hakuunの未来ノート

将来のため、人生やビジネスに関して、考えたこと、感じたことを綴ります。

あなたのエベレストは

2013-05-24 | 人生観

久々に清々しい社説を読んだ。

それは、2013年5月24日付の東京新聞の社説である。

タイトルは「三浦さん登頂 あなたのエベレストは」である。

 

昨今、新聞をはじめTVの報道に対して、いささかうんざりしていたが、

今日の「東京新聞社説」は、素晴らしかった。

論説委員に対して、称賛の拍手を送りたい。

 

今回のテーマは「80歳でエベレスト登頂」である。

このテーマのとらえ方により、様々な論説が書ける。

その一つに、「80歳」ということを高齢者問題と結びつけていた「社説」ものもあった。

このような書き方も確かにあるが、残念ながら私の心に響くものはなかった。

一方で、「東京新聞社説」を読んだ際、素直に「素晴らしい!」と感じた。

「エベレスト登頂」を人生に例えていることだ。

多くの壁を乗り切るためには、夢が必要である。

夢があれば、具体的な計画を打ち立て、その目標に一歩一歩前進するだけである。

一度たてた計画は「絶対」ではなく、必要に応じて修正するが、

あきらめずにゴールを目指すことである。

夢があれば、辛い努力も、ワクワクしながら楽しめる。

さらに、過去に成功体験があれば、辛い体験(プロセス)にも意義を見出すことができ、

夢の実現に近づくことができる。

 

三浦氏は、高校の校長先生でもある。

今朝のTVでは、在校生の喜ぶ姿が放映されていた。

「夢の実現」

行動で示した三浦校長先生。

高校生にとって、人生の素晴らしい教科書である。

 

 以下に、社説を引用する。

 

『冒険家の三浦雄一郎さんがエベレスト登頂に成功した。傘寿の偉業だ。「世界最高峰を世界最高齢で踏破する」ため、準備をしてきた。齢(よわい)を重ね三度立った山頂からのメッセージを受け取りたい。

 半年前の三浦さんは、階段を十段上っただけで息を切らせていた。不整脈の持病もあり、これまで手術を四回受けている。七十六歳のときには、スキー事故で骨盤と大腿(だいたい)骨を折る大けがもした。

 決して超人ではない体と向き合いながらの挑戦だった。そこには長寿社会を生きる私たちが受け取りたい思いがある。

 高齢登山は年齢が壁となった。それを三浦さんは「素晴らしい壁」と言う。若い登山家が厳冬期や無酸素での登山などの壁を設定し挑戦するのと同じと考える。乗り越えるべき存在という意味だ。

 高齢になれば持病を抱え、体も思うように動かなくなる。それを受け入れ乗り越えようとする姿勢は、どこまでも前向きだ。

 どう乗り越えるか、その準備を入念にした。キーワードは「時間をかける」と「柔軟性」だ。

 高所に慣れる時間を十分に取った。実際のアタックでもルートで滞在するテント数を増やし通常よりゆっくりしたペースで登った。以前できたことが加齢でできなくなっても焦らない。その分時間をかけて対処した。

 登山ペースがゆっくりだと天候の長期予想が難しくなる。体調がいつどう悪くなるか分からないリスクもある。生かせる過去の経験を持ちながらも、八十歳での登山は初体験である。

 事態に柔軟に対応することを心掛け、遠征が始まると当初計画にはこだわらなかったという。

 何よりも三浦さんの原動力となったのは、目標を持つことだ。登山を始めたきっかけは六十歳のとき、メタボ対策だった。当時、自身の体の状態を見て目標を失っていたことに気付いた。

 エベレストの頂に目を据えてからは生き生きとした姿が伝わってきた。いくつになっても目標を持って生きる大切さをあらためて示した。

 自著「私はなぜ80歳でエベレストを目指すのか」(小学館)で、三浦さんは「本当に大切なのは、(中略)目標があって生きていると、とても楽しいという事実を知っているか、体感したことがあるかどうか、なのだ」と語っている。

 そしてこう呼び掛けている。

 「あなたのエベレストを見つけてほしい」』

 

何度読んでも素晴らしい文書であり、心に響く。

 

「自分のエベレスト」に向かって頑張ろう!!


高校時代の教え

2013-05-19 | 社会現象

高校時代の先生から教えていただいたことで、覚えていることの一つに

「真実と事実」

がある。

この「真実と事実」をよくわきまえること

と言われたことを鮮明に記憶している。

世の中には、事実ではあるが、真実でないことがある。

そのことをしっかり見抜ける人間に育ってほしい。

当時の先生は、このようなことを生徒に教えていた。

 

この言葉について、最近の新聞・雑誌・TV等の報道をみると、

当時の先生は素晴らしかったと、心から思う。

 

「真実と事実」

 

別な言い方をすれば、「全体と部分」に近いかもしれない。

部分は全体に含まれているが、全体を表すものではない。

例えば、某知事の発言のごく一部を大々的に報道した海外の某新聞社。

確かに、部分は事実であるかもしれないが、全体を表しているものではない。

本来、取材する側は、事実という情報をたくさん集めて、

真実は何か、

ということを報道するのが役目だと思う。

取材した情報を発表するのであれば、

重箱の隅を突っつくのではなく、

本当の真意は何か、

ということを言うべきであろう。

それが、取材した側の責務である。

某知事の件に関して、今のマスコミの報道手段として当然だ、

だから某知事が気を付けるべき、と某新聞でみたが、

そのモラルの低さには驚かされる。

 

話す方は、信頼関係の中で、様々な話をしていると思う。

1時間2時間と話していれば、多少の脱線もあるだろう。

その点、昔の報道は、偉かったと思う。

多少の脱線があっても、取材側の判断で適切に処理したり、

真意を質して、真実を報道していた。

そこには、両者の信頼関係が成り立っていたと思う。

そのため、読者は新聞等の主張は、真実と受け止め、信じていた。

しかし、最近の報道をみると、上げ足をいかにすくうか、

それを競っているようで情けない思いがする。

部分ばかり、それもほんの一部分だけを大々的に報道している。

視聴率さえ稼げればよい。そんな風潮なのか。

本当の真実なんて、視聴率がとれないから、関係ないのであろうか。

これこそ、ごく一部の事実であって、真実ではないと願いたい。

これからは、

真実か、事実か、

受け止める我々が、しっかり判断しなければならない。

そのような時代になっている。

高校時代の先生は、本当に素晴らしいアドバイスをくれたと感謝している。

 


父の本

2013-05-14 | 親孝行

人の事業の大きさは、

自己の信念以上に超えることは決してない。

『為せば成る。

為さねば成らぬ何事も

成らぬは人の為さぬなりけり』

これに優る名言はない。

 

人間は、どれほど自分の可能性を信じても

信じすぎると言うことはないのである。

なぜならば「本当の自分」は神人であって、

無限の力を発揮し得るものであるからである。

 

諸君よ、

自己の朝の頭脳の明快な時間を

生かすと捨てるとでは、

諸君自身の偉大と矮小と、

成功と失敗と、

博学と無学とが

分かれることを知れ。

 

父の本を久しぶりに読んでいる。

父が元気な時は、父親との会話は少なかったと思う。

内面的な課題に対して、人に語ることは少ないし、まして父親と相談することもなかった。

今にして思えば、もっともっと人生について、教えてもらえばよかったと思う。

 

父の半生を書いた本。

以前には、気づかないことがたくさん書かれている。

改めて、父の本を読むことで、父の偉大さがわかる。

人生の指南書を残してくれた父に心から感謝している。

 


ライアン小川 頑張れ!!

2013-05-01 | 人生観

ヤクルトの小川投手。

清々しい青年である。

ノーラン・ライアン投手のフォームを真似た独特のスタイルである。

学生時代、師を徹底的に研究して、自分のものにしたという。

昨日、TVを見ていて、「若いのにしっかりしているな」という感想を持った。

体格は171cmであり、プロ野球選手としては小兵である。

190cmを超す日本ハムの大谷投手や阪神の藤浪選手のような大型選手ではない。

大谷投手や藤浪投手は持って生まれた資質があり、親に感謝すべきものであろう。

その資質を持って努力しているから、結果はでるし、さらに鍛錬すれば、将来プロ野球を背負っていく選手になるだろう。また、なってほしいと思う。

 

一方、小川投手は、努力家の代表であろう。

体格では勝てない。

でも心では勝てる。

絶対に勝つ。

心は無限大である。

このようなことを彼は言っていた。

 

「心は無限大」

 

素晴らしい言葉である。

まだ、20代前半の若人が、心の可能性を見抜いていることには驚きである。

さらに、人一倍努力し、結果を出していることには驚嘆すべきことである。

プロ野球の結果に対して一喜一憂するのも良いが、

このような若者に教えられることも楽しみの一つである。

 

次に、どのようなコメントが出てくるか楽しみである。

 

ライアン小川 頑張れ!!