浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

一枚の写真

2024-07-13 19:03:16 | 社会

 今日の『東京新聞』、末尾のページに一枚の写真が載せられていた。一目見て、素晴らしいと思った。

 まったく知らなかった写真家・小島一郎の「つがる市稲垣付近」という作品である。モノクロの画面、雪道を四人の女性が歩いている。前方には黒い雲が立ちこめ、雪道沿いに樹木が立ち並んでいる。厳冬のつがるの状況が象徴的にうつされている。

 明るい雰囲気は皆無である。寒さの中で生きる人びとに神々しさをも感じる。

 青森県立美術館で、この小島一郎の展覧会がひらかれている。展示を企画した高橋しげみさんは、「都市と地方の格差が広がる時代の憂鬱が写っている」と語ったという。

 北国で生きる人びとは、「憂鬱」であろうとなかろうとそこに生きていかなければならない。貧しくても、命が終わるまでは、とにかく生きていかなければならない。「憂鬱」だけではなく、「諦念」もあるのかもしれない。そういう負の感情を持ちながらも、雪に閉ざされながらも生きていく。

 わたしは、そうした地方に生きる人びとに敬意を表する。わたしも地方に生きる者であるが、地方があってこその社会なのである。

 東京など首都圏に住む者たちは、報道によると、豊かな経済生活を送っている者も多いようだが、しかし大都市に住むという利便性の中にいる。同時に、東京都の過剰に豊かな財政のもと、すこしの「おこぼれ」が選挙があるころに撒かれる。東京都は、それができるのだ。しかし地方はできない。

 ときどき、東海道を走る高速道路を利用するが、東京に向けて、はるか九州や山陰地方などから、野菜や生魚などを積んだトラックが走っている。もっともおいしいものは東京に運ばれるという。

 東京に、カネが集まっている。最低賃金も東京は高い。富裕者がたくさんいる。そういう人たちのために、全国から新鮮なものが運ばれていく。それが時を経るごとに、強化されていく。

 わたしは東京などの都会には住みたくはない。大地、豊かな緑、そして広い空がないと生きていけない。

 それでも、なぜ東京だけに豊かさが集中するのか、あるいは集中させるのか。

 遠州地方の中山間地の茶畑が荒れている。今まで人が住んでいたところに、猪や鹿、さらに熊がでるようになった。地方の国土が荒れている。

 そうした荒廃を、大都市の住民は知らないだろう。いずれ、彼らにも影響が及んでいくことだろう。

 地方に、「憂鬱」や「諦念」がある、と書いた。それはいずれ大都会にも波及していくはずだ。

 

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