今日は東京へお見舞いに行った。面会時間が15時からということなので、その前に上野へ。
国立博物館の「運慶展」、東京都立美術館の「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」の二つをはしごして見てきた。
運慶の作品は、今までも各地の寺院で見てはいるが(静岡・願成就院、奈良・興福寺、奈良・円成寺、奈良・東大寺など)、見たことがないものをあったので、とにかく見てみようと思ったのだ。多くの人が押し寄せ入館する前にかなりの時間を要するということであった。その通り、私は1時間行列に並んで入館した。こんなにも運慶が好きな人が多いのかと思ったが、ある人から真如苑という宗教団体が所有している仏像が展示されているので、その信者が来ているのだ、ということを聞いた。
いずれにしても、すごい人であった。混雑しているなかをかきわけて見て回ったが、全体として思ったことは、静と動の統一ということであった。動と静は対立する概念ではあるが、運慶は、動をそのまま静として作品とした、作品そのものは静ではあるが、作品は動を表現している。言い換えれば、動のエネルギーが作品そのものに凝縮されている、そういう感想をもった。
次に「ゴッホ展」。ゴッホは、日本の浮世絵に大きな衝撃を受けたこと、したがって彼の絵には浮世絵をはじめとした日本絵画の影響があることはすでに指摘されていることだが、この展覧会は、日本の浮世絵とゴッホの絵を並べるという展示方法をとっていた。なるほど、ゴッホはみずからの絵に浮世絵を描いたり、あるいは造形方法に浮世絵から学んだものを取り入れたりしていた。それがよくわかる展示となっていた。
上野の国立西洋美術館では、「北斎とジャポニスム」という展覧会も同時的に行われている。こちらのほうは見なかったが、ふと思ったことがある。最近テレビや出版された本の中に、「日本ってすごい!」ということを強調するものが増えているという。
このゴッホ展や北斎の展覧会は、ある意味での「日本ってすごい」の一環ではないかと。ゴッホは日本の浮世絵に影響を受け、北斎はヨーロッパ絵画(セザンヌ、ドガ、ゴーガン、モネ、ゴッホなど)に「衝撃」を与えた、その「衝撃」が彼らの絵の中に描かれている、というのだ。これって、「日本ってすごい」の絵画バージョンではないか・・・・?
私は、今日、一冊の本を持っていった。新幹線のなか、運慶展の入場を待つ列に並んでいるとき、『ねじ釘の如く 画家・柳瀬正夢の軌跡』(井出孫六、岩波書店、1996年)を読み続けた。柳瀬は、戦前のプロレタリア画家(風刺画が多い)であるが、彼はヨーロッパの多くの画家の影響を受けている。まだ読み終えていないので後で紹介するが、要するに日本の近代以降の画家で、西洋絵画の影響を受けない画家はいない。いや、そもそも絵画というものはコスモポリタンであって、本来国境をもたないものではないかと思う。
国境を持たないが故に、絵画は国境を超越し、絵画が相互に影響を及ぼし合う、そういうものではないだろうか。もちろん、世界中の絵画を知ることはできないから、あるときは日本の絵画が、あるときは新大陸の先住民の絵画、あるときは中国の絵画が、というように、絵画はそのときのある種の「流行」を取り入れるのだが、そういう絵画が今、国境をこえて世界各地で、こうして展覧会が開催されている。
今日もらってきたチラシの中に、ムンク大回顧展のものがあった。まさに絵画はコスモポリタンなのだ。
国立博物館の「運慶展」、東京都立美術館の「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」の二つをはしごして見てきた。
運慶の作品は、今までも各地の寺院で見てはいるが(静岡・願成就院、奈良・興福寺、奈良・円成寺、奈良・東大寺など)、見たことがないものをあったので、とにかく見てみようと思ったのだ。多くの人が押し寄せ入館する前にかなりの時間を要するということであった。その通り、私は1時間行列に並んで入館した。こんなにも運慶が好きな人が多いのかと思ったが、ある人から真如苑という宗教団体が所有している仏像が展示されているので、その信者が来ているのだ、ということを聞いた。
いずれにしても、すごい人であった。混雑しているなかをかきわけて見て回ったが、全体として思ったことは、静と動の統一ということであった。動と静は対立する概念ではあるが、運慶は、動をそのまま静として作品とした、作品そのものは静ではあるが、作品は動を表現している。言い換えれば、動のエネルギーが作品そのものに凝縮されている、そういう感想をもった。
次に「ゴッホ展」。ゴッホは、日本の浮世絵に大きな衝撃を受けたこと、したがって彼の絵には浮世絵をはじめとした日本絵画の影響があることはすでに指摘されていることだが、この展覧会は、日本の浮世絵とゴッホの絵を並べるという展示方法をとっていた。なるほど、ゴッホはみずからの絵に浮世絵を描いたり、あるいは造形方法に浮世絵から学んだものを取り入れたりしていた。それがよくわかる展示となっていた。
上野の国立西洋美術館では、「北斎とジャポニスム」という展覧会も同時的に行われている。こちらのほうは見なかったが、ふと思ったことがある。最近テレビや出版された本の中に、「日本ってすごい!」ということを強調するものが増えているという。
このゴッホ展や北斎の展覧会は、ある意味での「日本ってすごい」の一環ではないかと。ゴッホは日本の浮世絵に影響を受け、北斎はヨーロッパ絵画(セザンヌ、ドガ、ゴーガン、モネ、ゴッホなど)に「衝撃」を与えた、その「衝撃」が彼らの絵の中に描かれている、というのだ。これって、「日本ってすごい」の絵画バージョンではないか・・・・?
私は、今日、一冊の本を持っていった。新幹線のなか、運慶展の入場を待つ列に並んでいるとき、『ねじ釘の如く 画家・柳瀬正夢の軌跡』(井出孫六、岩波書店、1996年)を読み続けた。柳瀬は、戦前のプロレタリア画家(風刺画が多い)であるが、彼はヨーロッパの多くの画家の影響を受けている。まだ読み終えていないので後で紹介するが、要するに日本の近代以降の画家で、西洋絵画の影響を受けない画家はいない。いや、そもそも絵画というものはコスモポリタンであって、本来国境をもたないものではないかと思う。
国境を持たないが故に、絵画は国境を超越し、絵画が相互に影響を及ぼし合う、そういうものではないだろうか。もちろん、世界中の絵画を知ることはできないから、あるときは日本の絵画が、あるときは新大陸の先住民の絵画、あるときは中国の絵画が、というように、絵画はそのときのある種の「流行」を取り入れるのだが、そういう絵画が今、国境をこえて世界各地で、こうして展覧会が開催されている。
今日もらってきたチラシの中に、ムンク大回顧展のものがあった。まさに絵画はコスモポリタンなのだ。