みずからの豊かな生活と仲間たちへの国家財政の山分けにしか興味関心を持たない、自民党・公明党政権。経済的に追い込まれている国民を顧慮することもなく、外国に多額のカネをプレゼントしている。よくもまあ、平然としていられるものだ。
それは、国民が政治への関心を失っているからであり、国民の責任も大きい。もちろん、メディアは奉ずべきことを報じないでいることにも責任がある。
昨日届いた『週刊金曜日』に、「暮らせない年金 老後貧困の連鎖 人生「100年時代」は幸福なのか」という記事があった。あまりにも少ない年金で、「ふつうの」生活ができない様子が記されていた。
そうした現実に、人々は怒りを持っているのか、と私は思う。
「自己責任」という魔法の言葉が、人々のこころに差し込まれ、あまりにひどい現実に見舞われても、「自己責任」だとして耐えているのではないか。怒りの表出は、必要なのだ。
貧困は、あなたの責任ではない!いや多少の責任があっても、憲法25条がある。25条は、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」とあり、国民に権利があるということは、同時に国家に義務があるということだ。国家は、「健康で文化的な生活」を保障しなければならない。
にもかかわらず、国家=政府は無為無策である。
しかしなぜか、コロナワクチンだけは無料で提供し続ける、私はこのワクチン接種も利権か、あるいはアメリカにカネを献上する施策なのかと疑っている。国民生活を顧慮しない日本政府、コロナ感染者が増加していても、もう「五類」にしたからということか、政府からの情報はほとんど流れてこない。感染したら「自己責任」ね、ということなのだろう。ワクチンを打っている人も、同じように感染している。ワクチンによって免疫力を失った人びとが、帯状疱疹などで苦しんでいる。
今、日経新聞の速報が入ってきた。「消費者物価、8月3.1%上昇 伸び横ばいで高止まり」というものだ。
我が家は私が買い物に出ているが、物価の上昇は驚くべき状態である。一回の買い物に行くと、物価上昇がなかった時と比べると、千円札を一枚多く支払うような状態になっている。
窮乏する国民、いったいいつ怒りを表出するのだろうか。