hakuunの未来ノート

将来のため、人生やビジネスに関して、考えたこと、感じたことを綴ります。

ドラッカー氏がいう「外部の視点」とは

2012-04-30 | 企業経営
今日も、小宮一慶著:「ドラッカーが『マネジメント』でいちばん伝えたかったこと」を利用して、ドラッカー氏の『マネジメント』を読み解きたい。

ドラッカー氏の『マネジメント:エッセンシャル版』は9章に分かれている。
第1章 企業の成果
第2章 公的機関の成果
第3章 仕事と人間
第4章 社会的責任
第5章 マネジャー
第6章 マネジメントの技能
第7章 マネジメントの組織
第8章 トップマネジメント
第9章 マネジメントの戦略

一方、小宮氏の著は、大きく分けて4つの章になっている。
第1章 外部からの視点を徹底する(p17~p58)
第2章 自らの事業を定義する(p59~130)
第3章 目標を設定する(p131 ~p192)
第4章 人を生かす(p193~p239)

うまい章の作り方だと思う。
「ドラッカーが『マネジメント』でいちばん伝えたかったこと」と、本のタイトルにある。
このように、つまりドラッカー氏は、
・外部からの視点を徹底する
・自らの事業を定義する
・目標を設定する
・人を生かす
この4つについて一番言いたいのだと思う。

この4つの視点が原理原則である。
この4つの視点でマネジメントできる会社は、成長する。
一方でこの原理原則を無視するような会社は衰退する。

特に最初に、「外部からの視点を徹底する」を持ってきていることは、すごい。
今の時代、どのような会社でも必死である。
経営者の方々は夜も眠れずに頑張っているに違いない。金融機関に頭を下げ、顧客へ日参し、さらに目標を設定して、従業員を叱咤激励している。
ブログでこのようなコメントをすることは、失礼かもしれない。
「お前のは机上の理論だ」と言われるかもしれない。
それは立場上、お許し願いたい。

私がとくにここで言いたいのは、「外部からの視点」である。
多くの会社で努力しているにも関わらず、成果がでない。
そこには、必ず原因がある。正しい方向性に向かっているかどうかである。
多くの会社は、結果である収益が上がらなければ、反省会などして、原因を追いかけている。その原因の追及は、目先の原因ではないだろうか。
目先の原因を改善することも重要であるが、目先の原因をいくら除去しても、その方向性が悪ければ、また同じ間違いを繰り返す。
つまり、戦術面を改善しても、戦略が間違っていれば、正しい答えをえることができない。
努力しているにもかかわらず、成果がでない企業は、この点を再検討する必要がある。

チェックポイントとして、「外部からの視点」を徹底的に検証する必要がある。
「外部からの視点」と「内部からの視点」
相反する言葉であるが、だれでも読めばわかるやさしい言葉である。
しかし、思考プロセスは全く異なる。
「内向きの視点」でものごとを考えていた人は、簡単に「外部からの視点」で考えることはそんなに、やさしくはない。

ゴルフでたとえれば、スコア100の人がいたとしよう。
この人のドライバーショットはスライス系である。
「コースが左ドックであるから、ドローボールを打ってください。」と言われたらどうすろだろうか?
簡単に、ドローボールを打てるのであれば、スコアは80台である。
80前後のスコアで回ることができる人は、フェードとドローを打ち分けることができる。
しかし、スコア100の人には、ドローボールを打てない。無理にやろうとすれば、フックになりOBとなる。

このように「内部からの視点」で考えいた場合、簡単には「外部からの視点」で戦略を練るのは容易ではない。
だからこそ、世の中には経営コンサルタントや中小企業診断士が、コーチ役となり、『考え方』の指導・支援をしている。


「外部からの視点」別な角度から検討する。

今、某局では「平清盛」をやっている。が、視聴率は史上最低らしい。
どうしてだろうか?
歴史的には非常に興味のあるテーマである。
今回、視聴率が低い理由の一つとして、「色彩」の問題があるらしい。
確かに「くすんだ色」が多く使われ、宮廷の華やかさはない。
スタート直後に、どこかの県知事もクレームをつけたことを覚えている。
当時の時代検証をすれば、今回の放映が史実かも知れない。

顧客が求めているものは何であろうか?
TVドラマの制作者は、その道のプロであり、優秀な技術者の集まりである。
私も技術者の一人であるからわかるが、技術者というものは、探究心が強く、徹底的に追及する習性がある。
そこに価値観を見出している。
特に専門性が高ければ高いほど、優れた研究ができる半面、視界が狭まくなる傾向がある。

今回の視聴率の低い理由は、「技術の追求」のマイナス面が表れていると推察する。

日本のモノ作りは、品質⇒1.2倍、コスト⇒2倍と言われており、自己満足の世界に通じている。
一方、韓国のモノ作りは、品質⇒80%、コスト⇒50%と言われ、世界の顧客のニーズを捉えて、日本をしり目に、売上を伸ばしている。

技術者の価値観を変えるのは難しい。
これはTVドラマだけの話ではない。
携帯電話をはじめとする日本の家電製品は、「ガラパゴス化」して、「世界の外部の顧客」に対しては通用しない。「日本という内部の顧客」しか対象にしていない。

もしかすると、単一民族である国民性なのかもしれない。

価値観を変えるのは難しい。

価値観を変えることは、過去の自分を否定することになりかねない。
仮に、否定はできても、そこから新たなものを生み出していくには、未知の世界に航海することとなり、大変な努力と勇気がいる。
多くの技術者や経営者が価値観を変えることができないのは、既得権益を手放し自己否定ができず、さらにそのパワーもないのが現実と思う。

だから、ドラッカー氏は「外部の視点」の重要さを説いている。
さらに、小宮氏も第1章として「外部からの視点を徹底する」をあげている。

もう一度、TVドラマに戻り、その目的を考えてみる。

顧客は誰なのか?
日曜日の夜8時は、一番のゴールデンタイムである。
核家族化しているとはいえ、家族団欒の時間である。
その時間帯に、家族が求めているものは何か?
家族が求めているものは、ドラマを通じて、一家で一緒に楽しめる喜びである、と思う。

その手段として、大河ドラマを見るのである。
ドラマは、あくまでも手段であり、目的は、ドラマから得られる満足感という効用である。
このことを忘れると、間違った方向性に行く可能性が高い。

お客様の目的を叶えるためには、史実とは異なっても、華やかな舞台にする必要があることに気付くべきである。

ドラッカー氏のマネジメントを通じて解釈すれば、こうなるはずである。


話を戻そう。

最初に、「外部からの視点」を考えることが戦略をたてる大前提である。
このことを、ドラッカー氏も小宮氏も言いたいに違いない。

重要なことであるから繰り返す。
『企業は、「社会が関心をもっていること」とは対極にある、「自分たちが関心をもっていること」---いくら儲かっただとか、儲けたいだとか、どういう戦略をとればもうかるのだとか---ばかりを追い求める傾向がある。』

しかし、ドラッカー氏は『内部ではなく、何をさておいても、まずは社会やお客様をはじめとする外部に目を向けろ』と言っている。

『もちろん、自社のヒト、モノ、カネをいかに活用していくか考えていくことは、経営の重要な仕事の一つで、その効率性などについて目標を設定する必要がある。それでも、「外部の視点」という大前提なしには、いくら考えたところでも、うまくいかなるなるということである。』

『またエッセンシャル版のまえがきには、「経営書のほとんどが、もっぱらマネジメントの仕事を扱っている。それらはマネジメントを内部から見ている」と表現している。』

『外部に目を向け、社会が関心を持っている三つの役割を全うすることが大切である』と解釈する、と小宮氏は控えめに言っている。

マネジメントの三つの役割とは、何か。
小宮氏の解説を引用する。

1.自らの組織に特有な使命を課す。

  マネジメントは、組織に特有な使命、すなわちそれぞれの目的を果たすために存在する。
「目的」とは「存在意義」を指している。
つまり、マネジメントは、組織が「特有な使命」、すなわち「それぞれの目的=存在意義」を果たすために存在するということである。

「特有の使命」とは、「その企業しかできない商品やサービスを提供すること」であり、「その企業しかできない」ということがポイントである。
他の企業でもできることをしたのでは、「特有な使命を果たす」「目的を果たす」ことにはならない。その企業しかできない、いわば、独自の商品やサービスを提供することが重要である、と小宮氏は解説している。

さらに、私の解釈では、「独自の商品やサービスを提供し、そこから生み出される満足感や充実感を顧客は、求めている」ことを付け加えたい。

社会から、お客様からみて、「あの会社にしかできない商品やサービスだ」と思ってもらって初めて、「特有の使命を果たす」ことになる。
つまり、「指名買い」である。

「あのお店のあの商品、私には最高!!」と思ってもらうことである。


2.仕事を通じて人を生かす

『現代社会においては、組織こそ、一人ひとりの人間にとって、生計の資、社会的な地位、コミュニケーションとの絆を手にし、自己実現を図る手段である。当然、働く人を生かすことが重要である。』
小宮氏の解説で非常にわかりやすい言葉があるので紹介する。

『毎日、ルンルン気分で出社していますか』

この一言で、すべてを表わしている。

『ルンルン気分で出社している人は、仕事が楽しいと思っている人である。
仕事が楽しいと感じるということは、お客様のため、社会のために、良い仕事をしようと使命感を持って働いているにほかならない。
良い仕事をするという使命感は、働きがいにつながっていきますから、そういう人がたくさんいる会社は、間違いなく社員は、楽しそうにいきいきと働いている。』

小宮氏の解説は続く。

『このことは、「人の幸せ」に直結する』
『「人」とは、自社の商品やサービスを購入する「お客様」、会社を支持してくれる「株主」、会社で働いている「従業員さん」、さらには「仕入れ業者さん」「宅配業者さん」など仕事にかかわるすべての人を指す』
『企業は、こうした関わるすべての人を幸せにするのが「使命」であるべきである。

さらに続く。
『人の幸せ』とは
・働く幸せ
・経済的な幸せ
の二つがある。
「働く幸せ」とは、働くことによって、「自己実現」することである。
「自己実現」とは、なれる最高の自分になるというもの。
仕事を通じて、自己実現できるなんて、素晴らしいことである。

『お金のために仕事をすることを第一義にすると、次第に働きがいをなくすことになりかねない。
あくまでも、「働く幸せ」を感じ、良い仕事をした結果が、「経済的な幸せ」につながると考えるべきである。』

経営者が、このような「経営哲学」を持っている組織は、すばらしい。

そこで働いている従業員は、毎日「ルンルン気分」で出社しているだろう。

さて、私の場合はどうかというと・・・・・・。


「マネジメント」と「企業理念」

2012-04-29 | 企業経営
小宮一慶著:「ドラッカーが『マネジメント』でいちばん伝えたかったこと」からの引用

今ドラッカー氏の「マネジメント」を勉強している。エッセンシャル版を解読しているが、わかったようでわからない。
そこで経営コンサルタントとして名高い小宮氏の著書「ドラッカーが『マネジメント』でいちばん伝えたかったこと」から、「引用」を行い、私なりに解釈をしたいと考えている。

「はじめに」から引用するが、書かれていることは、的を得ており、非常にコンパクトにまとまっており、さらにわかりやい言葉で表現されている。

難しいことをわかりやすい言葉で表現できることは、一流コンサルタントの証である。

『結論から言うと、ドラッカーの考え方や長期にわたって成功している経営者の考え方は本質的に同じである。ビジネスを成功させる本質は同じだ』と言い切っている。

さらに『ドラッカーのマネジメントにおけるキーワードは、二つしかない。
それは、「マーケティング」と「イノベーション」です。』と続く。

『その本質が何かをしっかり理解しなければ、経営の実践には活かせません。』

『「マーケティング」とは、お客様社会など「外部からの視点」を徹底させていくこと。』

『「イノベーション」とは、世の中が変わることを前提に、世の中の変化に合わせて、「現在と未来のバランス」をとりながら、今より良くするための企業活動をおこなうことである。』

マネジメントの基本は「マーケティング」と「イノベーション」という考え方がベースになっている。
その基本を踏まえた上で、
⇒ 1. 事業を定義する
⇒ 2. 目標を設定する
⇒ 3. 人を動かす
この3つを考えていくことが、マネジメントをすることになる。
なお、3つの考え方を詳しく説明する。

「1.事業を定義する」とは
・ 目的・使命(ビジョン・理念)
・ 市場のニーズ(外部環境分析)
・ 強み・弱み(内部環境分析)

「2.目的を設定する」とは
・ マーケティングの目標
・ イノベーションの目標
・ 経営資源の目標
・ 生産性の目標
・ 社会的責任の目標

「3.人を動かす」とは
・ 仕事と労働
・ 仕事を生産的なものにする
・ マネジャー育てる
・ マネジメントとコミュニケーション
・ トップマネジメントの役割

その際、常に意識することが『マネジメントの三つの役割』で定義している次の項目である。

1.自らの組織に特有な使命を果たす
2.仕事を通じて働く人たちを生かす
3.自らが社会に与える影響を処理するとともに、社会の問題について貢献する

『成功している会社や経営者ほど、ビジネスの根幹をなす原理原則を守っている。』
逆にドラッカー氏は
『「基本と原則に反するものは、例外なく時を経ず破綻する」とまで言い切っている。』

小宮氏はこの原理原則をわかりやすく説明している。
『「マーケティング」とは、徹底したお客様志向を貫き、良い仕事を目的とする』
『「イノベーション」とは、時代に合わせて最適化のために変わる』

『ドラッカー氏にせよ、松下幸之助氏にせよ、成功している経営者の根底に流れる思想や考え、ビジネスにおける原理原則は皆、共通している。』

『例外はない。戦略論や会計、財務などビジネスの技を身につけることは大切であるが、その前提には、ビジネスの原理原則を正しく理解しなければならず、それなくして成功はない。』

『お客様志向の対極にあるというべきものが、私利私欲である。「成功したい」という意味を「金儲けしたい」「権力を得たい」「地位を得たい」と捉えている人がたくさんいる。
しかし、ドラッカー氏は、これら私利私欲を徹底して否定している。
マネジメントは機能である。こうした慾を排除しなければ、真に成功することはできない、と説いている。』

昨日、ある会合があり、「企業の理念」について話題が盛り上がった。
いつの時代も松下幸之助氏をはじめ、創業者が社長をやり、「理念」がしっかりしている会社は強い。孫氏のソフトバンク、三木谷氏の楽天、永守氏の日本電産等々。業績の良い会社は、「企業理念」そのものが「企業文化」になっている。経営者の考え方や哲学が末端の社員まで行き届いている。

一方、日本を代表する大会社であっても、「企業文化」が「企業理念」と一致しないケースが多々ある。失礼な言い方かもしれないが、サラリーマン社長が、どこまで「企業理念」を理解しているか。
組織が大きいほど、途中の管理職の解釈が加わり、それなりの「企業文化」が築かれている。その結果、何のために企業は存在するのか、という「使命」が曖昧になり、「企業理念」の真意がわからなくなってしまっている。

組織が大きくなればなるほど、社長と一般従業員との距離は遠くになる。
その結果、職場の上司である課長や部長の解釈が「企業文化」となり、創業者の心が伝わらない。
今の時代、ITが発達しているのだから、社長が社内TV等を通じて、一般従業員に「自分の言葉」で「企業理念」を話すことは出来るはずだ。

社員も人間である。よく「ベクトルを合わせろ」という言葉を聞くが、経営者が篤き心を持って、自分の言葉で直に伝えなければ、社員の心を動かすことができず、「ベクトル」は一致しない。
その結果、社員の力は分散され、結果に結びつかない。

バランススコアカード(BSC)は4つの視点で、企業を捉えている。
・人の視点、・組織構造の視点、・顧客の視点、・収益の視点

この4つの視点は、階層になっており、
人の視点⇒組織構造の視点⇒顧客の視点⇒収益の視点
と、連動して反応する。

つまり、人が育たなければ、企業の組織が十分に活動しない。
その結果、お客様は満足しないので、他の店で買うことになる。
つまり、人が育たなければ収益が上がらない。
と解釈できる。

さらに、「人を育てる」ためには、やはりその会社の「存在意義」が必要である。
会社に勤めることは、社員にとっては、給与をもらうことでもあるが、自分の人生をその企業に託すのである。
経営者が、どれだけ真摯な気持ちで、社員の気持ちを動かす「哲学」が言えるか、である。

BSCは4つの視点であるが、ドラッカー氏の考え方を踏まえると、5つの視点になる。
理念の視点⇒人の視点⇒企業構造の視点⇒顧客の視点⇒収益の視点

多くの業界は、業績の「良い会社」と「芳しくない会社」の二極化している。
ドラッカー氏のいうように、基本の原理原則を守もれば、業績が上がり、守らなければ衰退するだけである。

このような、結論になった。


「引用力」についての考察 後半

2012-04-28 | スキルアップ 文章力
「引用力をつける」の後半である。

『書く上で大事なことは、書き手と読み手がテキストを共有することだ。
本をテキストにする場合、原著者が非常に内容のあることを書いていれば、それを引用して持ってくるだけで、書き手と読み手がかなりレベルの高い意識のベースを共有できる。
しかし、日常の出来事を題材にして何か書こうとする場合には、さらに高度な書く力が要求される。』

『よく学校で、子供たちに遠足や運動会について感想文を書かせることがある。こうした課題は、実際に書くとなると、かなり難しい。体験を文章化する技が必要になるからだ。』
『それに遠足や運動会などは、みんなが同じような体験をする毎年の慣例行事で、ごく普通の体験にすぎない。それをおもしろく書くとなると、自分が本当によかったと思ったこと、おもしろいと思ったことを取り出し、どう感じたかを表現するという高度な技が必要になってくる。』

ここで、一気にレベルが上がった。
中級コースと初級コースとの差は大きい。

運動会などの体験を文章化するということを、考えていなかったといのが正直な気持ちである。
果たしてどのように書くのだろうか。
まだまだそこまでのスキルは持ち合わせていない。

表現力のある人は、どんな文章を書くのだろうか。
情景の表現が上手いような気がする。
色を使い表現する技術。
例えば都会は新緑の季節である。
ビルの谷間にある樹木の色の変化をさわやかに表現して、読む人にも同じ体験を共有してもらっているのだろう。

今後、新聞のコラムなどを写すことで、たくさんトレーニングを積みたい。
私の表現力に関する能力は未開発であり、トレーニングをすることで、のびる余地は無限大にあると信じている。
その一貫として、10万字のブログを目指している。
そして、いつかは、エッセイストのように、日常の出来事を題材にして、読んだ人が私の体験を共有できるようなリアリティな文章を書けるようになりたい。


『一冊の本の中で好きなところを3つ取り出してみると、選んだ人のオリジナリティがそこに出てくる。その3つをつなげると、それぞれオリジナリティがでてくる。』
『まず、作者が何を言いたいのかというポイントをとらえることが大切である。赤線を引く部分は、だれが読んでも、「ここが重要なのだ」という意味で、ほぼ一致するはずだ。それを取り出した上で、自分がおもしろいと感じた部分、どこで自分が反応したかという部分---緑線を引く部分---をどう取り出すかである。』

『その作品について書く場合、ポイントである赤線の部分をきちんと入れた上で、そこに自分がおもしろいと感じた緑線の部分をどう配列して書いていくかによって、その人の個性、作品の捉え方が出てくる。つまり赤線の部分と緑線の部分をいかにうまく組み合わせて書いていくかによって、書いたものがおもしろいものになるかどうか分かれる。』

『このセンスを磨くのが、書く力をつける上で重要なポイントになる。そのセンスを磨くのは、基本的には読書しかない。』

高校時代、現代国語の授業で、自分で2つの作品を選び、その感想文を書く宿題があった。
今でも文章を書く行為に対して、発展途上にある私にとって、当時の私は、発芽前の状況であったのは言うまでもない。
どのような作品を選んだかは覚えていないが、2つの感想に対する評価が大きく別れた。
一つ目の感想文は、作品から適当に文章を抜き出すだけで、「ここが重要だ」「この部分が面白かった」「この部分に対して自分はこのような反応をした」など、氏が言うような行為は全くなかった。当然評価は低かった。
二つ目の感想文は、ちょっと違った。「作品に対する批評」をまとめた冊子から、その批評をそのまま抜き出して感想文としたものである。そこには、その作品の重要な部分、批評家が感じたことなどが書かれていた。当然のこと、こちらの評価は、非常に高かった。
先生も戸惑ったことだと思う。
今思えば恥ずかしい話である。


『実際に引用を活用して書く場合はどうするか。
たとえば、ある作品、論文、本などを素材にして書く場合には、引用したい部分を自分の文章に織り込んで三か所ほど挿入してみるといい。その三か所については、それぞれ違う内容を選ぶ。引用が多いと、引用が主体になってしまい、自分の文章ではなくなってしまう。』

耳が痛い。
私のブログか引用のオンパレードであり、私の文章ではない。
私も中級コースになったら、氏が言うように、作品から三か所ほど選んで自分の文章の中に挿入したい。
しかし、今は初級コースである。
初級コースは、ただひたすら量を稼ぐことである。毎回2000字以上で、10万字が一つの目標である。ブログで10万字に達成した段階で、ワンランク上のクラスにいけているかどうか、判断したい。それまでひたすら文字を書き続けたい。

『引用は、読む人がその引用部分だけ読んでも満足するような楽しいものを入れるのがコツである。そして、それぞれの引用から、人目をひくキーコンセプトを導き出す。
つまり、引用が核になって、そこで三つのキーコンセプトができあがっていく。』

今ほど「キーコンセプト」とは何か、しっくりこなかったので、インターネットで調べてみた。昔と違いすぐに調べられるから便利である。
三省堂のHPに、10分でわかるカタカナ語として、その意味や使い方など書かれている。通常の辞書とは違い、使い方や言葉の経緯など様々な切り口で解説してある。
http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/topic/10minnw/index.html
登録しておく価値があるページである。

『引用というと、それだけではほかの人の文章ではないかと思うだろう。たしかに引用箇所は書き手の文章ではないが、その部分を選んだことによって、すでに書き手の意図は明確に表れてくる。』
『書き手の文章だけが続くと、その人の考えだけを一方的に書き連ねることになり、読み手が飽きる。また、書いている当人にとっても、自分の考えを一方的に出すだけでは、勉強にならないだけではなく、どうどう巡りの文章になりがちである。』

氏が言っていることは確かである。私は氏の文章を書き写しているが、自分の考えや感じたことだけではまとまりのない文章になるのは明らかである。氏の本中心に「引用」することで、幹や大きな枝が定まる。そこに私の感想などを書き込むことで小さな枝ができ、葉を描くことができていると思う。結果的には、どうどう巡りをさけ、一つの方向性のある文章が書けると思う。

『オリジナリティとは、言葉そのものにあるのではなく、その内容にあるのだ。
引用文を使うことによって、その引用文の文脈と自分の文脈がクロスし、そこに別な意味が生じ、オリジナリティが生まれる。引用を、どう組み合わせ、文脈の中に取り入れるかによって、書き手の個性は自ずとでてくる。』

はやくオリジナリティな文章を書きたい。
なぜ書き手の個性があるオリジナリティの文章を書きたいのか。
それは、夢があるからである。
本を出版して、それに基に、全国で講演活動をしたいからである。
そのための手段としてブログを書いている。
通常、朝4時に起床し、4時半ごろ書きはじめ6時には終わる。
夜に再度チェックしてアップする。
この習慣が心地よい。
以前から早起きであったが、今は目標が明確なので、朝の時間が充実している。
実感である。

『おもしろいとは、それまで頭の中でつながっていなかったものがつながるということでもある。読み手にそういう刺激を与えるラインをつくるのが、文章を書くことの醍醐味の一つでもある。』

このブログは、私個人の目標のために書いているが、毎日、数十人の読者もおられる。この読者の方々に対して、何かを感じてもらうことも重要な仕事である。そのためにも「ラインをつくる」ことにチャレンジしていきたい。

『それまでつながっていなかったことがどうつながるのかを、書くという作業を通じて、ゆっくり詰めていくことができる。頭の中で考えて、つながりがなさそうなものの、つながりをとらえることができる人は、かなり訓練を積んだ人だ。』

『普通は、頭の中で考えているだけでは、何となくつながっているのではないかと感じるくらいだ。それを人に伝える言葉で表現できるようになるには、書くという作業が非常に有効なのだ。』

『書いているうちに、そのつながりのラインが明確になっていく。書く訓練はそうした思考の粘り強さを鍛える。』

「つながりのラインを明確にする」というのは、技能でありスキルだと思う。
ゴルフと同様にスキルである。練習が大切であり、練習はうそをつかない。
石川遼選手のDVDをみてイメージトレーニングをすることも重要かもしれないが、実際にボールを打つことが重要である。
その昔、毎週休日の早朝、2時間ほどアプローチの練習をしていた時期がある。
ただひたすらに30ヤードの練習をしていた。
毎回500球ぐらい1〰2年続けた。
ゴルフはたくさん球を打つことで、距離感もつかめ、方向性もよくなる。
スコアメイクがうまくなり、コースに出ても寄せワンでパーを、時にはボギーをキープすることができるようになった。
たくさん練習することで、確実にスコアアップにつながる。
このことは、経験を通じて言えることである。

どうように毎日、たくさんの文字を書くことで、訓練することになり、思考の粘り強さを鍛えることができると信じている。

『いままで世の中になかった考えや表現を生み出すのは、無から有を生み出すようなものでかなり難しい。たとえ、すでにあるものであっても、そこに新しいラインをつくることで十分に「新しいもの」は生み出せる。』

まさにイノベーションである。
ドラッカー流にいえば既存製品に対して新しい用途を見出すのもイノベーションである。
また、「製品の組み合わせ」や「プロセスの組み合わせ」もイノベーションである。
「引用の考え方」と「書き手の考え方」を組み合わせて「新しい考え方」を創造するのも立派なイノベーションである。
どんどん「引用」してイノベーションを習慣化していきたい。
この「イノベーションの習慣化」もスキルである。
たくさん練習することで、スキルアップが可能である。


「引用力」についての考察 前半

2012-04-27 | スキルアップ 文章力
今日は、「引用力」について考察する。


私のブログは「引用」のオンパレードである。それも斎藤孝著『原稿用紙10枚を書く力』の重要な部分を、ほとんど書き写している。
いくつかの理由があるがここでは3つ取り上げる。

まず、ブログの文字数を増やすこと。
そのためには「引用」することが非常に有効である。
このことは、氏の著にも記載されている。
1回のブログには2000字以上を目指している。
自分の言葉や考え方だけ書くのも良いが、引用することでそのことについて考えるため、思考力の訓練にもなり、さらに文章の中身も深くなるからである。
量を増やすことで質のアップにもつながっている。

2つ目の理由は、この本は、非常に論理的であり、具体的な事例も豊富であり、文章を勉強する教材として、優れている。
その優れているお手本を写すことは、すなわち文章のトレーニングになる。
良いお手本のマネをすることが上達の早道である。

3つ目の理由は、氏のファンであることかな。
男が男に惚れるというか。
たまに見るTVに氏がでていれば、チャンネルをとめることが多い。
また、氏の著書も本屋で見つければ、自然と手がでて購入する。
さらに言えば、氏のように1時間半程度の講演を何も見ずにできるようになり、お客様に何らか得るものを提供したいと思うからである。


例のごとく、斎藤孝著『原稿用紙10枚を書く力』から引用する。
本日は『第2章:「書く力」とは構築力である 第1節:「引用力」をつける』から。
小見出しを列挙する。
「書くために読書術」
「読み込む力は、書くことを前提にすると上がる」
「『こなす読書』をめざす」
「制限時間の中で読む」
「問題意識を持って読む」
「『引用』の技を学ぶ」
「テキストを読み手と共有するメリット」
「おもしろいと感じたことをグループ分けにする」
「引用のポイントを外さないコツ」
「引用から文章を組み立てる」
「『気づき』がおもしろさを生む」
以上11の小見出しであり、氏が言いたいことが、この小見出しを見ることでよくわかる。
さらに文字数にこだわってみよう。
この「節」は25ページであり、1行38文字、1ページは15行。合計14000字余りである。四百字詰め原稿用紙に換算すると35枚である。
本は当然、その内容が重要であるが、本として出版するには、ある程度の量も必要である。そのことをこの本では説いているが、実際に文字数を数えてみると、『さすが』というしかない。

では「書くために読書術」から引用をはじめる。
『読書は、読みっぱなしではなく、書く材料として使うつもりで読むのである』
『読書は情報のインプットであるが、単に知識を得るだけでなく、アウトプットを意識すると、より上質な読書ができる。書くことを意識して読むと、インプットの作業、すなわち読書が格段に活性化する。』
『何にどう活用するかという明確な目的意識を持って読書することにより、効率的に読書ができ、さらに情報活用のセンスが磨かれていく。』
『書きたいことを自分の中でキーワードとして意識しておく。そのキーワードを網のように張り巡らせて本を読んでいく。
多くは網の目から流れてしまうが、網=キーワードにひっかかるものがでてくる。それが書くときに使う材料である。
だから、読む前にキーワードを持っていることが大切になる。キーワードがないと、穴のあいた網になってしまう。網とは問題意識と言い換えていいが、あらかじめ書くためには、こんなものが必要だというイメージを持つことである。』

以前フォットリーディングを勉強している友人がこんなことを言っていた。「調べたいテーマなどを意識することで、それに関する情報が向こうから飛び込んでくるようになる」という話を聞いたことがある。まさにキーワードを持つことで、網にひっかかってくるのだと思う。

こちらは私の体験であるが、中小企業診断士の2次試験を勉強していたころの話である。ある予備校の先生から教わったことであるが、「本文を読む前に、設問文を先に読みなさい。出題者が何を求めているか、認識した上で、本文を読むと、ただ漠然と読むとでは、入ってくる情報が異なる。」
まさに目的意識を持つことが重要であり、キーワードを意識することで、インプットの作業が格段と活性化され、その後のアウトプットである答案作成に活かされたことを覚えている。


『3色ボールペンを使って、後で引用できる部分など重要な部分は赤、次いでまあまあ重要な部分を青、個人的におもしろいと感じた部分、興味を抱いた部分を緑で線を引いておく。それらのページに付箋をはったり、ページを折っておいて、後で探しやすいようにしておく。』

私もボールペンを使い、様々な色で線を引くが、気分で色を変えているようなものだ。しかし、氏が言うように、目的を持って色を変えながら線を引くのと、気分で色を変えるのでは、その効果は全然違う。氏が言うように目的意識を強烈に持つことで、その成果は大きく異なる。
今日から、「3色ボールペン」の使い方に対して、意識を持って行動する。


『「引用」の技を学ぶ』にはこんなことが書かれている。
『引用しながら、自分がその文章からどういう刺激を受けたかを書いていく。』

まさに、これである。
『引用』することで、そのテーマに関することが思い出され、そのことを記述しているのがこのブログである。過去の出来事や考えたこと、感じたことを書くことで、そのテーマと経験が結びつきより、鮮明になる。
過去の経験に対するとらえ方が、一面的だったものが多面的になり、考え方の幅がでてくる。
さらにこのような行為を繰り返すことで、記憶の整理にもなり、脳の活性化にもつながる。
『引用』することから生まれる『効用』がたくさんあることはうれしい限りである。
まさにドラッカー流にいえば、『引用』が製品・サービスであり、多面的な考え方や脳の活性化が『効用』となる。
顧客は『効用』を望んでいる。
考えてみると、この場合の『顧客』は私なのかもしれない。
おもしろい結果である。


『私(氏)は、本を読みながら、感じたことや考えたことなどを見返し部分やページの余白に書き込んでいき、日付をつけておく。こうすると本自体が読書ノートも兼ねることになる。』

以前から、余白に気付いたキーワード程度は書いていたが、氏が言うように、「見返しページに感じたことや考えたことを書きこむ」ことにチャレンジしたい。また日付をつけることで、読んだ時の情景を思い出すこととなり、思考の再現が可能となる。
前回読んだときと今回読んだ時の感じ方や考え方の差が明確になり、自分の成長を捉えることも可能になるだろう。

『こうした自分の読書ノートを兼ねた本であれば、後でいろいろな機会に役立つことになる。』

今まで「読書ノート」として本格的につけたことはないが、氏のやり方であれば、私にもできるかもしれない。
良い本であれば、今回のように、ブログを利用した「読書ノート」を作成するのも一案かと思う。
ただし、時間はかかるが、「書く力」「考える力」に対して実力アップにつながると確信している。

「書くこと」は「価値の創造」だ

2012-04-26 | スキルアップ 文章力

「思考力を鍛える」について、3日目の考察である。

引用は、例のごとく、斎藤孝著『原稿用紙10枚を書く力』から行う。

本日は『第1章:書くことは考える力を鍛える、第3節:書くことは価値の創造だ』から。

『文章を書く動機は、人に伝えたい中身があることになる。その中身を正しく伝えるためには、文章を構築する必要がある。論理的な文章で、かつ生命力があふれている文章がある。それは、構築できている文章であるかどうかで決まる。まず、読んだ側の「それで何なの?」という問いにこたえられるかどうか、つまり主題をきちんと打ち出せるかどうかである。
書くという行為に偶然などはない。
自分と正面から向き合って、人ははじめて文章を書ける。書くことによって、自分の意識の中を深く通過しているのだ。』

ブログをはじめて実質2週間余りであるが、書くことで自分を意識することに対して、強く感じている。書くことで、自分を見つめる行為となり、さらに意識の中に入り込み、過去の経験や体験を通じて、その結果どうであったか、推敲することにつながる。そのことが、自分にとってどのような価値であるのか、どのような意味があるのか、書くことによって、常に考えるようになった。私自身の思考力アップには役立っている。
まだまだ課題はある。自分中心から読み手中心の文章を書けるか?読み手がわかりやすく、また新たな気づきの発見につながる文章となると、もうひと山もふた山も越えなければならない。そのためにも、今はただひたすら量をこなすことで、質の向上に備えていきたい。

さらに、引用を続ける。
『書くことは意味を創出することだが、意外に多くの人たちに理解されていない。批評家の中には、作品をけなすことで、「自分はこんなに見る目がある」「自分はこういう考えだ」といった自己主張をしているのだ。それは「書く」という行為を根本的に間違えてとらえている。
作品を批評するとは、その作品とつながろうとしている読者に新たな出会いを提供することである。そこに批評を書く意味がある。
読者にその作品を読むときのとらえ方、つまり読者側の視野を広げ、きっかけを与え、読者の脳と作者の脳が感応して、そこで火花が散るような出会いの機会を与えるのが、本当の批評だろう。』

なるほど、思うようである。さすが氏である。今まで批評を読む機会は度々あったが、批評の中身を気にして本を購読していたが、批評の仕方には目がいかなかった。
これからは、判断基準として、「読者にその作品を読むときのとらえ方」が書かれているかを確認し、さらに「読者側の視野を広げ、きっかけを与え、読者の脳と作者の脳が感応して、そこで火花が散るような出会いの機会を与えているか」などをチェックして、本の購読を決めたい。


『書くという行為は、新しい意味を生み出すことである。意味を生み出すとは、価値を創造することだ。』

『どんなことにもいえるが、「価値を高める」「価値があるものを見つける」「新たな価値を創出することは大変である。』

『何かを取り上げて書くときは、そこに新たな価値を発見し、生み出すことを意味しているからだ。』

新しい意味を見出すこと、つまりイノベーションである。

ドラッカー流に考えてみよう。

一般に、製品やサービスは、すぐに陳腐化する。長くても10年である。だから、常にイノベーションを行い、顧客を創造し、市場拡大とつなげている。

売りたい作品として、「文字を書くという行為」から生まれた作品を製品(商品)と考えるならば、顧客の潜在的欲求を掘り起こし、有効需要に変化させ、顧客と市場を誕生させることである。
では、どうするか。
ドラッカー氏によれば、マーケティングとイノベーションを行い、顧客を創造することである。
その際、顧客が求めているものは、「文字を書いたもの」ではなく、そこから生まれる「効用」である。つまり、作品を読むことにより得られる満足感や気づきである。

ベストセラーになる本とそうではない本違いは何か?
ただ、著者の自己満足(?)から生まれた作品は、ベストセラーになるのは難しい。それは顧客の潜在的ニーズを無視しているからである。
一方、池上彰氏の「伝える力」などの作品は、TVのこどもニュースからはじまり、明らかに社会のニーズや読者の潜在的な欲求を掘り起こし、実質的な需要に結びつくように書かれている。だから100万部売れるのである。

話は変わる。
誹謗中傷について、引用する。
『書くときにもっとも注意しなくてはならないのは、誹謗中傷しないことだ。インターネットの中の掲示板などは、誹謗中傷が横行している。
たしかに書く人は、悪口を言うことによってストレス解消になっているかもしれない。しかし、読む側にとってはけっしていい気分ではない。ストレスをそこら中にまき散らしているようなものだ。』

たしかに、掲示板等では、誹謗中傷は多い。
その昔、私はあるフォーラムで批判されたことがある。批判するする人は、巧みな文章を書き、まわたで締め付けるように、周りからじわじわ取り囲み批判してきた。当時の私には、文章力など全くなく、反論の文章を書いても真意が伝わらず、さらに締め付けが強くなるばかりであった。結果的には、その批判から逃げられなくなり、ストレスもたまり、そのフォーラムから脱退した。いやな思い出の一つである。

『インターネット上で誹謗中傷など絶対にしないというルールを身につけたい。』
『書くことは、価値を下げるのではなく、価値を見出すための行為であることをぜひ意識してほしい。』

その通りである。

その昔、社内監査員をしていたときの話である。
各部門の業務状況をチェックして、「できている」「できていない」と判断していた。
さらに、被監査部門には「できていない原因として、○○がである」と反省文を書かせ、その結果を総括していた。監査方法としては、間違っていないと思うが、受ける立場としては面白くない。いくらルール通り行っていたとしても、面白くない。あらを探され、批判され、反省文を書かされ、さらに社内で公表されてしまう。
今考えれば、いくら業務であっても得策ではない。このようなやり方は、人間としてモチベーションが上がる方法ではない。

今ならどうするだろか。たとえば部下に対する人事評価では、「できていない」というような否定的な表現は使用しないようにしている。
「○○に課題がある。今後この点で創意工夫することで、成長することが可能である。今後を期待したい。」
このようにプラス表現を利用して書くことで、書かれた方はそれほど気分は害しないし、次へのチャレンジ精神が生まれ、その後頑張っている。
このように、書くことに意味を持たせることは、重要であることを最近実感している次第である。

引用に使っている、斎藤孝著『原稿用紙10枚を書く力』は3部構成である。
今回は、第1部の「書くことは考える力を鍛える」、つまり初級コースに対して、考察が終わったところである。

初級コースを卒業(?)するには、ただひたすらに、トレーニングを行う必要がある。

目標としていることは、ブログとしての文字数で、

『10万字』

現在、やっと3万字をクリアしたところである。

10万字に達するころには、私も少しは『書く力』が成長することだろう。

自分に期待したい。