浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

【本】吉田麻子『平田篤胤』(平凡社新書)

2017-09-13 07:46:18 | その他
 近世後期の国学者・平田篤胤、ウルトラナショナリストとして知られる。

 しかし幕末期、島崎藤村『夜明け前』にあるように、幕藩体制に矛盾を感じていた各地の名望家層などが平田の学問に傾倒していた。中津川市の資料館に足を運んだとき、そこに平田派の学問に影響を受けた人々の足跡を記した膨大な文書群を見、そしてその調査研究を行った宮地正人氏(東大名誉教授)の講演録が収載された冊子を手に入れた。

 今までの平田篤胤についての認識を深めなければならないと、その時に思った。2004年に刊行された平凡社の『別冊太陽』も入手した。特集は「知のネットワークの先覚者 平田篤胤」である。

 しかしなかなかそれは進まなかった。

 先日宮地氏に直接この件について話を伺った。やはり取り組まなければならないと決意して、この本を購入した。

 著者は、宮地氏らと平田家に伝わる膨大な篤胤の資料整理を行っている。それをもとにしてこの本を書いた。別に宮地氏は『歴史のなかの『夜明け前』』(吉川弘文館)を出版されている。こちらはなかなか高額な本である。これも読むつもりである。

 以前、賀茂真淵記念館で「近代日本の国学」という5回にわたる講座で、国学について近世から近代までの足跡を話したことがある。そのときに平田だけが私の手に負えない人であった。要するに、その段階で入手した何冊かの文献や日本思想体系『平田篤胤』(岩波書店)を読んでも、平田の思想の核心を理解することができなかった。能力不足を大いに感じたものである。

 なぜ平田派の学問は、全国4千人にもわたる門人を擁するようになったのか。吉田氏の本を読んで、それが何とか理解できたようだ。

 近世後期は、日本の周辺に欧米勢力が接近し、幕藩体制の危機を生み出すと同時に、一定の人々に「日本」というものを意識させるようになった。平田もそのような情勢のなかで学問を磨いていった。

 平田の学問の特徴は、当時の庶民の宗教的な意識を前提に論を積みあげている。

 今でも盆になると迎え火をたき、死者を迎え、そして一定の時期に死者を送るということをしている。また墓参に行くと、死者に対して私たちは祈り、またお願いをする。日本人の歴史的な観念の中では、死者は、生者の近くにいるのだ。

 篤胤は、「死後の魂の行方」、「この世ならぬものの存在の有無」を、篤胤が観念する日本の神話構造のなかに組み入れ、同時に生を肯定する思想を生み出したのだ。詳しくは本書を読んでいただくとして、日常生活、宗教意識、人生論など、日本に生きる人が考えることを前提にしているから、おそらく「入門」しやすかったのだろう。

 平田国学の場合、人間の生や魂は、宇宙を創造した神、万物に宿る神に与えられ、肯定されるべきものである。目の前で展開する現実を大きく飛び越えたところで、普遍的な存在が自分を絶え間なく見つめている。このような意識は、ともすれば、社会秩序を支える身分制度や権力構造を無効にし、彼らに対する批判的な目をもつことを可能にするのではないだろうか。(213)

 私は読みながら、キリスト教的な精神との共通性、もちろん神は異なるが、を感じてしまった。キリスト教の場合は、生きているあいだは神と対面(対話)しているが、死ぬと昇天する。平田の場合では、日本的な宗教的な感情、死者の魂は生者の近くにいて、見えないけれども生者を見つめている。

 死後の魂の行方が安定すると、生者も安心して生きていけるという死生観は、考える価値があるように思う。

 平田国学の勉強は始まったばかりである。宮地氏は、佐藤信淵を評価されていた。それはなぜかも考えていきたい。



 
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