そよかぜ日記

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岡山城

2010年11月23日 | 歴史探訪


 背景が黒い夜の大阪城に続いては、外側が黒漆塗の下見板(したみいた)で覆われていて、城自体が黒い岡山城です。 隣の兵庫県の姫路城が「白鷺城」と呼ばれるのに対し、「烏城(うじょう)」とも呼ばれています。
※ 下見板:外壁に使用する板材で、互いの板が少しずつ重なり合うように取り付ける。
 ちなみに「烏」はカラスで、黒い体に黒い眼で、眼の見分けがつかない鳥ということで、「烏(う)」は「鳥(とり)」の漢字の眼の位置に当たる1画がありません。



 岡山城は、戦国時代に宇喜多氏が本拠とし、宇喜多秀家は、豊臣政権下で57万4千石の大大名となりました。 城はその後、小早川氏、両池田氏により整備、拡張され、元禄時代の古地図には、五重の濠に囲まれた城郭が描かれています。
 その後、明治6年の廃城令により、堀は順次埋め立てられ、昭和初期頃までには本丸を残し、巨大な城郭は市街地へと姿を変えていきました。
 天守は昭和6年に当時の国宝保存法に基づき国宝に指定されたのですが、その天守も昭和20年の空襲で焼失し、現在の天守は昭和39年~昭和41年に鉄筋コンクリートにて再建されたものです。
 なお、再建された天守は、瓦に桐の紋が使われるなど、宇喜多秀家当時の天守のイメージで再建されています。

 城の城郭配置は極端で、城郭が西側だけに広がる平山城です。 本丸の北から東には郭が無く、旭川の流路を変更し、天然の堀としています。 そのために、東側から見ると、旭川に映る美しい天守を見ることができます。