1967(昭和42)年にアルミホイールの生産に進出したエンケイは、1991(平成3)年にMAP[素材溶解、鋳造、焼入、加工、検査を1本のラインで完結させる完全かつ画期的な1個流し生産方式」]を完成させました。現在のアルミホイールの生産は、世界市場の占有率が10パーセントにも及びます。
公益財団法人「浜松国際交流協会」によると、浜松市のブラジル人登録者数は、平成の初め頃から急激に増え続けました。1997(平成9)年度末に初めて1万人を超え、2007(平成19)年度末には最多の1万9461人に達しました。しかし、リーマン・ショックによる世界的な不況の影響から2008(平成20)年度以降減少を続け、2012(平成24)年度末には1万人を割り、今年初めの時点で9149人と9千人割れ目前となりました。
産経新聞 2014年2月8日付け
産経新聞 2014年2月8日付け
天浜線の登録有形文化財
原野谷川橋梁は、太田川橋梁の南東3kmに位置する原野谷川に架かり、1935(昭和10)年に建設されました。橋長は105m、単線仕様の鋼製6連桁橋で、鉄筋コンクリート造の橋脚5基で支えています。
原野谷川橋梁は、太田川橋梁の南東3kmに位置する原野谷川に架かり、1935(昭和10)年に建設されました。橋長は105m、単線仕様の鋼製6連桁橋で、鉄筋コンクリート造の橋脚5基で支えています。
浜名湖は川?海?
浜名湖は、河川法上は「都田川水系都田川(猪鼻湖は釣橋川)」とされています。また、漁業法上では浜名湖の漁業の実態から「海」として扱われていますが、一般的にはなんと言っても浜名「湖」ですね。
浜名湖は、河川法上は「都田川水系都田川(猪鼻湖は釣橋川)」とされています。また、漁業法上では浜名湖の漁業の実態から「海」として扱われていますが、一般的にはなんと言っても浜名「湖」ですね。
海水と淡水が混じり合う汽水湖
浜名湖は、約500年前の大地震で、太平洋とつながり、海水と淡水が混じり合う汽水湖になりました。汽水湖は、稚魚の成育に有利な安全な自然環境で、数多くの魚介類が住む理由にもなっています。浜名湖では、汽水湖の特長を活かし、全国的にも有名なウナギやアサリエビ、蠣、海苔などの養殖が古くから行われています。
浜名湖は、約500年前の大地震で、太平洋とつながり、海水と淡水が混じり合う汽水湖になりました。汽水湖は、稚魚の成育に有利な安全な自然環境で、数多くの魚介類が住む理由にもなっています。浜名湖では、汽水湖の特長を活かし、全国的にも有名なウナギやアサリエビ、蠣、海苔などの養殖が古くから行われています。
周囲の長さ 汽水湖では全国第1位!
浜名湖の地形は、複雑に入り組んでいて、周囲の長さは約128kmにも及びます。これは、汽水湖では全国第1位の長さで、湖全体でも琵琶湖に次いで全国第2位の長さを誇ります。面積は、約70平方キロメートルで、全国第10位になります。
浜名湖の地形は、複雑に入り組んでいて、周囲の長さは約128kmにも及びます。これは、汽水湖では全国第1位の長さで、湖全体でも琵琶湖に次いで全国第2位の長さを誇ります。面積は、約70平方キロメートルで、全国第10位になります。
毎日4000万トン以上の海水が出入り!
浜名湖は、南端の今切口で太平洋とつながっています。今切口は200mほどの幅の水路ですが、浜名湖内の潮の満ち引きを複雑にして、一日2回の水位の変化をもたらしています。今切口からは、一日辺り40000万トン以上の水が出入りすると考えられています。この水の量は、およそ8日間で浜名湖の全ての水を入れ替えることができるほどの量です。
浜名湖は、南端の今切口で太平洋とつながっています。今切口は200mほどの幅の水路ですが、浜名湖内の潮の満ち引きを複雑にして、一日2回の水位の変化をもたらしています。今切口からは、一日辺り40000万トン以上の水が出入りすると考えられています。この水の量は、およそ8日間で浜名湖の全ての水を入れ替えることができるほどの量です。
住んでいる魚介類の種類が約800種類も!
浜名湖で確認できた魚介類は、魚類が468種、エビ類が97種、カニ類53種、その他の甲殻類(ヤドカリ、シャコ類など)24種、貝類135種、イカ・タコ類14種、合計791種類にも及びます。
浜名湖で、こんなに多くの種類の魚介類住んでいるのは、南端の今切口を通して外海とつながっているため、外海から稚魚や卵が流入しやすいこと、湖内の栄養が豊富なことなどが考えられます。
浜名湖で確認できた魚介類は、魚類が468種、エビ類が97種、カニ類53種、その他の甲殻類(ヤドカリ、シャコ類など)24種、貝類135種、イカ・タコ類14種、合計791種類にも及びます。
浜名湖で、こんなに多くの種類の魚介類住んでいるのは、南端の今切口を通して外海とつながっているため、外海から稚魚や卵が流入しやすいこと、湖内の栄養が豊富なことなどが考えられます。
2005(平成17)年7月の合併以降、市内の博物館・資料館が再編され、以下の7つが残りました。長野県境から太平洋の河口部までを有する広域の都市浜松ならではの魅力を学ぶことができます。ぜひご覧下さい。
・浜松市博物館(中区蜆塚四丁目)
・浜松市蜆塚公園(中区蜆塚四丁目)
・浜松市姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館(北区細江町)
・浜松市水窪民俗資料館(天竜区水窪町)
・浜松市舞阪郷土資料館(西区舞阪町)
・浜松市春野歴史民俗資料館(天竜区春野町)
・市民ミュージアム浜北(浜北区貴布祢)
・浜松市博物館(中区蜆塚四丁目)
・浜松市蜆塚公園(中区蜆塚四丁目)
・浜松市姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館(北区細江町)
・浜松市水窪民俗資料館(天竜区水窪町)
・浜松市舞阪郷土資料館(西区舞阪町)
・浜松市春野歴史民俗資料館(天竜区春野町)
・市民ミュージアム浜北(浜北区貴布祢)
天浜線の登録有形文化財
原谷駅本屋は、桁行13m、梁間4.5m、木造平屋建て、建築面積65平方メートルで、1935(昭和10)年に建設されました。南北等の切妻造スレート葺きで、ホーム側にひさしが張り出しています。北側に待合室、西側に事務室を配し、待合室には駅務用窓口や木製改札口等が残っています。
原谷駅本屋は、桁行13m、梁間4.5m、木造平屋建て、建築面積65平方メートルで、1935(昭和10)年に建設されました。南北等の切妻造スレート葺きで、ホーム側にひさしが張り出しています。北側に待合室、西側に事務室を配し、待合室には駅務用窓口や木製改札口等が残っています。