平田が一定の「理論化」を行ったことが大きいと思った。この頃の庶民は、死者たちの魂が、今生きている庶民の周辺に「存在」していると考えていた。それは今でも同じである。
私は唯物論者であり、私が亡くなったあとには、私の存在は消えてなくなると思っている。私は、しばらくの間、私を知る家族やその他の人々の記憶のなかにのみ「存在」するが、彼らがまた死者となっていくとき、私という「存在」は完全に消えていく、と認識している。
そのように考えている私であるが、しかし私は、早くに亡くなった父(といっても二歳の時に他界したから、記憶はない)に話しかけることがある。最近亡くなった方の遺族の話を聞いても、やはり死者に語りかけることをしている。現在の日本の人びとも、死者はみずからの近くに「存在」しているかのようにしている。
それはもちろん、死者を記憶しているからで、代を重ねていけばその死者は消えていく。したがって、記憶のなかにあるから、あたかも「存在」しているかのように死者と対するのだ。
キリスト者が亡くなるとき、「昇天」ということばをつかう。キリスト者は、亡くなると神の存在する天に昇っていく。天国という異世界にいく。
また仏教徒は、亡くなると浄土に向かう。浄土という異世界である。「西方浄土」ということばがあるように、仏教全盛期の中世においては、生者が浄土に行くつもりで西に向かい、海に身を投げてもいたという。仏教が盛んな時代において、日本の人びとは「極楽浄土」という異世界をめざした。
最近出版された『現代思想』の増刊号、「平田篤胤」のなかに、大出敦の「魂の行方」があった。日本に外交官として滞在したポール・クローデルの「魂」に関する言説を書いている。そのなかでラフカディオ・ハーンの「日本人の発想では、死者は生者と同じように此の世にいるのである。死者は、国民の日常生活に関わっていて、ーごくごく日常的な不幸や喜びを共有しているのである。死者は、家族と食事をともにし、家族の幸福を見守り、彼らの子孫の繁栄を手助けしたり、喜んだりする」を紹介し、クローデルが滞日していたときの日本人の「魂の行方」はどういったものかを記し、そこに平田篤胤のコスモロジーが入り込んでいることを指摘する。
つまり死者は私たちには見えない世界(幽冥界)にあり、その幽冥界は異世界ではなく、私たちが生きる世界と隔たることのないところに存在しているのだ、という平田の言説。
私は平田の言説が先にあってそれを庶民が信じたのではなく、そのような庶民のある種の信仰心を、平田が「理論化」し、正当化したこと、そこに平田神道が支持される理由があったと考えているのだが、いずれにしても近世末期以降、そうした原初的な信仰が庶民の心の中に育っていた、ということである。
なぜそのようなある種の信仰心ができあがったのか、またそれが現在に生きる人々にも残されていることなど知らなければならないこともあるが、今回はこれで終わる。
最近、ふたつの葬儀に参列し、死というものについて考えるところ多かった。
「平田篤胤」については、もっと勉強しなければならないと思い、少しずつ『現代思想』臨時増刊号を読み進めている。