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季節の移ろいin絵手紙 Ⅱ

 絵手紙&水切り絵&パステルアートに日々の出来事を添えて・・・

極楽の余り風

2018-08-06 06:01:37 | 思い出
 とタイトルを書いて
毎年同じ時期に、同じ記事を書いていると可笑しくなります。
 長くお付き合いいただいている方々も、
「またか~」と笑っておられることでしょう。

 でも、私にとって(極楽の余り風)は歳を重ねるに従い、ますます色濃くよみがえってきます。

 遠い遠い夏の日の想い出。。。

 暑い夏の日の事です。
何処からともなく吹いてくる風に、祖母は目を細め遠くを見るように
「あぁ、極楽のあまり風や~ ご浄土からの風やで。」と傍らにいた幼い私に語りかけます。

 いつの間にか、私もその時の祖母の歳に近づいてきました。

 今年の暑さにはうんざり。。。
極楽からのあまり風を日々待ち望んでいる私です。

     今日の絵手紙
 ビニール袋に入った野菜が描きたいと思いかんがえながら描いていたら萎縮した絵手紙になりました(゜_゜>)
 

不器用やなぁ~

2018-01-28 17:46:53 | 思い出
 父は定年後も、75歳まで製図にかかわる仕事をしていました。
そのの職業柄でしょうか?
几帳面この上なし。
町の掲示板を見ても「右がコンマ1(0.1)さがっとるなぁ」と気になる様子。

 趣味の日曜大工も、製材所まで行き、木を選んで購入し、設計図を書き作るありさま。
台所のテーブル椅子、私の勉強机・・・
今、思い出してもとってもお洒落なものを作っていました。
何度か大工さんが「できたものを見せて。」と来られたことも・・・
 そうそう弟が生まれる時に作ったベビーダンスは、母の荷物を処分する一昨年までの60余年間ゆるむことなく、きつくなることもなく引き出しが使える現役でした。

 こんな父でしたから、おおざっぱで、不器用な私のすること、なすことが信じられなかったのでしょう。

 おまさん(お前さん) 父は私の事をこう呼んでいました。
「おまさんの描く絵は、なんでそんなに下手なんや」
「どなしたら、そんな不細工なもんを作れるんや」 等々

 こういわれ続けて育ってきた私ですから、
小学校の図画工作は逃げ出したいくらい苦手でした。

 そんな父が人生で一度だけ私の絵を褒めてくれたことがありました。
亡くなる2年ほど前、今から10年ほど前の事です。
 私の描いた絵手紙を見て、
「おまさんが、はがきに絵を描いたんか。よう描けとるなぁ~美味しそうな苺や」と。
「まぁ、おじいちゃんに褒められるやなんて・・・」と私も応えながら、
心の中で苦笑い。。。
 だって、苺でなくミニトマトを描いたのですもの(笑)

 こんな父でしたが、あの頃にしては珍しく、次々に絵本の読み聞かせをしてくれたり、
自分の好きな(堀文子)(武井武雄)の画集などを買い与えてくれていました。

 父の期待を大いに裏切った子どもだったわけですね。

 今 こうしてブログに絵手紙をアップしているのを知ると
「よぉ、そんな厚かましいことをして~」とあきれているやもしれません。

 今月のパステルアートです
 

 イマイチうまく描けませんでしたが、何もアップするものがなく・・・(゜_゜>)

こおつと

2017-09-12 05:42:03 | 思い出
 遠い昔の話です(以前も記事にしたような気もしますが・・・)

 祖母は何か探し物をしたり、考え事をするとき決まって(こおつと)と言っていました。
小学生だった私はある時「なんと言う意味?」と聞いてみました。
「そうやなぁ~おまじないかな~」と祖母は笑いながら応えました。

 祖母の従弟に、親戚の中で(講釈師)とあだ名されている叔父がいました。
叔父は博学で話がうまく、中でも歴史に精通してて、サラリーマンでありながら、
時々は何かの集いに講演を頼まれたりもしていたそうです。
 叔父の話の中で「太田はんがなぁ・・・」とか「織田はんが言うには・・・」とよく出てきて、何処の太田さんで、何処の織田さんかと思いきや、
太田道灌であり、織田信長であったと知り、子どもながらに面白くも、あきれもしたものです。
 その叔父が「(こおつと)の語源は、(こおおつと)つまり(甲乙と)であり、
(甲にするか乙にするか)迷った時、思案するときに発する言葉やで」と教えてくれました。
 小学生だった私は妙に納得した事でした。

 それから数十年。。。
このことは、すっかり忘れてしまっていました。

 つい5~6年前のことです。
聞くともなく聞いていたラジオから、
「私の祖母が、昔よく(こおつと、こおつと)と言っていました。。。」と。
驚いた私は、ラジオに走りよりボリュームを上げました。
 京都出身の男性パーソナリティーは、語り続けています。
「どちらかに決めかねていたときや、どこに片付けたのか探しあぐねている時など、
こおつと、こおつとと言っていたのが懐かしく思い出されます」。。。

 私は、もしかしたらとネットで検索してみました。
そこには、兵庫県の言葉とあり、京言葉ともありました。

 おばあちゃんがよく言っていた言葉は、市民権を得ていた言葉なんだと、
改めて驚いた次第です。


 今日の絵手紙です。

 ブドウを前に置き、見て描いたものですが、
パステルアート風にテンプレートを作り描くと、どうもリアル感がありません(゜_゜>)
 

私の原風景、原体験?

2017-08-18 17:54:05 | 思い出
 ゆく夏を惜しむように蝉が声を限りに鳴いています。。。

 と書きかけて、ブログに以前も書いたわ~と苦笑いしています。
 夏のさなか、必ず心に浮かぶ風景があります。
何十回も夏を越してきて、それぞれの想い出もあるのに、
何故か、私の心をとらえるのは決まって一つの情景なのです。

 祖母に連れられてバスに揺られ、とある夏草生い茂るバス停で降ります。
幼い私は祖母の後になり、先になりスキップしながら進んでいきます。
 細い石段を上りつめると、そこには小さなお堂があり、
正面に観音様が祀られており、三方は開け放されています。

 祖母が一心に祈っている間、私は周りの廊下に出て外の景色を見るともなく見ています。
辺り一面 深い緑。。。 耳をつんざくような蝉の声は、かえってあたりの静けさを募らせます。 何処からともなく漂う涼風。。。

 私たちのほかに参拝の方々もいらしたはずなのに、
私の想い出の中では、祖母と二人っきりです。

 「ええか、悪いことをしたらアカンねんで。
誰も見てないと思っても、神さんや仏さんがみてはる・・・」
いつもの祖母の話が始まります。

 その時は、退屈しながら聞いていたのに、
半世紀は優に超した今でも、夏になると必ず、これらの風景とともに過ごした祖母との時間が懐かしく思い出されて幸せな気持ちに浸ることができます。

 もしかしたら、私の(原風景)(原体験)かもしれないと今になって思うのです。


  今日の絵手紙です。
 お花は苦手で、今まで殆ど描かなかった(描けなかった^^)のに、
今年は、なぜかヒマワリの花はたくさん描きました。
 このヒマワリが今年の最後となることでしょう~
 

 でも、言葉をどう入れるか思案中(入るかなぁ~~?)

幸せな思い出

2017-07-27 06:47:49 | 思い出
 ずっと、ずっと昔のことです。

幼いころの夏は、何処の家でも蚊帳を吊って眠っていました。
今の子どもはもちろんの事、わが子の世代でも蚊帳は見たことがないのでは・・・?と思います。 
 部屋の中央と四隅に、蚊帳を吊るす金具がつけてあり、、
親が蚊帳を吊るし始めると、子ども心にもワクワクしたものです。 
「立って蚊帳に出入りしたら、蚊も一緒に入ってくるからアカンよ~」よく親に言われ、
はいずりながら出入りするのも子どもにとっては楽しい事でした。

 ある時、父が何処からか捕ってきた蛍を数匹蚊帳の中に放ちました。
真っ暗な中で淡い光を放つ蛍。。。
その光の中で眠りについた幼い日の夜のことは、、
60数年たった今でも、鮮明に心によみがえってきます。

 このような日常の些細なことが、幸せな想い出となって心に残り続けるのですから不思議なことですね。

 奈良町に行きますと、蚊帳のお店があります。
勿論 蚊帳も売っていますが(数万円もします)
主流は、蚊帳地の布巾、タオル、暖簾等です。
 この風合い、色合いが好きで、奈良に行くと必ずふらりと立ち寄る店です。


 私の(夏たより) 今年の暑中見舞い状もこれが最後になります。
立秋過ぎれば(8月7日でしたでしょうか)残暑見舞いになり(盛夏)とは書けなくなりますね。
 
 


奈良町 蚊帳のお店 ←クリックしてね (阪急電鉄さんから画像をお借りしています)