在日コリアン史をかじったことのある私にとって、この演劇は身につまされる内容であった。コリアンに対するヘイトが行われているこの時代に、こうしたテーマを文学座がとりあげたことに敬意を表したい。
さて、この劇で描かれた世界の歴史的背景を知る人はあまり多くはないだろう。しかし演劇は、描かれた時代背景を知らなくても楽しめるものでなければならない。この演劇は、劇として十分に楽しめ、考えさせる内容をもっていた。笑ったり、強く心を動かされたり・・・して。
姫路市に近い瀬戸内海の島の話だ。西島、家島諸島でもっとも大きな島、そこには家島朝鮮人学校があった。西島の採石業では朝鮮人が多く働いていた。朝鮮人の子どももたくさんいて、その子どものために学校がつくられたのだ。西島には日本人も、もちろん住んでいたが、島には小学校がなく、日本人の子どもも、朝鮮人学校に通っていた。
教室で机を並べていた三人の男子と一人の女子。そして教員二人、子どもたちの父と母。全部で8人だけ、舞台上でダイナミックに動き回るので、なぜかもっと多いように見えてしまう。
こんな離島でも、政治や社会が押し寄せてくる。GHQの支配下にある日本政府の朝鮮人学校の閉鎖通達、1948年の大阪や兵庫で闘われた阪神教育闘争、朝鮮戦争、日本共産党が行っていた武装闘争(1950年代初期)、北朝鮮への帰国運動・・・そうしたものに関わりながら、話は展開する。
男子3人は、二人が朝鮮人、一人が日本人で、三人はチング(友だち)である。3人は阪神教育闘争に参加、その後一人は朝鮮戦争に志願し帰ることなく、日本人のひとりは採石中に亡くなる。
この劇について考えるなら、離島での日々が、外部から入り込んでくる政治などに、若者は掻き回され、しかし親世代はこれまで続いてきた生活を淡々と続ける。世代間の葛藤、そして日本人青年と女性教員との結婚問題に母親が反対する構図には、民族差別があったのか。その母親も、最後には朝鮮人と結婚するのだが。
それとも、在日朝鮮人の置かれた苦難を、西島という離島を舞台にして描くという意図のもとに制作されたのだろうか。私は、なまじ在日コリアンの歴史を知っているが故に、そういうことに関心が向いてしまった。
いやいや、そんなことを考えずに、舞台を見ていて、笑ったり、ちょっと感動したり、それだけでいいじゃないか、という気もしてくる。
鑑賞会のパンフレットには、日朝(韓)関係の年表が簡単に掲載されていたが、それについて、少し詳しく記しておきたい。