中国貴州省で日本語教師

2007年春~2009年春、青年海外協力隊

遵義市内観光

2008年01月23日 | その他の観光地
相変わらず霙まじりの曇天が続く。

学期が終わって遵義市内の実家に戻っている学生たちの間で
先生が来てるよ!と携帯電話連絡が回り、市内を案内してもらうことに。

待ち合わせの広場で、不思議なものをいくつか見た。



市民ホール。春節の前の時期だけ、公開裁判が開かれるのだそうだ。
日本と違って普段は裁判の様子は見物できないという。



歳末大セールがあるので、アドバルーンが出回っている。
これからどこかの大型店に飾りに行くのだろう。
でも、そこ、車道の真ん中なんだけど・・・



おしゃべりしだすと止まらない女子大生4人と、遵義会議場跡周辺を歩く。

黒塀と白壁の雰囲気が、川越か小布施みたい。

遵義会議跡は中国共産党の歴史上、重要な場所。
そういえば昔「世界史」の授業で「国共合作」だの「長征」だのを勉強したのを思い出す。
あ、でも、あれって日本軍に抵抗していたんだよね?
それなら遵義の人は日本に悪い印象があるんじゃないの?
と学生に聞くと、
日本軍は関係しますけど…私たち遵義の人は、この街に誇りを持っていますよ!中国全土の人たちは、貴陽は知らなくても遵義は知っていますよ!歴史の教科書に載っていますから。と皆誇らしげに語る。
「そんなに皆が自分の街を誇りに思っているなんて、良い街ね。」
「はい、そうなんです!」

お土産物屋やお菓子屋に立ち寄る度に、学生たちが一生懸命通訳してくれる。
じつは通訳がなくても分かるのだが、うんうん、と普段と同じように中国語を一切使わずに日本語で傾聴していると、店員が「おや、彼女は外国人なの?」と聞いてくる。
するとその度に、「彼女は日本人です。私たちの先生です!」と大きな声で紹介している。どの店員も皆笑顔で、「めずらしいね」とか「あんたたち日本語ができるなんてやるねえ」とか「こんなに若いのに大学の先生やってるなんてすごいね」などと驚いている。そのあたたかい雰囲気に、私も遵義の街をすっかり好きになった。


最近できたばかりの遵義民俗博物館に寄る。
1人30元。学生たちは値段が高いと尻込みしていたが、せっかくだからと思って全員分の入場料を出して入ることにする。すると、博物館の人が、「日本人の先生が遵義の学生たちを連れて入るのだから特別に」と、1人20元にしてくれた。

ここは本当に入って正解だった。
非常にすばらしいコレクションの数々に感動。
これは明時代の貴族のベッド。
他にも明清時代の家具や、窓枠の透かし彫りなど、見事な物が並ぶ。



「これらのコレクションは私が集めた物です」と館長がやってきて一つ一つ解説してくれる。
「先生は遠い外国からやってきたお客様ですから、特別に写真撮影をしても構わないですよ」

(あらやだそんな皆で私のこと先生先生って、たいそうな者じゃないのに)と内心こそばゆいのは相変わらずなのだけど、外国人冥利(今作った言葉)につきます。

「松竹梅」の彫り物の前で「ああ、松竹梅は日本にもあるんですよ」と学生に話すと、「知っています!松竹梅ミロク…ドラマの有閑倶楽部」と言っていて面白かった。

何百年も前に少数民族が書いたという仏画や神々を描いた絵が壁一面にずらりと並んでいて、圧巻。本当にここのコレクションはすばらしい。





さらに新聞等に何度も出ている遵義出身の著名な書道家が展示会をやっていて、
「日本人の先生を歓迎します」と言って、
なんと、その場で筆を手にとって、一筆書いてくれた。光栄。

寧静至遠 …「深き川は静かに流れる」と似た意味。



川べりの散歩道を歩いて、紅軍碑まで行き、山の上から街を眺める。





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