What should I be ?
What should I do ?
この言葉は、企業経営においても言えることではないだろうか?
企業において、利益を追求することは重要であり、目的の一つであろう。
景気は回復傾向にあるが、まだまだ苦しい企業もあるのではないだろうか?
ひたすら、利益を追求しても、結果が伴わない企業もあるのではないだろうか?
結果が伴わないということは、そこには何らかの原因があるということ。
因果関係を追求する必要があろう。
結果が伴わない場合、その追求が途中で終わっている場合があるのではないだろうか?
つまり、真の原因まで到達しないで対策をたてるために、
空振りに終わっているのではないだろうか?
では、シュミレーションをしてみよう。
収益向上させるためには、実際にお金を払う顧客に満足してもらうことが必要であろう。
では、「どうすれば顧客が満足するのか」ということを探る必要があろう。
その顧客を満足させるためには、高品質・低コスト・短納期で商品・製品を顧客に提供することであろう。
さらに、「どうすれば高品質・低コスト・短納期で商品・製品を提供できるか」ということを探る必要がある。
その答えは、会社で働く社員や関連会社の人々が前向きで、やる気をだすことである。
次に、「どうすれば社員や関連会社の人々が前向きでやる気をだすか」ということを探る必要がある。
その答えの一つが賃金である。
お金はありがたい。しかし、利益が出ていないのだから十分に払うことはできない。
では、お金の代わりになるものはないだろうか?
お金に代わる原動力は何であろうか?
ここに、一つのヒントがある。
「生財」という西郷隆盛の文章の一部を引用する。
『左伝』にこう書かれている。
徳は結果として財をもたらす本である。
徳が多ければ、財はそれに従って生じる。
徳が少なければ、同じように財も減る。
財は国土を潤し、国民に安らぎを与えることにより、生じものだからである。
小人は自分を利するを目的とする。君子は民を利することを目的とする。
前者は利己をはかって滅びる。後者は公の精神に立って栄える。
生き方次第で、盛衰、貧富、興亡、生死がある。用心すべきでないか。
余人は言う。「取れば富み、与えれば失う」と。なんという間違えか!
農業に例えよう。
けちな農夫は種を惜しんで蒔き、座して秋の収穫を待つ。もたらされるものは餓死のみである。
良い農夫は良い種を蒔き、全力をつくして育てる。穀物は百倍の実りをもたらし、農夫の収穫はあり余る。
ただ集めることを図るものは、収穫することを知るだけで、植え育てることを知らない。
賢者は植え育てることに精を出すので、収穫は求めなくても訪れる。
徳に励む者には、財を求めなくとも生じる。したがって、世の人が損と呼ぶものは損ではなく、得と呼ぶものは得ではない。いにしえの聖人は、民を恵み、与えることを得とみて、民から取ることを損とみた。
今はまるで反対だ。
以上、内村鑑三著「代表的日本人」:ワイド版岩波文庫 P47より
その答えが、古典に、書かれているようだ。
What should I be ?
What should I do ?
経営者の方々は、この言葉をどのように考えて、実行するのであろうか?