hakuunの未来ノート

将来のため、人生やビジネスに関して、考えたこと、感じたことを綴ります。

日経新聞から学ぶ

2015-03-12 | スキルアップ 文章力

日本経済新聞:春秋を読んで

 

新聞のコラムを手書きで写す作業を毎日行っている。

大学ノートを半分に折り、左側半分に600字余りの文章を書き写す。

右半分には、自分の考えや感想を書く。

新聞のコラムに対する反論(?)はハードルが高い。

しかし、手書きで書き写すことで言葉や言い回しを覚えることができる。

さらにコジツケでも反論して自分の考え方を書くことは脳の活性化にもつながる。

では、今日の手書きの文章を書き写すことにする。

 

下記が本日(3月15日)の記事である。 

▼沖縄には「チュラカサ」という言葉があるそうだ。漢字だと「美瘡」、つまり疱瘡(ほうそう)(天然痘)をあえて美称で呼ぶのである。人を苦しめる天然痘と対決するのでなく上手に敬遠し、身をかわし、退散してもらう――。民俗学者の赤坂憲雄さんが「震災考」に書いている。

▼かつて岡本太郎が紹介したこの思想は、防災や減災にも通じるはずだと赤坂さんは言う。東日本大震災の巨大津波は、過去の教訓を生かした万里の長城のような堤防をも越えた。だからといってもっと高く長い防潮堤を、と抗(あらが)い続けるべきなのか……。そんな自問を重ねて、災害との向き合い方を考えてきた私たちである。

▼きのう午後2時46分、職場で学校で家庭で、みんなが心のなかで手を合わせたに違いない。あれから4年。1万5891人が亡くなり、いまも行方不明者は2584人にのぼる。暴威をかえりみつつ、しかし1秒後にはまた大地が揺れだしてもおかしくはないこの列島の宿命を思う。そして、ここで生きるすべを思うのだ。

▼チュラカサの思想は反文明ではなく、いかに抗っても抗いきれぬものをやり過ごす知恵なのだろう。必ずやってくる大地震や大津波の災禍をうまく避けること、そこからうまく逃げること。わずかな差で落命した多くの人たちが、その大切さを教えてくれていよう。5年目に入った震災後の社会は、なお学ばねばならない。

 

以下が、私の拙い意見である。

「命」を守るためには、「チュラカサ」の思想は大切である。上手に敬遠し、身をかわし、命を守る。素晴らしい考え方である。一方で、大地震や津波に対しては「チュラカサ」の思想だけで対応ができるのであろうか。確かに「命」を守るためには、上手に津波から身をかわし、逃げることである。そのためには避難路を造り、日々の教育が重要である。

もう一つの課題は、その後の生活である。命は助かったが、大地震や津波で家が無くなり、電気・水道・下水道・道路・橋梁・鉄道・港湾などのライフラインは使える状態ではない。そのために仮設住宅に住み、地元を離れる若者も多い。あれから4年が過ぎたが復旧・復興はまだまだである。

人間、命は一番大切である。次に大切なものが日常生活である。命の次に大切な日常生活を守るために、高く長い防潮堤を造っているのではないだろうか。この防潮堤について賛否両論あり、「景観が悪い」という人もいる。確かに景観も大切である。

ライフラインを守り、人々の日常生活を維持する方法は他にあるのだろうか。多くの関係者が議論を重ねた結果、他の方歩を見いだせなかったのではないか。防潮堤はベストの選択肢ではないかもしれない。だが今考えられるベターな選択肢として選んだ結果だと思う。

 


「手書き日記」の効用

2013-01-31 | スキルアップ 文章力

話し方教室のY先生は、毎回、「日記を付けなさい」と言われる。

私は、週1~2回ブログを書いているので、日記兼用と考えていたが、そうでもなさそうだ。

日記は、手書きで書くことに意義があるようである。

さらに、1ページを4等分して、4年日記にするという。

そうすれば、書く量を減らしことができ、過去と比較することもできる。

なるほど、日記を書く習慣がない私にとっては、ありがたい方法である。

そこで、昨日大学ノートを買った。

尊敬するY先生の言われることを実施しようと思ったのである。

Y先生が、悪いことを生徒に言うはずがないと思う。

 

●手書き日記の効用

 手書きによる日記の効用はいくつかある。

列記したい。

○ 1番目の効用

 手書きをすることで、漢字を覚えることができる。

日常PCで文章を書いているので変換キーを押すだけで事が足りる。

しかし、手書きだとそうはいかない。忘れた字はその都度辞書を引き(PCでチェックするのだが・・・)手を動かして書く。

ボケ防止には最適である。

 

○ 二番目の効用

 文字を丁寧に書くようになる。

私は昔から字が雑で、そのために文章を書くことを避けてきた。

PCを使うようになってからは、快適に文章を書くことができる。

しかし、たまに、「礼状」など手書きをすることがある。

手書きをする度に、「もう少し字が上手ければ」と思う。

字を書くという行為は、ゴルフと同じでスキルである。であるならば毎日のトレーニングが必要である。ならば日記を手書きすることで、文字を書くトレーニングを兼用することができる。

これが二番目の効用である。

 

○ 三番目の効用

 日記を書くことで、自分を見つめることができる。

自分が何を考えていたか、振りかえることで、深堀することができる。

さらに、その際気づくこともあれば、潜在意識に投げかけて、後日、「ふと思いつく」種まきにもなる。

 

○ 四番目の効用

 仕事について書く場合、その仕事を再現することになる。

仕事を振り返ることで、「ああすればよかった」「こうすればよかった」「上手くいった要因はあれだったんだ」などなど様々ン気づきを得ることができる。

この気づきが、成長のヒントになる。

たくさんのことを気づくことで、自己成長につながる。

 

○ 五番目の効用

 限られたスペースに書くため、ものごとをまとめる力がつく。

PCであれば文字の制限に関係なく自由に書けるが、大学ノートの限られたスペースに書くとなると要領よくまとめることが必要である。

このまとめる力もスキルであるので、日々のトレーニングは重要である。

 

○ 六番目の効用

 「4年日記」であるから、1年前、2年前どのようなことを考えていたか、どのようなものの見方をしていたか、容易に比較することができる。

そこで、自分の成長を確認することができるし、逆に反省することもできる。

人間は他人に言われて動くのはつらいが、自分で気づいた場合は、素直な気持ちで行動に移すことができる。

より多くの気づきを得る手段として、「手書き日記」は素晴らしい手段だと思う。

  

この「手書き日記」を習慣化すれば、もう一歩成長できると思うとワクワクする。

 


ブログを毎日続けるコツは?

2012-06-07 | スキルアップ 文章力

ブログを毎日書くことは、意外と難しい。

「文章を書くこと」もそうであるが、「テーマを探すこと」は、まだまだハードルが高い。
週に一度であれば、資料を集めて書くことができる。
が、毎日続けるとなると、大変である。
限られた時間で、テーマを探し、文章構成を行い、一気に書き上げる。

「継続は力なり」と、昔から言われるが、
「ブログ」も毎日継続することで、スキルアップを図り、よりよい未来を築きたい。

では、毎日続けるのがなぜ難しいのか、私なりに考えてみた。
三つの課題が考えられる。

●一つ目は、「文章を書くこと」が課題である

このことについては、ひたすら文字を書く(入力)することである。
現在、3月末にブログをはじめて4カ月目になるが、すでに14万字の文字を書いている。
ひたすら文字を書くことで、「文章を書く」ことには少しだが、慣れてきた。
2000字から3000字を書くのは1時間もあれば書くことができる。

尊敬する斎藤孝先生は、
「『引用』でもいいからひたすら文字数を増やすこと」
というので、様々な本から引用し、文字数を増やしてきた。

引用することで、自分のモノになったテーマもある。
一方で、残念ながらただ写しただけで、忘れてしまっていることも多々ある。
読者の方の対して失礼であると思うし、自分ながら情けない。

「引用」するのであれば、もっと噛砕いて自分のモノにする必要がある。
そのためには、「引用文」繰り返し考えて、文章を起こすことだと思う。

まずは、引用することで「点」を増やすことである。
「点」をアトランダムにたくさん増やしていく。
すると、あるとき「点」と「点」が結び付き、「線」になる。
さらに「点」を増やしていくと、必然と「線」も増えていく。
どんどん「点」を増やし、「線」を増やしていく。
と、ある時、「線」と「線」が結び付き、「面」になる。
「面」になった時こそ、その知識が自分のモノとして使えるスタートである。

であるならば、「引用」してどんどん「点」を増やしていく努力をしたい。

●二つ目は、「テーマを探すこと」が課題である

「テーマ探し」
易しいようで、これも以外と難しい。
私のブログタイトルは、「未来ノート」である。
サブタイトルとして、「将来のため、人生やビジネスに関して、考えたこと、感じたことを綴る」としている。

5W1Hで考えてみたい。
ちなみに、5W1H は次のとおりである。,

Who(誰が)、
What(何を)、
When(いつ)、
Where(どこで)、
Why(なぜ)、
How(どのように)

私の「未来ノート」に当てはめると、次のとおりである。
Who・・・私が、
Why・・・将来のために、
What・・・人生やビジネスに関して、考えたこと、感じたこと
When・・・毎日(原則)
How・・・ブログに書き綴る
Where・・・自宅

これが私の「未来ノート」の5W1Hである。
つまり、「未来につながること」「将来につながること」を書くことが大前提である。
時系列としては、現在から未来にかけてである。

「テーマ」としては、「人生やビジネス」に関すること、
つまり「企業経営」「スキルアップ」などに絞って書いている。

ちなみに、昨日までに、53篇のブログを書いた。
その内訳は次のとおりである
「企業経営」・・・・・・・・・18編(34%)
「スキルアップ」・・・・・・・15編(28%)
「スキルアップ・文章力」・・・9編(17%)
「人生論」・・・・・・・・・・7編(13%)
「リスク管理」・・・・・・・・4編(8%)

自分が好きなテーマ、「企業経営」や「スキルアップ」に集中している。

未来の企業参謀・アドバイザーとして、「企業経営」を選び、
考え方として、大好きな「スキルアップ」を選んでいると、推定する。

たとえば、私のブログには「ゴルフ」の話が何度も出てくる。
その際、カテゴリーを「スポーツ」として捉えてもよいし、「健康」と捉えることもできる。
しかし、私の場合は、意識的かどうかわからないが、「スキルアップ」となる。
「スキルアップ」の本を書きたいので、このような結果かもしれない。

ゴルフを『マネジメント』として捉えれば、「企業経営」に分類することになる。
将来、「企業経営」の本を書くならば、『マネジメント』の切り口から書くことも一つの手段と思う。
「企業経営とゴルフ」をマネジメントの観点から比較検討するのも面白い、と思う。

さらに今後は、「企業経営」「スキルアップ」にテーマを絞るのであれば、
「企業経営」「スキルアップ」「ゴルフ」のトライアングルから、成功事例を深堀し、
経営者に役立つ「ビジネス書」を書きたい。

さらに、「未来ノート」であるから、「健康」というカテゴリーを加えたい。
また、少しずつではあるが、テーマを増やしたいと考えている。

●三つ目は、「どのように展開すか」が課題である

「オマエのブログは、『未来』がテーマなのに、本や新聞からの『引用』が多いのではないか」と反論される方もあろう。

たしかに、私のブログは、「過去の出来事」、「考えたこと」、体験」、「引用」等々をもとに記述している。
ただ、本や新聞からの「引用」だけを書けば、過去の出来事で終わる。

私は、その「過去の出来事」をどのように捉えるかが、大切だと考えている。

よく、「過去と他人は変えることができない。変えることができるのは自分と将来だけ」といわれる。
さらに「過去や他人を変えることはできないが、過去や他人をどのように捉えるかで、自分や将来を変えることができる」ともいわれる。
であるならば、「過去の出来事」や「他人」をどのように捉えることで、自分の将来に結び付けるかが、重要となる。

であるから、
ブログを書く際、一番気を使うのは、
「過去の出来事」や「他人のこと」をどのように捉えて、展開し、将来に結び付けるかである。
そのことが、結果として「思考力の訓練」にもつながっている。

いつの時代も世間一般には、歴史書はよく売れている。
私も昔は、「歴史書」を「読み物」として買い、読書にふけった時代がある。
たとえば、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康などの歴史物語は、楽しい思い出がある。

「歴史書」を「読み物」から「ビジネス書」「人生の指針」として捉えて読むと、また違った読み方ができると思う。
歴史上の人物の行動や考え方を、自分の仕事や生活に結び付けて捉えることができれば、
「リスク管理」にもなるし、「未来への参考書」にもなり得る。

であるならば、「歴史書」は、ブログのテーマとして、最高の教材となり得るだろう。


「引用力」についての考察 後半

2012-04-28 | スキルアップ 文章力
「引用力をつける」の後半である。

『書く上で大事なことは、書き手と読み手がテキストを共有することだ。
本をテキストにする場合、原著者が非常に内容のあることを書いていれば、それを引用して持ってくるだけで、書き手と読み手がかなりレベルの高い意識のベースを共有できる。
しかし、日常の出来事を題材にして何か書こうとする場合には、さらに高度な書く力が要求される。』

『よく学校で、子供たちに遠足や運動会について感想文を書かせることがある。こうした課題は、実際に書くとなると、かなり難しい。体験を文章化する技が必要になるからだ。』
『それに遠足や運動会などは、みんなが同じような体験をする毎年の慣例行事で、ごく普通の体験にすぎない。それをおもしろく書くとなると、自分が本当によかったと思ったこと、おもしろいと思ったことを取り出し、どう感じたかを表現するという高度な技が必要になってくる。』

ここで、一気にレベルが上がった。
中級コースと初級コースとの差は大きい。

運動会などの体験を文章化するということを、考えていなかったといのが正直な気持ちである。
果たしてどのように書くのだろうか。
まだまだそこまでのスキルは持ち合わせていない。

表現力のある人は、どんな文章を書くのだろうか。
情景の表現が上手いような気がする。
色を使い表現する技術。
例えば都会は新緑の季節である。
ビルの谷間にある樹木の色の変化をさわやかに表現して、読む人にも同じ体験を共有してもらっているのだろう。

今後、新聞のコラムなどを写すことで、たくさんトレーニングを積みたい。
私の表現力に関する能力は未開発であり、トレーニングをすることで、のびる余地は無限大にあると信じている。
その一貫として、10万字のブログを目指している。
そして、いつかは、エッセイストのように、日常の出来事を題材にして、読んだ人が私の体験を共有できるようなリアリティな文章を書けるようになりたい。


『一冊の本の中で好きなところを3つ取り出してみると、選んだ人のオリジナリティがそこに出てくる。その3つをつなげると、それぞれオリジナリティがでてくる。』
『まず、作者が何を言いたいのかというポイントをとらえることが大切である。赤線を引く部分は、だれが読んでも、「ここが重要なのだ」という意味で、ほぼ一致するはずだ。それを取り出した上で、自分がおもしろいと感じた部分、どこで自分が反応したかという部分---緑線を引く部分---をどう取り出すかである。』

『その作品について書く場合、ポイントである赤線の部分をきちんと入れた上で、そこに自分がおもしろいと感じた緑線の部分をどう配列して書いていくかによって、その人の個性、作品の捉え方が出てくる。つまり赤線の部分と緑線の部分をいかにうまく組み合わせて書いていくかによって、書いたものがおもしろいものになるかどうか分かれる。』

『このセンスを磨くのが、書く力をつける上で重要なポイントになる。そのセンスを磨くのは、基本的には読書しかない。』

高校時代、現代国語の授業で、自分で2つの作品を選び、その感想文を書く宿題があった。
今でも文章を書く行為に対して、発展途上にある私にとって、当時の私は、発芽前の状況であったのは言うまでもない。
どのような作品を選んだかは覚えていないが、2つの感想に対する評価が大きく別れた。
一つ目の感想文は、作品から適当に文章を抜き出すだけで、「ここが重要だ」「この部分が面白かった」「この部分に対して自分はこのような反応をした」など、氏が言うような行為は全くなかった。当然評価は低かった。
二つ目の感想文は、ちょっと違った。「作品に対する批評」をまとめた冊子から、その批評をそのまま抜き出して感想文としたものである。そこには、その作品の重要な部分、批評家が感じたことなどが書かれていた。当然のこと、こちらの評価は、非常に高かった。
先生も戸惑ったことだと思う。
今思えば恥ずかしい話である。


『実際に引用を活用して書く場合はどうするか。
たとえば、ある作品、論文、本などを素材にして書く場合には、引用したい部分を自分の文章に織り込んで三か所ほど挿入してみるといい。その三か所については、それぞれ違う内容を選ぶ。引用が多いと、引用が主体になってしまい、自分の文章ではなくなってしまう。』

耳が痛い。
私のブログか引用のオンパレードであり、私の文章ではない。
私も中級コースになったら、氏が言うように、作品から三か所ほど選んで自分の文章の中に挿入したい。
しかし、今は初級コースである。
初級コースは、ただひたすら量を稼ぐことである。毎回2000字以上で、10万字が一つの目標である。ブログで10万字に達成した段階で、ワンランク上のクラスにいけているかどうか、判断したい。それまでひたすら文字を書き続けたい。

『引用は、読む人がその引用部分だけ読んでも満足するような楽しいものを入れるのがコツである。そして、それぞれの引用から、人目をひくキーコンセプトを導き出す。
つまり、引用が核になって、そこで三つのキーコンセプトができあがっていく。』

今ほど「キーコンセプト」とは何か、しっくりこなかったので、インターネットで調べてみた。昔と違いすぐに調べられるから便利である。
三省堂のHPに、10分でわかるカタカナ語として、その意味や使い方など書かれている。通常の辞書とは違い、使い方や言葉の経緯など様々な切り口で解説してある。
http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/topic/10minnw/index.html
登録しておく価値があるページである。

『引用というと、それだけではほかの人の文章ではないかと思うだろう。たしかに引用箇所は書き手の文章ではないが、その部分を選んだことによって、すでに書き手の意図は明確に表れてくる。』
『書き手の文章だけが続くと、その人の考えだけを一方的に書き連ねることになり、読み手が飽きる。また、書いている当人にとっても、自分の考えを一方的に出すだけでは、勉強にならないだけではなく、どうどう巡りの文章になりがちである。』

氏が言っていることは確かである。私は氏の文章を書き写しているが、自分の考えや感じたことだけではまとまりのない文章になるのは明らかである。氏の本中心に「引用」することで、幹や大きな枝が定まる。そこに私の感想などを書き込むことで小さな枝ができ、葉を描くことができていると思う。結果的には、どうどう巡りをさけ、一つの方向性のある文章が書けると思う。

『オリジナリティとは、言葉そのものにあるのではなく、その内容にあるのだ。
引用文を使うことによって、その引用文の文脈と自分の文脈がクロスし、そこに別な意味が生じ、オリジナリティが生まれる。引用を、どう組み合わせ、文脈の中に取り入れるかによって、書き手の個性は自ずとでてくる。』

はやくオリジナリティな文章を書きたい。
なぜ書き手の個性があるオリジナリティの文章を書きたいのか。
それは、夢があるからである。
本を出版して、それに基に、全国で講演活動をしたいからである。
そのための手段としてブログを書いている。
通常、朝4時に起床し、4時半ごろ書きはじめ6時には終わる。
夜に再度チェックしてアップする。
この習慣が心地よい。
以前から早起きであったが、今は目標が明確なので、朝の時間が充実している。
実感である。

『おもしろいとは、それまで頭の中でつながっていなかったものがつながるということでもある。読み手にそういう刺激を与えるラインをつくるのが、文章を書くことの醍醐味の一つでもある。』

このブログは、私個人の目標のために書いているが、毎日、数十人の読者もおられる。この読者の方々に対して、何かを感じてもらうことも重要な仕事である。そのためにも「ラインをつくる」ことにチャレンジしていきたい。

『それまでつながっていなかったことがどうつながるのかを、書くという作業を通じて、ゆっくり詰めていくことができる。頭の中で考えて、つながりがなさそうなものの、つながりをとらえることができる人は、かなり訓練を積んだ人だ。』

『普通は、頭の中で考えているだけでは、何となくつながっているのではないかと感じるくらいだ。それを人に伝える言葉で表現できるようになるには、書くという作業が非常に有効なのだ。』

『書いているうちに、そのつながりのラインが明確になっていく。書く訓練はそうした思考の粘り強さを鍛える。』

「つながりのラインを明確にする」というのは、技能でありスキルだと思う。
ゴルフと同様にスキルである。練習が大切であり、練習はうそをつかない。
石川遼選手のDVDをみてイメージトレーニングをすることも重要かもしれないが、実際にボールを打つことが重要である。
その昔、毎週休日の早朝、2時間ほどアプローチの練習をしていた時期がある。
ただひたすらに30ヤードの練習をしていた。
毎回500球ぐらい1〰2年続けた。
ゴルフはたくさん球を打つことで、距離感もつかめ、方向性もよくなる。
スコアメイクがうまくなり、コースに出ても寄せワンでパーを、時にはボギーをキープすることができるようになった。
たくさん練習することで、確実にスコアアップにつながる。
このことは、経験を通じて言えることである。

どうように毎日、たくさんの文字を書くことで、訓練することになり、思考の粘り強さを鍛えることができると信じている。

『いままで世の中になかった考えや表現を生み出すのは、無から有を生み出すようなものでかなり難しい。たとえ、すでにあるものであっても、そこに新しいラインをつくることで十分に「新しいもの」は生み出せる。』

まさにイノベーションである。
ドラッカー流にいえば既存製品に対して新しい用途を見出すのもイノベーションである。
また、「製品の組み合わせ」や「プロセスの組み合わせ」もイノベーションである。
「引用の考え方」と「書き手の考え方」を組み合わせて「新しい考え方」を創造するのも立派なイノベーションである。
どんどん「引用」してイノベーションを習慣化していきたい。
この「イノベーションの習慣化」もスキルである。
たくさん練習することで、スキルアップが可能である。


「引用力」についての考察 前半

2012-04-27 | スキルアップ 文章力
今日は、「引用力」について考察する。


私のブログは「引用」のオンパレードである。それも斎藤孝著『原稿用紙10枚を書く力』の重要な部分を、ほとんど書き写している。
いくつかの理由があるがここでは3つ取り上げる。

まず、ブログの文字数を増やすこと。
そのためには「引用」することが非常に有効である。
このことは、氏の著にも記載されている。
1回のブログには2000字以上を目指している。
自分の言葉や考え方だけ書くのも良いが、引用することでそのことについて考えるため、思考力の訓練にもなり、さらに文章の中身も深くなるからである。
量を増やすことで質のアップにもつながっている。

2つ目の理由は、この本は、非常に論理的であり、具体的な事例も豊富であり、文章を勉強する教材として、優れている。
その優れているお手本を写すことは、すなわち文章のトレーニングになる。
良いお手本のマネをすることが上達の早道である。

3つ目の理由は、氏のファンであることかな。
男が男に惚れるというか。
たまに見るTVに氏がでていれば、チャンネルをとめることが多い。
また、氏の著書も本屋で見つければ、自然と手がでて購入する。
さらに言えば、氏のように1時間半程度の講演を何も見ずにできるようになり、お客様に何らか得るものを提供したいと思うからである。


例のごとく、斎藤孝著『原稿用紙10枚を書く力』から引用する。
本日は『第2章:「書く力」とは構築力である 第1節:「引用力」をつける』から。
小見出しを列挙する。
「書くために読書術」
「読み込む力は、書くことを前提にすると上がる」
「『こなす読書』をめざす」
「制限時間の中で読む」
「問題意識を持って読む」
「『引用』の技を学ぶ」
「テキストを読み手と共有するメリット」
「おもしろいと感じたことをグループ分けにする」
「引用のポイントを外さないコツ」
「引用から文章を組み立てる」
「『気づき』がおもしろさを生む」
以上11の小見出しであり、氏が言いたいことが、この小見出しを見ることでよくわかる。
さらに文字数にこだわってみよう。
この「節」は25ページであり、1行38文字、1ページは15行。合計14000字余りである。四百字詰め原稿用紙に換算すると35枚である。
本は当然、その内容が重要であるが、本として出版するには、ある程度の量も必要である。そのことをこの本では説いているが、実際に文字数を数えてみると、『さすが』というしかない。

では「書くために読書術」から引用をはじめる。
『読書は、読みっぱなしではなく、書く材料として使うつもりで読むのである』
『読書は情報のインプットであるが、単に知識を得るだけでなく、アウトプットを意識すると、より上質な読書ができる。書くことを意識して読むと、インプットの作業、すなわち読書が格段に活性化する。』
『何にどう活用するかという明確な目的意識を持って読書することにより、効率的に読書ができ、さらに情報活用のセンスが磨かれていく。』
『書きたいことを自分の中でキーワードとして意識しておく。そのキーワードを網のように張り巡らせて本を読んでいく。
多くは網の目から流れてしまうが、網=キーワードにひっかかるものがでてくる。それが書くときに使う材料である。
だから、読む前にキーワードを持っていることが大切になる。キーワードがないと、穴のあいた網になってしまう。網とは問題意識と言い換えていいが、あらかじめ書くためには、こんなものが必要だというイメージを持つことである。』

以前フォットリーディングを勉強している友人がこんなことを言っていた。「調べたいテーマなどを意識することで、それに関する情報が向こうから飛び込んでくるようになる」という話を聞いたことがある。まさにキーワードを持つことで、網にひっかかってくるのだと思う。

こちらは私の体験であるが、中小企業診断士の2次試験を勉強していたころの話である。ある予備校の先生から教わったことであるが、「本文を読む前に、設問文を先に読みなさい。出題者が何を求めているか、認識した上で、本文を読むと、ただ漠然と読むとでは、入ってくる情報が異なる。」
まさに目的意識を持つことが重要であり、キーワードを意識することで、インプットの作業が格段と活性化され、その後のアウトプットである答案作成に活かされたことを覚えている。


『3色ボールペンを使って、後で引用できる部分など重要な部分は赤、次いでまあまあ重要な部分を青、個人的におもしろいと感じた部分、興味を抱いた部分を緑で線を引いておく。それらのページに付箋をはったり、ページを折っておいて、後で探しやすいようにしておく。』

私もボールペンを使い、様々な色で線を引くが、気分で色を変えているようなものだ。しかし、氏が言うように、目的を持って色を変えながら線を引くのと、気分で色を変えるのでは、その効果は全然違う。氏が言うように目的意識を強烈に持つことで、その成果は大きく異なる。
今日から、「3色ボールペン」の使い方に対して、意識を持って行動する。


『「引用」の技を学ぶ』にはこんなことが書かれている。
『引用しながら、自分がその文章からどういう刺激を受けたかを書いていく。』

まさに、これである。
『引用』することで、そのテーマに関することが思い出され、そのことを記述しているのがこのブログである。過去の出来事や考えたこと、感じたことを書くことで、そのテーマと経験が結びつきより、鮮明になる。
過去の経験に対するとらえ方が、一面的だったものが多面的になり、考え方の幅がでてくる。
さらにこのような行為を繰り返すことで、記憶の整理にもなり、脳の活性化にもつながる。
『引用』することから生まれる『効用』がたくさんあることはうれしい限りである。
まさにドラッカー流にいえば、『引用』が製品・サービスであり、多面的な考え方や脳の活性化が『効用』となる。
顧客は『効用』を望んでいる。
考えてみると、この場合の『顧客』は私なのかもしれない。
おもしろい結果である。


『私(氏)は、本を読みながら、感じたことや考えたことなどを見返し部分やページの余白に書き込んでいき、日付をつけておく。こうすると本自体が読書ノートも兼ねることになる。』

以前から、余白に気付いたキーワード程度は書いていたが、氏が言うように、「見返しページに感じたことや考えたことを書きこむ」ことにチャレンジしたい。また日付をつけることで、読んだ時の情景を思い出すこととなり、思考の再現が可能となる。
前回読んだときと今回読んだ時の感じ方や考え方の差が明確になり、自分の成長を捉えることも可能になるだろう。

『こうした自分の読書ノートを兼ねた本であれば、後でいろいろな機会に役立つことになる。』

今まで「読書ノート」として本格的につけたことはないが、氏のやり方であれば、私にもできるかもしれない。
良い本であれば、今回のように、ブログを利用した「読書ノート」を作成するのも一案かと思う。
ただし、時間はかかるが、「書く力」「考える力」に対して実力アップにつながると確信している。