あなたは、土木が日常生活にどのようにかかわっているか知っていますか?
知っているようで知らないのが土木の世界。
土木の素晴らしさについてあなたに知ってほしいのです。
そのような想いで、『土木の語り部hakuun』を開設しました。
なお、ブログの一部(青山士)は重複しています。
よろしければ、見に来てください。
hakuunn
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3年目の壁
入社して3年目になると、転職をしたいと思う人が多いようである。
自分は一生懸命にやっているのに、先輩にガミガミ怒鳴られ、嫌気がさしてくる。
毎日怒られるのが辛くなり、会社に行くのが嫌になる。
私もそのような時期があった。
もう30年以上も前のことである。
その時の解決方法は、酒を飲んで先輩に愚痴を電話で延々と話したのである。
1時間以上話したのではなかろうか。
その先輩は、ひたすら私の話を聴いてくれたのである。
説教もせずに、私の悩みを受けとめてくれた。
その結果、私はすっきりし、3年目の壁を乗り越えることができた。
その先輩に今でも感謝している。
一般に「7・5・3」という言葉がある。
中学卒業で7割、高校卒業で5割、大学卒業で3割の人が、3年以内に転職している。
その理由は様々である。
一番多いのは仕事の量や質であり、人間関係の悩みも大きな要因である。
私が経験したいくつかの考え方(対処方法)を紹介したい。
●考え方その1
「10人十色」という。
10人の人がいれば、10個の価値観がある。
「価値観の違いを受けいれる」必要はないが、「違うのだな」認識する必要はある。
「このような考え方もあるのだな」と違いを認めることで、学ぶこともある。
そこに人間的成長がある。
●考え方その2
先輩の指摘をどのように受け止めるかである。
「ああ、また怒られた。自分は劣っている」と考えると辛くなる。
一方で、
「先輩が指摘していることは、私の課題なのだ。この課題を克服すれば、ワンランク成長できる」と考える。
前者が、マイナス思考で負のスパイラルがはたらく。
後者は、プラス思考で、正のスパイラルがはたらく。
先輩の一言をどのように捉えるかである。
マイナス思考で捉えるか、プラス思考で捉えるかは、人それぞれ自由である。
しかし、その捉え方により、その後の展開は大きく異なるのは当然である。
●考え方その3
物事の多くは、スキルと考えている。
スキルとは、トレーニングを積むことで、徐々に成長するものである。
サッカー、野球、ゴルフ、などスポーツすべてスキルである。
料理も音楽も絵画もスキルである。
このように考えると勉強もスキルである。
英語、数学、理科、社会、繰り返し勉強することでレベルアップすることができる。
同様に、仕事もスキルである。
様々な仕事はある。
私のような土木技術者、病院の看護師さん、営業マンなどほとんどすべての仕事をスキルと考えることができる。
スキルであれは、失敗を繰り返して成長している。
仕事も、繰り返し繰り返しトレーニングし、レベルアップを図るのである。
仕事の基礎となる文章力や思考力もスキルである。
レポートが上手く書けない人は、今まで書いた絶対量が少ないだけである。
文章をたくさん書くことで、その質はレベルアップする。
コミュニケーション力もスキルである。
基本が傾聴でこれもスキルである。
繰り返しトレーニングすることで、レベルアップすることができる。
思考力も同じである。
人に言われたことだけやる指示待ち人間は、自分で考える訓練をしていない。
そのために、先を読むことが苦手である。
これも能力でなく、トレーニング不足である。
今までこの能力を使っていなかっただけである。
使っていない能力は、鍛えることで成長する。
まずは、自分の課題に気づくことである。
その課題を知っているのは、身近な先輩では、ないだろうか?
先輩に謙虚に聴いてみることで、新たな成長のきっかけとなると思う。
人生は長い。これからである。
自分の課題を見つけて、3年目の壁を打ち破り、成長してほしい。
土木技師 青山士 その3
パナマ運河とは、中学か高校の地理の時間で学んだことはある。
太平洋と大西洋を結ぶ運河で、全長80kmである。
パナマ運河建設により、太平洋と大西洋を船で往来するすることが可能になった。
このパナマ運河には、閘門(こうもん)が3か所採用されている。
太平洋からパナマ運河に入ると、最高地点である海抜26mにガトゥン湖がある。
この人造湖に船を上げるために閘門で水位を調整するのである。
最高地点まで上がった船は、下りの閘門を利用して大西洋に抜けるのである。
太平洋側のガトゥン閘門(3連式)を設計したのが青山士である。
以下、在パナマ日本大使館のHPから引用する。
運河建設に携わった唯一の日本人技師がいた。その名は青山 士(あおやま あきら)。1904年より1911年までの約7年間、パナマ運河建設に携わっている。
同人は静岡県の出身で、1878年、禅宗の僧侶の三男として生まれた。1903年当時26歳の同人は東京帝国大学土木工学科卒業時に恩師廣井教授より米国がパナマ運河建設のために技術者を募集していることを聞き、同教授の知人であるコロンビア大学のバア教授(パナマ運河委員会の理事を兼任)に紹介状を書いてもらい、同年8月単身米国に渡航した。
シアトル、ニューヨーク滞在の後、翌年6月ようやくパナマに到着した。当初は末端測量員として、熱帯ジャングルの中でマラリアに罹患し命を落としそうになりながらもチャグレス川周辺の測量を続け、その後、大西洋側クリストバル港建設事業に参加し、ガツン閘門の側壁の設計にまで携わっている。
同人は、パナマに来た当初は末端測量員(ポール持ち)であったが、短期間の内に昇進を続け、測量技師補、測量技師、設計技師を経て最終的にガツン工区の副技師長となっている。手際よい測量の腕や勤勉さ、有能さからパナマ運河委員会の彼に対する勤務評定は常に”Excellent”であった。
青山氏は、日米関係の悪化を察知し、運河完成を待たず1911年に日本に帰国した(休暇願を出して帰国し、そのまま戻らなかった。)。
帰国後、内務省の内務技師として採用され、当時頻繁に起こっていた河川の氾濫を防ぐため、数々の治水工事(荒川放水路開削、鬼怒川改修、信濃川大河津分水改修等)を手掛け、当時日本では珍しかったコンクリート工法を採り入れるなどパナマ運河で学んだ最新の土木技術を十分に発揮した。
荒川放水路の岩淵水門工事には主任として携わり、パナマでの経験を生かし基礎地盤を20m掘り下げるなど当時としては画期的な工法を採用しているが、その発想の正しさは、完成後に起こった関東大震災の際、ビクともしなかったことで証明されている。
その後、同人は内務技監まで昇りつめている。
信濃川大河津分水記念碑には、青山氏の直筆の文字が日本語と万国共通語であるエスペラント語で刻まれており、「万象に天意を覚える者は幸いなり 人類の為 国の為」と刻まれている。
以上、在パナマ日本大使館のHPより