hakuunの未来ノート

将来のため、人生やビジネスに関して、考えたこと、感じたことを綴ります。

What should I be ?

2014-05-22 | 明日への気づき

●古典

 

古典を読みなさい。

偉人の伝記を読みなさい。

と、遠い昔に、何度も言われたことを思い出した。

 

なぜ、古典が良いのだろうか?

偉人の伝記を読む目的は何だろうか?

 

このような質問をされた場合、どのように応えるだろうか?

 

今の若い人々は、どう考えているのだろうか?

 

勉強する目的は、大学入試に合格すること。

そのために勉強している人も多いのではないだろうか。

 

ここ10年で、電車の中の風景が変わった。

半数前後の人たちが、スマートホンをいじっている。

本を読んでいる人は、一割に満たないのではないだろうか?

 

 

●言葉

 

「What should I be ?」

「What should I do ?」

 

この二つの言葉、父が若い時に、日記に書きとめた言葉である。

それをまとめた本が、今手元にある。

 

若い時、誰もが自分の将来について考えると思う。

自分は、サッカー選手になりたい。保母さんになりたい、と夢を語る人もいるだろう。

一方で、将来の夢を描くことができずに、悩んでいる若者も多いのではないだろうか?

とりあえず、大学でも行って考えよう、という人もいるだろう。

 

 

●自分

自分の夢を語れない若者たち。

その結果、どのような人生が待ち構えているのだろうか?

今の就活をみると、大変厳しいようである。

なかなか就職が決まらず、就職浪人する若者もいるようだ。

しかし、一方で、しっかりと自分の夢を実現するために、

就職している若者もたくさんいる。

 

その差は、なんだろうか?

頭の良し悪しであろうか?

学校の良し悪しであろうか?

 

一つの切り口として、「自分を持っているか?」が考えられる。

 

「What should I be ?」

「What should I do ?」

 

この二つの言葉を、じっくり考えることで、

答えを見いだせるのではないだろうか?

 

そのヒントが、古典や偉人の伝記にあると思う。


大人の見方

2013-12-30 | 明日への気づき

タイトルは「大人の見方」

この2~3年、産業カウンセラーを勉強して、少し成長したと思う。

基本的なことであるが、人の話を聴けるようになった。

 

「イマサラ」と思うかもしれない。

しかし、あなたは本当に人の話を聴いていますか?

 

以前の聴き方は、自分中心に聞いていた。

相手の話に対して、自分の判断基準に照らし合わせて、聞いていた。

「その意見は正しい」「その考え方は間違っている」

と常に判断していた。

そのために、自分の判断基準に適合する話には賛同する。

一方で、自分の基準に見合わないことに対しては、拒絶する。

 

しかし、産業カウンセラーを勉強して、それが「準拠枠」ということを知った。

私は準拠枠が強いために、入り口の段階で、区分けして、判断していた。

 

しかし、世の中には様々な考え方や価値観がある。

その考え方や価値観に対して、一度はそのまま受け止めることが必要である。

 

例えば、コインに対して、通常その形は、多くの人々は「円形」という。

一方で、「長方形」という人もいる。

その話を聞いて「いやコインは円形だ!」と主張する人もいるだろう。

 

しかし、そのような人も自動販売機にはコインを入れる。

確かに自動販売機の投入口は長方形である。

 

このように、一つのモノに対して、円形に見える場合もあれば、長方形に見える場合もある。

今回のケースでは、円形でも長方形でも、どちらも正解である。

 

大切なことは、このように「複数の見方がある」ということを認識し認めることである。

 

今回はコインの事例であるが、世の中にこのようなことが数多くある。

 

政治の問題にはあまり触れたくないが、昨今の問題に対して、一方からの見方が非常に多いように思える。

個人であれば、一方からの主義主張でも許されるだろう。

しかし、公共性の高い新聞やマスコミの対応の仕方は、

あなたはどのように考えますか?

 

一つの法律を作っても、メリットもあれば、デメリットもある。

その両面を踏まえて正しく評価するのが、新聞やマスコミの役割であろう。

しかし、昨今の新聞を見ていると、一つのデメリットばかり主張していると、

感じるのは私だけだろうか?

 

あなたは、「大人の見方」 どのように感じますか?

 

 

 

 

 

 


年賀状は手書き

2013-12-27 | 明日への気づき

年賀状は書きましたか?

私は、昨日から年賀状を手書きしている最中です。

例年は、パソコンで画像を揃えて、プリントしていました。

字が上手くない私にとっては、パソコンはありがたい道具です。

画像整理なども含めて、半日あれば出来上がり。

 

毎年違和感もなく、年中行事として、印刷していました。

 

しかし、今年は違います。

プリンターの調子が悪いのです。

いずれは新しいものを買わなければなりませんが、

年明けになりそうです。

そこで、考えたことは、手書きです。

 

最近は絵付きの年賀状も売っています。

そこに手書きをするのです。

宛名も住所も手書き。

コメントも手書きです。

 

1時間に10枚程度作ることができます。

 

年賀状を手書きすることで、気付いたことがあります。

昔の上司、学生時代の友人、一人ひとりのことを考えるようになったのです。

以前、パソコンで印刷していた時は、流れ作業で終了。

機械的に住所のチェックを行っていただけです。

そこに、「気持ち」はありませんでした。

 

しかし、今年は違います。

手書きをすることで、昔のことを考えます。

お世話になった上司のことを考えます。

「今どうしているのかな?」

「どのような近況報告すれば喜ぶかな?」

など考えていると、年賀状の手書き作業が楽しくなってきます。

 

これは今までにない経験です。

便利さを追求するのは、良いことかもしれません。

しかし、相手の立場に立てば、

機械的に印刷された年賀状をもらっても嬉しいでしょうか?

 

私なら多少字が上手くなくても、

心のこもった年賀状の方がいいですね。

 

ということで、今年から年賀状は手書きにしようと思います。

 

ただ、ミスプリント、いや「字の間違い」が多く、

無駄にするはがきが多いことが難点です。

 

普段から、丁寧な文字を書く習慣をつけたい、

と改めて思う次第です。

 


なぜ、TVを見るのか?

2013-06-24 | 明日への気づき

昨日は、近くの図書館で勉強した。

自宅の自室で勉強できるが、なぜか図書館に行く。

なぜ、重たい本を持って図書館に行くか、

なぜ、パソコンもあり、資料もある自分の部屋で勉強しないのか、

考えてみた。

多くの人は、

「図書館は集中できる」

「邪魔が入らない」

など、考えるだろう。

私もそうである。

さらに、私の場合、最近、、TVを見ることが多くなった。

昔は、ほとんど見なかったが、ニュースを見たり、ドラマを見たりする。

見ると面白いし、時間を忘れることもある。

その結果、勉強時間が無くなってしまう。

そのために、TVの無い図書館に行くというのが本音である。

 

これで、終わったら面白くない。

もう少し掘り下げて考えてみた。

 

TV番組の内容は、一定と考えることができる。

野球とかサッカーの好きな人であれば、特別かもしれないが、

私の場合は、ある程度、TVを一定のモノと考えられる。

 

最近の傾向は、TVの魅力が勝ち、

「TV」≧「勉強」

となり、TVを見てしまう。

 

では、試験前はどうであろうか?

さすがに、勉強をしなければ、という使命感(?)に燃え

「TV」≦「勉強」

となる。

相対的に、TVより、勉強が大切になり、自室でソバにTVがあっても、

勉強することができる。

ということを考えると、TVは一定であるから、

勉強の重要度が高いか、低いか、によりその関係性は変わってくる。

TVより、勉強の重要性が高ければ、当然勉強する。

一方で、勉強をしなければと思っても、具体的に何をやるのか、

曖昧であれば、重要度を見出すことができず、

結果的にはTVのスイッチを入れてしまう。

 

であるならば、勉強の重要度を高め、目的を明確にすれば、

TVのある自室でも、勉強することが可能となる。

つまり、勉強を仕事と同じで、

具体的に何をやるか?

今日の成果は何か?

ということが明確にすることである。

問題集を今日中に10ページ解く、

とか

今週末までにレポートをまとめる

など、

やるべきことが具体的になれば、必然的に勉強に取り組むことになる。

 

当たり前のことかもしれないが、意外とできていない自分を発見した。

 

当たり前のことを確実行うことの大切さを、図書館に行くことで再発見した次第である。


いじめ対策

2013-03-31 | 明日への気づき

●ソ連の道徳教育

 松下幸之助師著の「道はひらく」のP74に「世間知らず」という話がある。

その一部を引用する。

・忍耐づよく、根気よく、知識を身に付けよう

・校長と先生の命令に絶対に従うべし

・校長や先生が教室にはいるとき、教室を出るとき、起立して送迎すべし

・先生に答えるときは起立、先生の許可あって着席すべし

・校長と先生には敬意をはらい、校長や先生に道で出会ったときは礼儀正しいおじぎをせよ

・年上の者を尊敬せよ

・老人・幼児・弱いものに親切で丁寧であれ、道を譲り、あらゆる援助をせよ

・親の言うことをきき、手助けをし、弟妹のめんどうをみよ

 

これは、ソ連の小学校・中学校で省令として公布されている“生徒守則”の一部で、この規則を破った生徒は、退学の罰を負うという。

 

以上が、師の書物からの引用である。

冷戦時代のソ連邦において、このような規律・礼儀さらに道徳観があったことには驚きである。

また、西欧諸国においてもどうような風習があると、師の本では述べている。

この本の出版は、1968年であり、今から45年前である。

逆に言えば、規律・礼儀を重んじることは、世界共通のルールであると思う。

 

しかし、今の日本の学校教育をみると、残念でならない。

道徳観が失われ、いじめは頻繁に行われ、時には幼い子供が自ら命を絶つ悲惨なことが起こっている。

人間として何とかしなければならない。

 

●マーケティング手法の活用

TVをかければ、必ずコマーシャルがある。

携帯電話・化粧品・車・お菓子など様々な分野でTVコマーシャルがある。

それも日に何度でも同じコマーシャルが流れている。

中には面白いコマーシャルもあり、見入ってしまうことも多々ある。

さらに、テーマソングなどは、知らず知らずのうちに覚えてしまう。

流行語大賞に選ばれるようなフレーズも多々ある。

 

インターネットも同様である。

インターネットを明ければ、どのページもコマーシャルのオンパレードである。

さらに、過去にチェックした品物が何度でも出てきて購買意欲をそそる。

最近は、本やCDに関しては、メールでも送ってくる。

びっくりする限りである。

毎日毎日、繰り返しこのように情報を刷り込まれることで、潜在意識にインプットされてしまう。

まさに、洗脳教育を受けているようなものである。

スーパーに行って、TVで見たのと同じ商品であれば、購買意欲をそそられ、安心して(?)衝動買いしてしまうことも多々ある。

このような方法は、良いか、悪いかは別にして、現在のマーケティングの手法として、多くの企業が用いている手法である。

 

●このマーケティング手法を道徳教育に活かそう!

このマーケティング手法を道徳教育に活かすことはできるのではないか?

TVのコマーシャルに流すのもよいが、お金がかかる。

そこで、考えたのが、唱和である。

朝一番、学校の教室で唱和するのである。

 

・忍耐づよく、根気よく、知識を身に付けよう

・校長と先生の命令に絶対に従うべし

・校長や先生が教室にはいるとき、教室を出るとき、起立して送迎すべし

・先生に答えるときは起立、先生の許可あって着席すべし

・校長と先生には敬意をはらい、校長や先生に道で出会ったときは礼儀正しいおじぎをせよ

・年上の者を尊敬せよ

・老人・幼児・弱いものに親切で丁寧であれ、道を譲り、あらゆる援助をせよ

・親の言うことをきき、手助けをし、弟妹のめんどうをみよ

 

これを毎朝、授業の前に、先生と生徒で読み上げるのである。

最初は、違和感を感じるかもしれないが、だんだんと慣れてくる。

「そんなことしたって?」

と、思う人がいるかもしれないが、実際に取り入れている企業も多々ある。

会社の経営理念を読み上げたり、経営目標を唱和したりして、モチベーションを上げている。

 

スポーツの世界でも同じようにやっている。

円陣を組み、掛け声をかけて、気合を入れている。

 

会社での経営理念の唱和、スポーツでの掛け声、みんな考え方は同じである。

であるならば、学校教育にも取り入れてよいと思う。

日々、唱和することで、潜在意識に組み込まれ、自分の考え方になっていく。

そうすることで、倫理観・道徳観というものが芽生えてくるだろう。