今まで多くの人と接してきたが、その経験を通して、一流の人物は、決して驕らない、ということである。驕る輩は、実力がないくせになぜか自分はすごい人であるという錯覚をもつ人である。
愛知県の東郷町長について明らかになった問題は、まさに町長が決して一流の人物ではなく、まさしくトップに立つような人物ではないことを明らかにした。愛知大学出身の彼は、町職員を「三流大学以下・・・」とか、学歴をつかって揶揄していたようだが、では愛知大学は何流の大学なのか、聞きたいものだ。学歴で人間を判断する輩には、ロクなやつはいない。
地域の人から嫌われているある人物、私が汗を流す畑の近くで、農業をしている輩がいるが、彼は、自分自身が磐田南高校をでて、法政大学を卒業したのだと何度も自慢していた。自慢できる学歴かどうか、私には疑問であるが、農業にはそうした学歴はまったく無関係である。
一流の学歴をもたない輩が、学歴を問題にするのではないかと思う。
つまり、一流の人間は、学歴などその人の属性をまったく問題にせずに、その分野でのほんとうの力量をひそかに評価し、学ぶべきものがあれば学ぶという、きわめて謙虚な生き方をしている。他人をさげすむようなことはしないのだ。