hakuunの未来ノート

将来のため、人生やビジネスに関して、考えたこと、感じたことを綴ります。

理想とは

2014-07-31 | 人生観

“理想”を持つということは?

 

あなたは、“理想”を持っているだろうか?

 

小学生や中学生が、「医者になりたい」「サッカー選手になりたい」

そのまま、医者やサッカー選手になる人もいれば、そうでない人もいる。

 

その現実度は、想いの強さに比例するかもしれない。

どのような困難があっても、自分の想いを実現する人もいれば、

ちょっとした障害で挫折する人もいる。

これが、現実社会であろう。

 

一旦社会人にでもなれば、毎日の仕事に追われ、夢や理想どころではない。

結婚をして子供ができれば、生活の中心は、家族である。

自分のことを考える時間や金銭的余裕もなくなってくる。

さらに現実の生活に追われて、年齢を重ねていくのが、一般的ではないだろうか?

 

60歳になれば停年。今は65歳となったが、その中心は現実の生活である。

 

では、

“理想”とは何だろうか?

“夢”とは何だろうか?

 

社会人は、“理想”を持ってはいけないのだろうか?

社会に出たならば、“夢”を持ってはいけないのだろうか?

 

以前書いたが、趣味の世界に没頭することは、

”理想“を追いかけているのではないだろうか?

私の趣味は、ゴルフであった。

ゴルフのスキルアップは、“理想の追求“であると思う。

子供の時、砂遊びに夢中になっていたのは、

「こうしたい、ああしたい」という夢を追いかけていたのではないだろうか?

このようなことは、どこにもあろう。

 

 

仕事の上でも、「あの部長のような専門性を高めたい」

「取引先の社長のように、マネジメント力を高めたい」

と思い、資格にチャレンジするビジネスマンもいるだろう。

誰でも24時間は一緒である。

酒を飲む時間を削り、さらに朝1時間早く起きて勉強する。

このような人は、理想像に向かって、着実に前進している。

 

 

人間としての理想は何であろうか?

どのような人生を歩むのが理想像なのであろうか?

 

自分の近くに、尊敬する人物がいて、その人のような人生を歩みたい、

と思うのが理想像の追求ではないだろうか?

 

もし、近くに尊敬する人物がいない場合、歴史上の人物でもOKである。

 

ノーベル賞を取った人物や偉人伝に出てくるような人物。

その人を理想像とすることもできるのでは、ないだろうか?

 

本当に心から、そのような人物に出会えた場合、

人はどのような行動にでるだろうか?

 

はじめに思うのは、現実と理想像のギャップである。

そのギャップを知ったとたんに、「ギャフン」となる人もいるだろう。

一方で、そのギャップを一歩一歩、歩んでいく人もいるのではないだろうか?

 

高校時代の先輩に、「北里博士のような医者になる」と言った人がいる。

あまり勉強はできなかったが、その決意表明してからは、猛勉強である。

現役で、国立の医学部に合格した。

 

やはり、目標が具体的に決まれば、人間努力する。

その努力も、苦しみではなく、楽しみである。

なぜならば、努力することにより、自分の理想像に近づいているからである。

 

であるならば、小学校や中学校の時に、自分の理想像を見つけることができれば、

その後の人生は大きく変わってくるのではないだろうか?

 

「大工さんなりたい」「ケーキ屋さんになりたい」

良いことである。

ただ、「大工さんになって、どうしたいのか?」と具体的に言えるかである。

例えば、「○○大工さんのように、快適な住環境を提供して、お客様の笑顔を見たい」

 

このような理想像を持ったならば、

小学生の時から、勉強の取組み方や社会に対する目の向け方が、

大きく変わってくるだろう。

 

その結果、その子の人生は、素晴らしいものとなるだろう。

 

最近の若い人達は、自分のキャリア形成に悩んでいるようである。

原因の一つは、“理想像”が見出せないことである。

 

“理想像”を見つけるのは、学校だけではない。

むしろ、社会生活の中にあるのではないだろうか?

また、良書をたくさん読むことで、そのヒントを得ることができるのではないだろうか?


好きこそモノの上手なれ 砂遊び編

2014-07-29 | スキルアップ

私は、土木技術者である。

 

なぜ、土木技術者になったかというと、幼稚園を入る前、

毎日砂遊びをしていたというのが、原点になっている。

公園にあるような小さな砂場ではない。

私の家の前には、長さ10m、幅3m、深さ1mの工事用の砂置場があり、

本格的な砂場である。

そこで朝から晩まで、毎日毎日遊んでいた記憶がある。

 

朝飯を食べると、一目散に砂場へ目がけてダッシュである。

工事用の砂置場の砂は乾燥しており、砂遊びをするには最適ではない。

そこで、家から水を運ぶのである。

赤い小さなバケツで、家から何度も何度も水を運ぶ。

10回20回位運んだだろうか?

砂に水を混ぜて、砂を固めて、山を造る。

その山も高さは、自分の身長ほどの大きさである。

こうなると本格的な砂遊びである。

山ができると、頂上からビー玉が通る道を、山に沿って造る。

道ができると、山の頂上から、ビー玉をゴロゴロゴロと転がして遊ぶ。

何度も何度もビー玉を転がして遊んでいると、飽きてくる。

 

そのうちに、山の中腹にグルグリグリとトンネルを掘りだす。

山の造り方が柔いと、途中で落盤し、トンネルが崩壊する。

そうなると、山から造り直しである。

また、家から赤いバケツで、水を何度も何度も運んで砂を固めて、山を造る。

トンネルに再チャレンジである。

今度は、完成である。

ビー玉が、このトンネルを抜けて、反対側から出てきた瞬間は、最高の気分である。

 

更に、もう一つ山を造り、山と山との間に橋を造ることにチャレンジ。

橋の材料は、庭にある古い材木の木片である。

これで橋を造る。

ここまでくると1日では、できない。

2日か、3日かかったと思う。

 

途中で、工事用のトラックが来て、砂を持ち出してしまい、全てなくなってしまったこともあった。

今で言えば、山がなくなってしまう大災害である。

でも、また2~3日すると、砂が大量に来る。

 

そうなると、私の出番であり、ゼロからスタートである。

 

でも、当時は落ち込むことが全くなかった。

 

なぜならば、好きなのである。

 

当時の私は、砂遊びが大好きなのである。(今も好きであるが:笑)

そのために、何があっても、へこたれないし、再度チャレンジする。

砂遊びをしている間は、楽しい時間である。

であるから、色々と工夫して、トンネルを掘り、橋を架けたりする。

完成すれば、楽しい。

自分が工夫したことが、上手く行けば、これほど幸せなことはない。

 

今考えると、これは、立派な“成功体験”である。

 

どうすれば、楽しめるか、喜びを得ることができるか、

その方法を当時の私は学んだのだと思う。

 

「好きこそモノの上手なれ」というが、

子供の時や学生の時に、この“成功体験”を積むことが、その後の人生に大きく役立つ。

 

当時は“ただの砂遊び”であるが、今考えると、貴重な経験である。

 

親の役目は、子供に徹底的に好きなことをやらせて“成功体験”を積ますことだと思う。

その点、私の両親や祖父母は、砂遊びを通じて“成功体験“を学ばせてくれた。

 

このことに関して、両親や祖父母に、感謝している。

 

次回は、クラブ活動について書きたい。


好きこそモノの上手なれ

2014-07-28 | スキルアップ

「好きこそモノの上手なれ」

 

この言葉を聞いて、どのようなことを感じるだろうか?

どのようなことを思い出すのだろうか?

 

「好きなこと」をやるのは楽しい。楽しいことは時間を忘れる。

時間が忘れるほど、熱中して取り組んでいる。

その結果、新たな発見をしたり、新たな気づきが見えたりする。

そうすると、また楽しくなり、より好きになる。

 

昔、ゴルフに熱中していたことがある。

もともと自然の中で汗を流すのが好きである。

練習を一生懸命にやって、

ドライバーでボールがまっすぐ飛ぶ爽快感は忘れることができない。

真直ぐに飛べば、また練習したくなる。

コースの帰り道に、練習場に良く立ち寄ったことを覚えている。

 

アイアンもしかりである。

ショートコースで、150Yをぴったり寄せた快感は忘れることができない。

ミドルコースでは、軽くドローをかけたら、またピンに寄って行った。

つま先下がりのライから打ったボールは、軽いフェードがかかりピンに寄っていく。

こうなると、楽しくて仕方がない。

 

セカンドショット。平らなところはまずない。

“つま先下がり“や”左足あがり“など、フラットなケースはほとんどない。

その対策に、どうしたか?

現場の大工さんから、合板と桟木をもらい、斜面を造ったとがある。

大きさは1m四方である。

そこをコースの斜面とみなして、毎日素振りをした。

どのように打てば、ボールを払うように打てるか、試行錯誤の連続である。

レッスン本を読み、実践してみて、反省する。

さらに工夫して、合板斜面の上で、レッスンする。

週末には、コースに出て、自分で築いた打ち方をやってみる。

“つま先上がり”の斜面では、少々短く持って、前に押し出すように打つと、

軽いドローぼーろとなり、ピンに寄っていく。

この快感がたまらない。

一打でも成功すると、また翌日からの練習に励みとなる。

 

まさに、“好きこそものの上手なれ”である。

自分の好きなことは、一生懸命にやるし、それに関して勉強したり、調べたり、工夫する。

これだけ努力すれば、当然、上達もしてくる。

しかし、本人にとって、この努力は苦痛ではない。

むしろ、楽しみなのである。

飯を食べずに、取り組んでいる時間が、この上ない幸せな時間なのである。

 

さらに、アプローチ、パターと同じように、創意工夫を繰り返していった。

コースに出ている間は当然のこと、24時間ゴルフのことを考えていた。

電車の中でも、自分の課題に対して、どうすれば上手くなるか考える。

そこで考え付いたアイデアを練習に活かす。さらにコースに出て、実践する。

また、家に帰れば、反省ノートの山である。

 

イメージ力の弱い私でも、これだけ創意工夫をすると、徐々に結果が出た。

120、130と叩いてゴルフが、100を切り、90台に突入。

さらに80台で安定し始めて、たまに70台も出るようになった。

楽しいばかりであった。

 

 

この“ゴルフ“という単語を”勉強”と言う言葉に置き換えてみよう。

 

また、この“ゴルフ”と言う言葉を“仕事”という単語に置き換えてみよう。

 

ゴルフと同じストーリーを言うことが可能である。

 

その根本が、“好きであること”だと思う。

何をするにしても、“好きになること”である。

好きになれば、7割成功したのと同じである。

後は、何も言わなくても、勝手に動きだす。

 

親が子供に勉強させたければ、“勉強の楽しさ”を教えるだけである。

後は、勝手に子供が楽しみながら勉強するだろう。

 

上司は、部下に“仕事の楽しさ”を教えるだけである。

そうすれば、部下は創意工夫して、上司の要望以上の仕事を楽しんで行うだろう。

 

“好きこそモノの上手なれ”とは、良く言ったものである。