hakuunの未来ノート

将来のため、人生やビジネスに関して、考えたこと、感じたことを綴ります。

我慢する力

2014-11-02 | スキルアップ

我慢する力

 

我慢する力は、忍耐力ともいう。

意志の力でもある。

 

この我慢する力は、どのようにすれば、

鍛えることができるのであろうか?

そのヒントがことわざや格言にある。

 

・若い時の苦労は買ってでもせよ

・かわいい子には旅をさせよ

・愛しき子には杖で教えよ

・可愛い子には灸を据えよ

・獅子の子落とし

・獅子の子育て

・他人の飯を食え

 

などなど、たくさんある。

 

このような格言やことわざがいつからあるか知らない。

ただ、格言やことわざは、多くの人の経験や体験、

さらに人間の生き方を示すものであることはわかる。

 

我慢する力、耐える力は自分の心の問題である。

 

戦前は、修練の授業や武士道を学ぶことで、社会全体が心の教育を行ってきた。

ある意味、半強制的に心を鍛えてくれたのである。

 

善悪の判断もしかり、耐え忍ぶ大切さを教えてきた。

 

家庭においても、厳しく子供を教育してきた。

 

昨日、TVで内藤選手がでていた。ボクシングの元世界チャンピョンである。

お母さんの話では、自分も女であるにもかかわらず親に厳しく育てられた。

自分の子供は、男であるから、厳しく育てるのは当然である。

このようなことを言っていた。

内藤選手は、20歳でボクシングに出会い、30歳で世界チャンピョンである。

私はその世界は知らないが、相当厳しいトレーニングを重ねてきたと思う。

子供の時に、厳しく育てられているから、我慢強い。

忍耐力があるから、努力を重ねることができる。

努力を重ねることで、一歩一歩頂点へ向かって行ったのである。

内藤選手のお母さんは、良い教育者である。

子供の時に、耐える力を学ばせたのである。

 

この忍耐力、我慢する力は、私はスキルと考える。

繰り返し行うことで、その技量は高まる。

スポーツや学問と同じである。

 

昨今、我慢する機会が減ってきていると思う。

 

忍耐力が弱い子供は、世の中の抵抗力が無い。

かわいそうである。

 

受験を考えてみる。

受験勉強、詰め込み主義など弊害もあるかもしれない。

一方で、遊びたい時期に、自分の心を制して、勉強に取り組む。

このことは、心を鍛えるには最高の環境である。

このことを忘れないでほしい。

 

スポ根も同じである。

いまのスポーツ団体は、根性だけでは人が集まらず、

個人の自主性を重んじている。

コーチングを使い、自ら考えて答えを出していく。

素晴らしいやり方である。

 

一方で、世の中の荒波は厳しい。

晴れの日もあれば、土砂降りの日もある。

土砂降りの日に、平然としている人もいれば、

ヨレヨレになってしまう人もいる。

その差は、忍耐力であり、意志の力である。

 

今の時代、星飛雄馬の親父のように、

強制的に鍛えてくれる場が少ない。

これは、子供の将来にとって、良いことか?否か?

 

自分自身で意思の力を鍛える方法もある。

 

これは、筋力トレーニングと同じで、毎日繰り返すことである。

 

例えば、

・カードを使わない生活にする

・タバコを半分にする

・甘いものを控える

・酒をやめる

・資格試験を目指す

・夜はスマートフォンを使わない

・門限を守る

・朝30分早起きをして、勉強する

などなど自分の心と戦うのである。

 

意志の力が強ければ、我慢して勉強を続けることができ、

難しい国家資格を取ることができる。

頭の良し悪しでは、ない。

 

我慢する力、忍耐力が有るか無いかである。

 

意志の力強くなれば、精神力が強くなる。

その結果、様々なプレッシャーにも負けない心ができる。

 

後は、忍耐力を鍛えるだけである。

自分で決めたことを守ることで、我慢する力が徐々に強化される。


好きこそモノの上手なれ 砂遊び編

2014-07-29 | スキルアップ

私は、土木技術者である。

 

なぜ、土木技術者になったかというと、幼稚園を入る前、

毎日砂遊びをしていたというのが、原点になっている。

公園にあるような小さな砂場ではない。

私の家の前には、長さ10m、幅3m、深さ1mの工事用の砂置場があり、

本格的な砂場である。

そこで朝から晩まで、毎日毎日遊んでいた記憶がある。

 

朝飯を食べると、一目散に砂場へ目がけてダッシュである。

工事用の砂置場の砂は乾燥しており、砂遊びをするには最適ではない。

そこで、家から水を運ぶのである。

赤い小さなバケツで、家から何度も何度も水を運ぶ。

10回20回位運んだだろうか?

砂に水を混ぜて、砂を固めて、山を造る。

その山も高さは、自分の身長ほどの大きさである。

こうなると本格的な砂遊びである。

山ができると、頂上からビー玉が通る道を、山に沿って造る。

道ができると、山の頂上から、ビー玉をゴロゴロゴロと転がして遊ぶ。

何度も何度もビー玉を転がして遊んでいると、飽きてくる。

 

そのうちに、山の中腹にグルグリグリとトンネルを掘りだす。

山の造り方が柔いと、途中で落盤し、トンネルが崩壊する。

そうなると、山から造り直しである。

また、家から赤いバケツで、水を何度も何度も運んで砂を固めて、山を造る。

トンネルに再チャレンジである。

今度は、完成である。

ビー玉が、このトンネルを抜けて、反対側から出てきた瞬間は、最高の気分である。

 

更に、もう一つ山を造り、山と山との間に橋を造ることにチャレンジ。

橋の材料は、庭にある古い材木の木片である。

これで橋を造る。

ここまでくると1日では、できない。

2日か、3日かかったと思う。

 

途中で、工事用のトラックが来て、砂を持ち出してしまい、全てなくなってしまったこともあった。

今で言えば、山がなくなってしまう大災害である。

でも、また2~3日すると、砂が大量に来る。

 

そうなると、私の出番であり、ゼロからスタートである。

 

でも、当時は落ち込むことが全くなかった。

 

なぜならば、好きなのである。

 

当時の私は、砂遊びが大好きなのである。(今も好きであるが:笑)

そのために、何があっても、へこたれないし、再度チャレンジする。

砂遊びをしている間は、楽しい時間である。

であるから、色々と工夫して、トンネルを掘り、橋を架けたりする。

完成すれば、楽しい。

自分が工夫したことが、上手く行けば、これほど幸せなことはない。

 

今考えると、これは、立派な“成功体験”である。

 

どうすれば、楽しめるか、喜びを得ることができるか、

その方法を当時の私は学んだのだと思う。

 

「好きこそモノの上手なれ」というが、

子供の時や学生の時に、この“成功体験”を積むことが、その後の人生に大きく役立つ。

 

当時は“ただの砂遊び”であるが、今考えると、貴重な経験である。

 

親の役目は、子供に徹底的に好きなことをやらせて“成功体験”を積ますことだと思う。

その点、私の両親や祖父母は、砂遊びを通じて“成功体験“を学ばせてくれた。

 

このことに関して、両親や祖父母に、感謝している。

 

次回は、クラブ活動について書きたい。


好きこそモノの上手なれ

2014-07-28 | スキルアップ

「好きこそモノの上手なれ」

 

この言葉を聞いて、どのようなことを感じるだろうか?

どのようなことを思い出すのだろうか?

 

「好きなこと」をやるのは楽しい。楽しいことは時間を忘れる。

時間が忘れるほど、熱中して取り組んでいる。

その結果、新たな発見をしたり、新たな気づきが見えたりする。

そうすると、また楽しくなり、より好きになる。

 

昔、ゴルフに熱中していたことがある。

もともと自然の中で汗を流すのが好きである。

練習を一生懸命にやって、

ドライバーでボールがまっすぐ飛ぶ爽快感は忘れることができない。

真直ぐに飛べば、また練習したくなる。

コースの帰り道に、練習場に良く立ち寄ったことを覚えている。

 

アイアンもしかりである。

ショートコースで、150Yをぴったり寄せた快感は忘れることができない。

ミドルコースでは、軽くドローをかけたら、またピンに寄って行った。

つま先下がりのライから打ったボールは、軽いフェードがかかりピンに寄っていく。

こうなると、楽しくて仕方がない。

 

セカンドショット。平らなところはまずない。

“つま先下がり“や”左足あがり“など、フラットなケースはほとんどない。

その対策に、どうしたか?

現場の大工さんから、合板と桟木をもらい、斜面を造ったとがある。

大きさは1m四方である。

そこをコースの斜面とみなして、毎日素振りをした。

どのように打てば、ボールを払うように打てるか、試行錯誤の連続である。

レッスン本を読み、実践してみて、反省する。

さらに工夫して、合板斜面の上で、レッスンする。

週末には、コースに出て、自分で築いた打ち方をやってみる。

“つま先上がり”の斜面では、少々短く持って、前に押し出すように打つと、

軽いドローぼーろとなり、ピンに寄っていく。

この快感がたまらない。

一打でも成功すると、また翌日からの練習に励みとなる。

 

まさに、“好きこそものの上手なれ”である。

自分の好きなことは、一生懸命にやるし、それに関して勉強したり、調べたり、工夫する。

これだけ努力すれば、当然、上達もしてくる。

しかし、本人にとって、この努力は苦痛ではない。

むしろ、楽しみなのである。

飯を食べずに、取り組んでいる時間が、この上ない幸せな時間なのである。

 

さらに、アプローチ、パターと同じように、創意工夫を繰り返していった。

コースに出ている間は当然のこと、24時間ゴルフのことを考えていた。

電車の中でも、自分の課題に対して、どうすれば上手くなるか考える。

そこで考え付いたアイデアを練習に活かす。さらにコースに出て、実践する。

また、家に帰れば、反省ノートの山である。

 

イメージ力の弱い私でも、これだけ創意工夫をすると、徐々に結果が出た。

120、130と叩いてゴルフが、100を切り、90台に突入。

さらに80台で安定し始めて、たまに70台も出るようになった。

楽しいばかりであった。

 

 

この“ゴルフ“という単語を”勉強”と言う言葉に置き換えてみよう。

 

また、この“ゴルフ”と言う言葉を“仕事”という単語に置き換えてみよう。

 

ゴルフと同じストーリーを言うことが可能である。

 

その根本が、“好きであること”だと思う。

何をするにしても、“好きになること”である。

好きになれば、7割成功したのと同じである。

後は、何も言わなくても、勝手に動きだす。

 

親が子供に勉強させたければ、“勉強の楽しさ”を教えるだけである。

後は、勝手に子供が楽しみながら勉強するだろう。

 

上司は、部下に“仕事の楽しさ”を教えるだけである。

そうすれば、部下は創意工夫して、上司の要望以上の仕事を楽しんで行うだろう。

 

“好きこそモノの上手なれ”とは、良く言ったものである。


実務に役立たない研修

2014-01-14 | スキルアップ

 

●実務に役立たない研修

 

あなたは、社内・社外研修に参加して、勉強した気分になっていませんか?

あなたは、研修で学んだことを、実生活で活用していますか?

あなたは、研修で学んだことを、業務に反映していますか?

 

学んだことが全て、業務に活かせているのであれば、非常に良いことである。

ぜひ、その手法を継続していただきたい。

 

一方で、「その場限り」の人もいるのではないだろうか?

研修に参加してその気にはなったが、実務で活かすことができない人はいませんか?

私も実務では活かせない「その場限り」の一人であった。

 

その原因は、どこにあると思いますか?

 

研修に参加することで、新たな知識を吸収することができる。

新しいことを知ることで、脳へのインプットとなり、脳への刺激となってボケ防止に役立つ。

非常に良いことである

 

しかし、なぜ、研修で学んだことが実務で使えないのであろうか?

 

 

●3つの段階

 

私は、産業カウンセラーの勉強を通して、「傾聴」というスキルを「知る」ことができた。

その後、様々な研修において、グループワークを行い、「傾聴」が「できる」ようになった。

さらに、日常業務においても自由に「使える」ようになった。

 

スキルの習得には、このように3段階のレベルがある。

レベル1の段階では、「知る」ことである。

レベル2の段階では、「できる」ことである。

レベル3の段階では、自由に「使える」ことである。

 

ゴルフやテニスなどのスポーツ、料理、音楽等は、すべて「傾聴」と同じようにスキルである。

「スキル」と表現できるものは、この3つの段階を意識すると、分かりすい。

 

仕事も「傾聴」と同じようにスキルである。

であるならば、この3つの段階を確認することである。

 

 

●ワーク中心の研修

 

スキルであるならば、はやくレベル3の段階に到達する必要がある。

つまり、「使える」レベルになって、研修が生きるのである。

 

講義方式の研修では、レベル1の段階である。

レベル1とは、知識の習得である。結果的に「わかる」ということになる。

 

最近では、「ワーク」を採用するの研修が多くなってきている。

ワーク中心の研修では、「知る」レベルから「できる」レベルに引き上げることが可能となる。

実際にワークで体験することで、「知る」レベルから、「できる」レベルに引き上げられる。

 

 

●ワーク研修の方法

 

先日、アサーションの研修を受けた。

レベル1では、アサーションを「知る」ことである。

アサーションとは、簡単に言えば、相手を尊重しつつ、自己責任で具体的に自己主張するということである。

1.相手を尊重する。・・・日頃の感謝の念を伝える

2.自己責任で話す・・・何ができて、何ができないか、明確に話す

3.具体的に要求する・・・繰り返し、繰り返し、繰り返し、具体的に要求する

 

これを各自のテーマで行うのである。

ワークを行うことで、「知る」というレベル1から「できる」というレベル2になる。

さらに、このワークを行う際、行為者と相手役の他に観察者を置く。

ワーク終了後に、行為者から順番に、「できたこと」と「課題」について述べる。

行為者自身の反省以外に、相手役や観察者のアドバイスをもらうことができる。

この反省やアドバイスが重要となる。

 

 

●同じテーマで3回行う

 

ワークを同じテーマで、3回繰り返すのである。

その都度、「できたこと」と「課題」を述べ合う。

3人で3回、反省を含めて課題抽出を行うことになる。

これは、非常に有効な手段である。

同じテーマで繰り返しワークを行うことで、そのワークの質が高まる。

当然1回目より2回目、2回目より3回目とレベルは上がってくる。

行為者からみれば、その都度気づきの連続である。

 

時間があれば、代表ワークを参加者全員の前で行う。

繰り返し、行うことで、レベル1(知る)に近かった「できる」が、レベル3(使える」に近づいていくことになる。

 

このように、同じ内容で、繰り返し行うことで実務に役立つ研修となる。

 

 

あなたが今まで経験した研修は、実務に役立っていますか?


「褒めること」はスキルである

2013-09-04 | スキルアップ

質問1

人を褒めることを知っていますか?

質問2

人を褒めることをできますか?

質問3

無意識に人を褒めることができますか?

 

この3つの質問、どのような意味があると思いますか?

 

誰でも質問1の「褒めること」は知っていると思う。

小学生でも、中学生でも、大人でも「褒めること」は知っている。

しかし、「褒める」効用を知らないために、褒めない大人が結構いる。

褒めることは、「自分の沽券に関わる」と感じている大人がいる。

そのような大人は、「褒めること」をしないために、いざというときに褒めることができない。

 

質問2に対して、多くの人はYESと答えるだろう。

その際、質問3との違いは、意識するか、無意識かである。

多くの人が、褒める大切さを知っているが、無意識に褒めているかどうかわからない。

私も、この点において、考えることが多々ある。

名刺交換をした際、どうであろうか?

名前を読み、会社名を確認する。

それで終わり、という人が多いのではないだろうか?

逆に言うと、ここで相手を褒めることができたら、相手はその人を好きになる。

人間関係も良くなり、その後の仕事もスムーズにいくだろう。

「このお名前の意味は・・・ですか?ご両親の思いが詰まっているのですね」

と褒めれば、自分名前を通じて、自分の両親をも誉めてくれるので、この上なく嬉しい。

質問3にあるように、無意識にできる人は、そのスキルは高い。

 

質問1、質問2、質問3と段々とレベルが高くなる。

考えてみると、「褒める」ということは、野球やゴルフと同じように、スキルである。

であるならば、ゴルフが上達するには、練習が必要なように、「褒める」ことのスキルアップするためには、トレーニングが必要である。

 

質問3のレベルを目指すならば、日々トレーニングをする必要がある。

会社の中で、家庭の中で、スポーツクラブで、様々な機会を通じて、「褒める」練習をしよう。

ゴルフでは、最初は空振りやダフリの連続である。

しかし、あきらめずにひたすら練習すれば、100の壁を破り90台で回ることもできる。

さらに、練習を重ねることで、80台、70台を目指すことも可能である。

 

どのスポーツでも同じだが、ゴルフをちょっと練習しただけで、100を切り、90台、80台、70台という訳にはいかない。

そこには大きな壁がある。

そこにどのような壁があるか、個人によって異なる。

よく見極めた上で、練習する必要がある。

 

「褒めること」も同様である。

質問1、質問2、質問3とレベルが上がるに従い、壁が存在する。

どのような壁なのか?

人それぞれ、経験も違うし人生観も違う。

よく、個人の考え方や価値観を分析して、対応する必要がある。

どのような方法をとればよいのか、見極める必要がある。

後は、ひたすら練習である。

 

「褒める」ことが不得意なおじさんでも、練習を重ねることで、無意識で褒めることができるようになる。

ゴルフクラブを「人」に置き換えるだけである。

相手が気づいていない点を無意識に褒めることができれば、相手はその人が好きになるだろうし、尊敬の眼差しで見てくれるだろう。

その結果、良好なコミュニケーションを取ることができ、より良い人間関係を築くことができる。

褒めることは、人生を豊かにするためにキーワードである。