浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

無念

2017-11-14 19:35:00 | その他
 今日図書館に行ったら、予約していた本が届いていた。そのなかに、堀川惠子『戦禍に生きた演劇人たち 演出家・八田元夫と「桜隊」の悲劇』(講談社)があった。

 堀川の本は、永山則夫に関する本を今までも読んでいて、その内容にはいつも心の底から揺り動かされる。

 今日は雨。畑にも行けないため読み始めたら、次々と浮かび上がる活字の束が、私に襲いかかる。読まずにはいられない。本の方が、私を離そうとしないのだ。それで一気に読んでしまった。

 この本には、八田をはじめとして、たくさんの人のことが記されている。その人々が生きた治安維持法体制下の時代、そこには無数の生きにくさが壁のように立ちふさがった。人々はその時代であったからこそ、きわめて限られた選択肢しかなかった。その時代に生きた人々の苦しさを、読みながら、私は彼らの生を「体験」していった。

 私は八田元夫となり、俳優の丸山定夫になり、そして三好十郎になり・・・・・・・そして著者の思いに深く共感した。
 

 桜隊は、演劇集団である。演劇界は、軍国主義体制下、厳しい弾圧に遭った。演劇人の多くは、治安維持法により監獄へと送られた。また上演する劇の内容にも厳しい制限が加えられた。

 アメリカのノーベル文学賞受賞者のユージン・オニールの『初恋』。当局は、「日本で親子の情というものは天皇と臣民の関係である、それなのに舞台では親子がまるで親友の如く会話をし、恋愛問題についてまで話し合っている、これは日本の家族制度さらには国体を破壊するものだ。

 長田秀雄の『大仏開眼』は、奴隷的な存在が大仏を建造するために使役されている、日本では天皇の御稜威によって奴隷というものは存在しない。

 村山知義はこの2作を演出したが、それにより監獄へ。

 アジア太平洋戦争が劇化するなか、劇場での上演はできなくなり、国策に則り、帝国臣民の戦意を高揚させるために戦意高揚の劇を、全国各地を歩いて上演せざるを得なくなった。

 桜隊は、広島にいた、そして、8月6日を迎え、原爆に遭遇した。八田は、俳優の丸山が病気になったので、その代役をもとめて東京にいて被爆しなかった。演出家であった八田は、すぐに広島へ行き、桜隊のメンバーをさがしてあるきまわった。運良く即死することなく逃げることができた隊員もいたが、結局放射能により全員が亡くなった。

 八田は、桜隊全員死亡という事態を正面から見つめ、戦争責任について考える。

 木下順二は、戦争責任を考える人間の有り様は、三つあるという(340ページ)。「自分の罪を積極的に忘れるもの、自分の罪を忘れようとするもの、痛みを忘れずに常に反芻して生きるもの」。八田は最後の「もの」である。

 だがしかし、本当に戦争責任がある者たちは、「戦争責任って何?」という態度である。戦争責任ということばすら、彼らの脳裏には浮かばない。彼らは、ただ戦争責任を追及されたくないから、それを証明する文書を、ひたすら、ただひたすら、燃やし続けたのである。

 かくて、戦争責任は雲散霧消し、それが前例となり、いかなる事態が起きても、支配層は責任をとらない。福島原発事故を見ればよい。

 著者の、この本を著す意味が痛いほどわかる。

 演劇人が、不当に弾圧され、戦時体制下に苦しめられたような時代が、そこに来ているから。

 この本は、絶対に(私はこのことばをほとんどつかわないのだが)、読むべきものである。

 この本には、桜隊の人々の「無念」が描かれているからだ。その「無念」を知らなければならぬ。


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夫婦同姓に法のすき間があった!

2017-11-14 11:02:41 | その他
 私は、夫婦別姓に賛成である。夫婦同姓は、近代日本がつくりあげたものであり、日本の長い歴史上の慣習ではない。

 また夫婦別姓に挑む人が出た。頑張って欲しい。

 サイボウズ社長が提訴へ「夫婦別姓」は今度こそ実現する? 弁護士に聞いてみた 2015年末に最高裁判決が出たばかりですが…
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