寺崎八十四石米

地産地消に向け、美味いと評判を呼んだ地元の米を「八十四石」の名とともに蘇らせるため、見える米づくりを紹介していきます。

「八十四石」とは

2021-05-12 19:51:00 | PR
利根川水系の印旛沼に注ぐ高崎川と鹿島川に囲まれた、広大な水田地帯の呼び名でした。江戸時代の寺崎村は佐倉藩の所領で、八十四石の年貢米を献上していたことから、この一帯は「八十四石」と呼ばれるようになり地名にもなっていました。
昭和初期のものと思われるこの地図、タイトルは、「千葉県根郷村全図」となっています。赤い丸をアップすると、
八拾四石(はちじゅうしこく)の地名が記されています。当時の「じゅう」は「拾」が使われていました。
その後、水田は耕地整理によって現在の整った形になり、八拾四石の地名は消えたのでした。
 
八十四石は、二つの川(高崎川と鹿島川)に囲まれ、古くから大雨による氾濫を繰り返してきました。そのたびに上流からは肥沃(ひよく)な土が運ばれ、八十四石の土壌は豊かになり良質な米が穫れる農地になったと伝えられています。

現在の八十四石は、弁天前や木崎など複数の地名で構成されているものの、地元では今でも、この一帯を八十四石と呼んでいます。


ちなみに佐倉城ですが、画像の中央の小高い場所に築かれていたそうで、きっと先人たちからは、このように見えていたのでしょう。


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