季節の移ろいin絵手紙 Ⅱ

 絵手紙&水切り絵&パステルアートに日々の出来事を添えて・・・

日曜学校の思い出

2021-12-02 13:03:30 | 思い出
 戦後のまして田舎での日々、父は私に少しでもいろんな文化に触れさせたいと思ったのでしょうか。
 休みになりと、どこから探してきたのか、絵画教室、バレー教室・・・
自転車の後ろに私を乗せて連れて行きました。
 何一つとして身につくどころか、幼い私にとってはおなかが痛くなるくらいの心の負担でした。

 ところが、私が飛びつき熱心に通ったのが(日曜学校)でした。

 元華族の奥様が一人で大きなお屋敷に住んでおられました。
広いお庭を抜けて、部屋に上がると、今まで見たことのないような調度品。
おしゃれな色合いのタペストリー。
どちらを見ても、5歳の女の子にとっては、新鮮で驚きでした。

 日曜日になると、あちこちから幼い子から、中高生くらいまでの子供らが集まり、お祈りをし、讃美歌を習い、お話を聞きました。
 クリスマス前になると、クリスマス会で歌う歌の練習。劇のお稽古。
若者数人がお世話してくださったような気がします。

 こんな様子を、奥様は隣のお部屋で、
ロッキングチェアーに座り、ゆらゆら揺れながら、にこやかに微笑みながら見ておられました。
70歳くらいでしょうか~ 色白でふっくらとされていました。

 子供心に私が何よりも驚いたのは、奥様のファションでした。
地味な色合いのロングワンピースに、同色のレースが縫い込まれていて、
膝の上には、華やかなひざ掛け~
 当時は、まだ母親世代は着物姿も多々あり、洋服も簡単なものでした。
心の中で、この姿が(絵)として残り、
あぁ、ロッキングチェアだったんだ! ロングワンピースだったんだ!
レースが縫い込まれていたんだ!とつながったのは、
このころから、数十年たってからのことでした。

 これらのことが、あの当時の私の驚きであり、憧れでした。

 もちろん父は、仏教徒で何よりも戦後間もなくのこと。
異なった文化を幼い私に見せてくれたと今更ながら感謝しています。
 クリスチャンになったわけでなく、勧められた覚えもなく、
世の中全体が貧しい時代でしたが、5歳くらいから、小2くらいまできらびやかな思い出として心に残っています。

 思い出というのは、その時々でしかできず、
のちに、いくら力を尽くしても、高額な金額を払っても作れませんものね。

 きっと、奥様が病気になられたか、亡くなられたかでこの会は閉じられてしまいましたが、今にして思うと、子供たちに対しての慈善事業?
今でいうボランティア事業だったのでしょうか~~???

 クリスマス近くになると、あれらの日々が鮮やかに甦ってきます。

 


 


幼いころ初めて見た映画は・・・

2021-07-14 06:54:12 | 思い出
 物心つて初めて見た映画は、なんと黒澤明監督、志村喬主演の(生きる)でした。 多分5歳くらいでなかっかかと思います。
 何故父が幼い私を連れて行ったのか、今となっては確かめるすべもありませんが、母が出かける用があり、自分はどうしても観たい映画があり、やむなく
私に飴玉の2つや3つ与え「おとなしくするんやで」と連れて行ったのでしょう。
 もちろん、この時は何の思い出もなかったのです。

 ところが数十年たち、40歳代くらいになっていたころでしょうか~
何気なく見ていた(昭和の名画)というTV番組に、

 定年を前にした市役所の課長が、癌を宣告されそれからの考え方の移り変わり、行動の変化を描いた映画。。。あぁ、これが有名な(生きる)なんだとわかり見続けていると、公園のブランコに乗り
 🎵 命 短し恋せよ乙女~
と歌いだされたとき、父が横にいて暗い映画の上映、畳敷きの会場。。。
一気に私の胸に去来し、懐かしい人に出会ったようで涙があふれて止まりませんでした。 
 志村さん演じる定年前の課長さんのブランコに乗り、つぶやくように歌う
(ゴンドラの唄)がモノクロの一枚の写真になり心のどこかに残り続けていたのですね。 
 そういえば父は、黒沢作品の大ファンであったことも晩年知ったことでした。

 小学校に入ると、年に何度か、会館で催される映画会が楽しみでした。
最初に見た映画は、(赤銅鈴之助)
一番大好きになった映画は、鰐淵晴子さん主演の(ノンちゃん雲に乗る)
これは、父がその本を買ってきてくれたので、余計に心に残った作品でしたが、歳月は残酷で内容のかけらさえ思い出せません。
ただ、ハードカバーの絵がうっすらと残っている程度です(´;ω;`)ウゥゥ

 高学年に入り観た中で、浅丘ルリ子さん主演の(緑はるかに)
この映画は、浅丘ルリ子さんの美しさに
子供心に(世の中にこんなにも美しい人がいるんや!)という驚きでした。
今でも時々TVに出ていらっしゃいますね。

 中学、高校時代は、父の会社からの家族パス)で、
結構新しい映画、殆ど日活でしたが・・・見放題でした。
 石原裕次郎、浜田光男、吉永小百合、和泉雅子。。。
そうそ、舟木一夫の(高校3年生)(仲間たち)等々にも通いました。

 大阪の出てからは、宝塚歌劇に通いつめ( ´艸`)
ミュージカルや洋画にも興味が広がっていき、フェステバル、梅田コマ
毎日ホール思い出せないくらいたくさんの作品とも出会いながら、
これらも殆どが記憶のかなたです( ´艸`)

 梅雨明け宣言はなされていませんが、
昔から、祖母が「梅雨が明けたら蝉が鳴きだすんやで」と聞き育ちましたので、3日前に初ゼミの声を聞きました。
今朝は曇り空の中ですが、蝉があちこちで鳴いています。
 私の中では梅雨明けです( ´艸`)

 

 同じイルカで表情を変え^^背景を雫にしたり、シャボン玉にしたり、
またまたたくさんのハガキの上で遊びました。
 少しずつ投函します。

 お友達からの夏便りです


 気持ちのシャキッとする絵手紙たちですね。


 心の(おくすり)

2021-02-01 10:50:07 | 思い出
 自粛生活も2年目に入ってきますと、
心がざわざわと落ちつきをなくす日や、気持ちがなえてしまう日も時々あります。

 そんな時、机の上に持ち出すのが(ほたる子さんのおじぞう様)です。
パステルの粉を右指につけて、おじぞう様を見ながらクルクルと指を回しているうちに、絵手紙が出来上がり、心も落ち着いてきます。
 
 まさに心のお薬です。

 このおじぞう様との出会いは、2014年6月です。

 ある日、 今はブログをお休みされているブログ友の(うとうとちゃん(から電話があり「今、常滑の工房に来ているんだけど、guちゃんの好きそうなおじぞう様があるの。写メをおくるから欲しかったら、すぐにお返事頂戴」と。
 見た途端「ほしい!」とすぐに電話しました。

 それから立て替えて買ってくださり、ズシリと重い土ものですので、
丁寧で頑丈な荷造りして送ってくださいました。

 うとちゃんとコメントの交流はしてて、携帯番号はお互い知ってはいましたが、話したのはこの時が初めて・・・
 だというのに、心にかけていただいていたこと、
8000円という金額を立て替えて、しかも荷造りまでして送ってくださったこと。。。

 このおじぞう様を見るごとに、このブログ友さんの温かい気持ちが思い出され、心がほんかわと暖かくなります。

 常滑の陶芸作家さんの(ほたる子)さんは、
名前とは裏腹な、おひげのオジサン作家さんです( ´艸`)
 うとちゃんとは未だ会えてないのですが、
ほたる子さんは奈良町で個展をされたときに行き、2度お目にかかることができました。

 皆さんからいただいた絵手紙、節分のもありバラエテーに富み楽しいですよ。お楽しみください。
 

 おじぞう様と出会った日、2014年6月7日のブログです。
      

1・17明日で26年目になります

2021-01-16 12:53:49 | 思い出
 長く生きていると、思いもかけないことに巻き込まれる事ってあるものです。
今回のコロナ禍も、あれよ、あれよという間に日本中、世界中が巻き込まれていきました。

 26年前の1月17日も、本当に思ってもみなかった阪神・淡路大震災に巻き込まれていました。

 リビングの2面の壁に、床から天井まで、子供たちの絵本から児童文学までびっしりと並べていたのですが、すべて床に散乱してしまいました。
 家族が集まる場所ですので、少し時間がずれていたら・・・と思うと
背筋が凍る想いでした。

 食器棚の観音開きの扉が開き、食器が飛び出し飛び散りました。
情けないと思ったのは、真っ暗な中薄暗い懐中電灯を頼りに動くので、
足を怪我しないように靴を履いて歩かなければいけなかったことです。

 でも、この時夫婦ともに40歳代、息子たちが19歳、16歳でしたので、
長男が運転し、兄弟で水の出るところまで車を走らせ、二人で大きな水タンクを何度も6階の我が家まで運んでくれ、家の片付けも主にしてくれたものです。
 
 年月が経ち、子供たちも家から巣立ち、それぞれ大学生、高校生。
中学生、小学生の父親になった今、
驚くほどたくさんの歳月が流れたのだと、今更ながら駆け足で過ぎていった日々を思います。

 昨年の1月17日は、三宮で毎年行われている慰霊式に出かけ、
夕闇迫る中、たくさん並べられた竹灯籠の中で揺らめく炎に、夫婦で手を合わせたものですが、今年は規模が大幅に縮小されるようです。

 皆さんからいただいた年賀状の続きと冬だよりです。
 
  下が少し切れています。ごめんなさい(__)

 そして私からのお便りです。
 

 


今にして思うと・・・

2020-12-15 07:20:01 | 思い出
 以前住んでいた処でのかかりつけ医の先生は、
初老のお話が上手でいろんな話をしてくださいました。

 そのころに、何度も言われていた話があります、

「手洗い うがい マスクを実行していたら、感染症のほとんどが防げるよ。
そういうと、(そんなことはわかってる)と皆は応えるけど、じゃしているかというと、誰もしていない。
もっとも、国民皆が実行したら、我々内科医は上がったりになるけどなぁ~」とワッハハァ!笑われました。 
 
 あれから10数年。。。
今年は国民の殆どが、手洗い うがい マスクをしましたので、
本来なら蔓延している、インフルエンザ、ノロウィルス、マイコプラズマ肺炎等々が激減しているそうです。

 また、「内科医って日々、患者と向き合っているけど、その割には
感染症にかからないやろう~ 僕の場合は、診療の合間に暖かい日本茶を飲んでいる。
お茶には抗菌作用があるから、日本茶、紅茶、ただし茶葉から入れたのをね・・・ 朝 飲んだ出がらしをコップにとっておいて、うがいをしてもいいよ。」
 私は、夏でも熱い日本茶、紅茶を飲むほうなのですが、
出がらしでを、その日のうがい用に・・・は
しばらく続けていましたが・・・('◇')ゞ

 ところが先日何気なく見たネットニュースに、
(奈良県立医科大学で、実験段階ではあるけれど、との前置きで、
インフルエンザはカテキンに弱く、日本茶、紅茶効果が期待されていることが知られていますので、コロナにも同様に効果が推測される)
とありました。

 10数年前に、このコロナ禍を予想したかのようなお話を伺っていたことを思い出しました。

 

 絵友の皆さんからいただいたクリスマスカード オンパレードです。
心が華やぎます。 ありがとうございました。

 私のパステルアートです。
  習った段階で今年の(師走のお便り)を描いた後でしたので、
 このアートを使ってのクリスマスカードは来年(笑)描くことに・・・
         (牛尾さつき先生 考案モチーフです)