震災100日目は泰阜村にいました。
震災から何ヶ月目、そして何日目はとうに麻痺してきていますが、それでも区切りの日に思いを巡らすことは、被災地でいまなお苦しんでいる人たちへのせめてもの気持ちです。
少し、3月11日の後をふりかえってみます。
南信州の山奥でも、船酔いをするようなゆっくりと長い揺れを感じました。その後、繰り返し放映される津波や原発の映像に、日本の農山漁村の危機を感じました。同時に、日本が新しく創られる激動の時期に入ることを直感的に感じました。
これまでも、阪神大震災で被災児童を3年間にわたり受け入れたり、中越地震で被災児童をキャンプに招待したり、特に被災したこどものための支援を行ってきました。 しかし、これまでのどの災害とも違う規模、広域にわたる災害、原発という未知の事故などを目の当たりにし、改めて、今、私たちが何をすべきなのか、何ができるのか、どんな支援ができるのか、自問自答を繰り返す1~2日でした。
仲間のスタッフや地域の人とも意見交換を続けました。そして泰阜村の松島村長にも連絡をとりました。
「村で避難民を受け入れてはどうか。そしてこどもだけでもというニーズがあれば、だいだらぼっちで受け入れる。どうだろうか」
松島村長は、即答しました。
「泰阜村ができることは限られている。村は義捐金を出すよりも避難民やこどもを受け入れる。グリーンウッドの出番だろう。お金のことは気にせす迅速に動いてほしい」
わが意を得たり、とはこのことでしょうか。
私も泰阜村が、あれもこれもの支援を打ち出すことを懸念していました。いちはやく義捐金を出したり、よりはやく避難民受入を表明することが良い支援ではありません。
身の丈にあった支援を地道にすることが、泰阜村にとっては良い支援なのですから。
泰阜村は、国道も信号もコンビニもないような厳しい立地条件です。しかしそれが故に村内の資源を総動員して、村民が支え合いながら村を維持してきました。
その泰阜村で25年間育てられたNPOグリーンウッドは、今回の震災を自分事として認識し、泰阜村が大事にし続けてきた「支え合い」や「お互い様」を土台にした本質的な支援を行うことを決意しました。
身の丈にあった本質的な支援。それは「教育活動を通した支援」です。NPOグリーンウッドと泰阜村はそこを目指すべきだと強く確信しました。
阪神大震災の時に、神戸市と西宮市、芦屋市の被災児童を3年間、だいだらぼっちで受け入れました。費用は全額泰阜村が負担、村の小学校や村民も全面サポートしました。長期にわたる支援は、被災児童にも受け入れ側にも様々な意味で苦痛が伴います。
中越地震の時は、村で実行委員会を組織し、新潟県長岡市の小学生と、同じく北陸集中豪雨で被災した福井県美山町の小学生を山賊キャンプに招待し、泰阜村の小学生と合同自然体験教育キャンプを実施しました。
その経験と実績を持つ私たち泰阜村の人々は、村の人材・資源・自然・文化を総動員して、東日本大震災でもだいだらぼっち受け入れや、山賊キャンプ招待などの支援を行うことにしたのです。
それから、福島県のあぶくまエヌエスネットの進士さんや、くりこま高原自然学校の佐々木さんなど、東北の仲間と連絡をとりあい、支援の方法を相談するようになります。
全国の自然学校やエコツーリズム関係者が結集し、「RQ市民災害救援センター」も立ち上がり、私たちも微力ながら協力しています。
南信州で「受け入れますよ」と声を出しているだけでは、被災して絶望の縁に立たされる人々の信頼は得られません。たとえ被災したこどもが泰阜村に来なくとも、もしそういうニーズがあるのであれば、私たちはこの想いを届けることに全力を傾けるべきです。
3月下旬には、液状化に苦しむ千葉県から2名、暮らしの学校「だいだらぼっち」への長期受け入れが決まり、現在まで2ヵ月半暮らしています。
4月からは、福島、宮城、岩手と、何度通ったことでしょうか。被災地の皆さんと対話を重ね、相互理解を通し、信頼を積み重ねていきました。
そして、信州こども山賊キャンプに、40人の被災児童の参加(招待)が決定しました。
6月からは、放射線量の高い福島県福島市から1名、暮らしの学校「だいだらぼっち」への長期受け入れが決まり、山村での暮らしが始まりました。
4月以降の動きの詳しくは、このブログが物語っています。
100日。私は渾身の力を振り絞って、東奔西走してきました。
泰阜村の持つ教育力が、必ず被災地にいきる、必ず被災したこどもの役に立つ、と確信できるからです。
私たちは、全力を挙げて山村留学や自然体験キャンプを実施します。
自然の猛威におびえきった東日本のこどもたちに、自然との接触を断たれてしまった福島のこどもたちに、もう一度自然の素晴らしさを伝えたい。
失われた小さな集落の底力を、もう一度こどもたちに伝えたい。
そして全国のこどもたちに、過酷な状況に陥ってもなお周囲の人と協調をとりつつ生き抜くための「支えあいの気持ち」や「サバイバルスキル」、「的確な情報収集と状況判断能力」を育成したい。
泰阜村で、山村留学とキャンプに参加した被災児童は、被災地に帰ります。泰阜村で培った、困難に立ち向かって生き抜く強い精神を身に纏って。彼らがこれからの被災地を創るのです。彼らがこれからの日本を創るのです。
震災支援は、決して被災地への支援だけではありません。
従来、日本社会、特にへき地農山漁村が持っていた支え合い・お互い様の構造を、もう一度紡ぎ直し、再び安心な暮らしを創る、広義でいう日本社会再生の支援なのです。
国の土台が揺らぐ危機的な状況が続く時、それは今後の国をどう創るのかという契機でもあります。
今こそ、教育の出番です。
だからNPOグリーンウッドはがんばります。
代表 辻だいち