鶴見俊輔が亡くなったのは、2015年。『現代思想』は、その年に「鶴見俊輔」という臨時増刊号を編んで発刊した。私もそれを購入してあった。今それを読んでいる。
伊藤野枝の講演が終わったので、それを読みはじめている。例によって赤線を引きながら、付箋をつけていく方法である。読みはじめて付箋の数が増えるばかりである。
鶴見の本はあんがい読んできている。書棚をみれば鶴見の本や鶴見が編集した本はどっさりある。読んだものもあるし、読んでないものもある。
『現代思想』の臨時増刊号を読んでいると、鶴見の思想はきちんと読んでおいたほうがよいという気持ちになる。
私は高校時代にベ平連の活動をしていた関係で、その頃から小田実ともに鶴見の書いたものを読んできた。きっと私の思想には、小田や鶴見の思想が織り込まれているはずだ。
高橋武智の文に、ベ平連とは何だったのかについて、こう記されていた。
「国家に呑み込まれない人」、「国家のいう通りにならない人」、「国家から自立しようとする人」とあった。
そうだな、そういう志向をもっていたし、今も同じだ。
海老坂武の文には、鶴見のこのことばが記されていた。
私たちは国家指導者ほどの悪をなしえないことの故に、私たちのほうが倫理的に優位に立っている。
政治家に対して、私は間違いなく倫理的優越性を保っている。確かに、私は彼らほど悪事を働いていない。悪事をまったく働いてこなかったといえる自信は私にはないが、しかし政治権力に少しも関与していない私には、大きな悪はなし得ない。
海老坂は、このことばを「抵抗のバリケードの礎」だと書いている。
国家権力に異議を立てる政治家に、いろいろな「悪事」があばかれたりした。しかしその「悪事」は、「国家指導者ほどの悪」ではない。
「悪」には、プライベートな悪とパブリックな悪とがある。後者の方の悪が勝ると私は思っている。
伊藤野枝の講演が終わったので、それを読みはじめている。例によって赤線を引きながら、付箋をつけていく方法である。読みはじめて付箋の数が増えるばかりである。
鶴見の本はあんがい読んできている。書棚をみれば鶴見の本や鶴見が編集した本はどっさりある。読んだものもあるし、読んでないものもある。
『現代思想』の臨時増刊号を読んでいると、鶴見の思想はきちんと読んでおいたほうがよいという気持ちになる。
私は高校時代にベ平連の活動をしていた関係で、その頃から小田実ともに鶴見の書いたものを読んできた。きっと私の思想には、小田や鶴見の思想が織り込まれているはずだ。
高橋武智の文に、ベ平連とは何だったのかについて、こう記されていた。
「国家に呑み込まれない人」、「国家のいう通りにならない人」、「国家から自立しようとする人」とあった。
そうだな、そういう志向をもっていたし、今も同じだ。
海老坂武の文には、鶴見のこのことばが記されていた。
私たちは国家指導者ほどの悪をなしえないことの故に、私たちのほうが倫理的に優位に立っている。
政治家に対して、私は間違いなく倫理的優越性を保っている。確かに、私は彼らほど悪事を働いていない。悪事をまったく働いてこなかったといえる自信は私にはないが、しかし政治権力に少しも関与していない私には、大きな悪はなし得ない。
海老坂は、このことばを「抵抗のバリケードの礎」だと書いている。
国家権力に異議を立てる政治家に、いろいろな「悪事」があばかれたりした。しかしその「悪事」は、「国家指導者ほどの悪」ではない。
「悪」には、プライベートな悪とパブリックな悪とがある。後者の方の悪が勝ると私は思っている。