浜名史学

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芥川龍之介の戦争観

2020-08-14 11:57:53 | 芥川
 芥川龍之介(1892~1927)は、1916 年東京帝国大学英文科を卒業後、同年12 月、横須賀にあった海軍機関学校の嘱託の教官(英語)となった。芥川は1919 年3月まで同校に在任した。海軍機関学校は、「海軍機関官ト為スヘキ生徒ヲ教育シ海軍機関官ニ必要ノ学術ヲ教授シ及海軍特習兵タルヘキ海軍下士卒ニ機関術其ノ他ノ技術工芸ヲ教授シ且其ノ改良ヲ図ル所トス」(1914 年海軍機関学校令)とあるように、軍艦の機関の運転、ボイラーおよび電気機械の取扱いなどに当たる将校などを養成するところであった。海軍機関学校は、1881 年海軍兵学校機関科が分離独立して横須賀に設立されたが1887 年海軍兵学校へ合併、1893 年再び独立し、1925 年に舞鶴に移転し、1944 年海軍兵学校舞鶴分校となった(『日本陸海軍総合事典』)。

 芥川の英語を受講した第28 期の篠崎礒次がその思い出を語っている。その一つは機関学校『五十六期々会々報』第26 号(1927 年2月)、もう一つは諏訪三郎に語ったもの(「敗戦教官芥川龍之介」、初出は『中央公論』1952 年3月、『芥川追想』岩波文庫、2017 年に所収)である。後者について紹介したい。

 「敗戦教官芥川龍之介」は、諏訪三郎が篠崎から聞いたことをまとめたものである。芥川は教材として生徒の士気を鼓舞するものではなく、敗戦の物語や衰亡の歴史を使っていた。そのため「敗戦教官」といわれていたそうだ。芥川は、「君達は、勝つことばかり教わって、敗けることを少しも教わらない。ここに日本軍の在り方の大きな欠陥がある。むろん、敗けてはならない。しかし勝つためには、敗けることも考えるべきだ。さらにいうが、戦争というものは、勝った国も敗けた国も、末路においては同じ結果である。多くの国民が悲惨な苦悩をなめさせられる。」と語った。また第一次世界大戦中だったことから「いまごろ、ヨーロッパでは、ばかなことをしているだろうな」と語ったとき、生徒から「どうしてばかなことですか?」と問われた芥川は、「君には、それがわからんのか?人殺しをやってることがばからしいことなのだよ」と答えた。
 教官は芥川を除き短髪にしていたが、芥川は長髪で通したそうだ。

 あるとき生徒が「小説は人生にとって必要ですか?」と問うた。それに対し芥川は、「それなら君にきくが、小説と戦争とどっちが人生にとって必要です?」と問い、こう答えたそうだ。「戦争が人生にとって必要だと思うなら、これほど愚劣な人生観はない」。

 21 世紀に入って20 年、芥川の戦争観はいまだコモンセンスとなっていない。それどころか、昨今の情況を見ると、「愚劣な人生観」を持つ者が増えているような気がする。篠崎は、こうした芥川のことばを心に深く刻んで海軍軍人として生き、そして芥川の姿を伝えてきたのである。
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