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ねがうこと、ゆだねること

鳥居坂の国際文化会館

2009-04-27 | 建築
25日土曜日の晩ごはん、26日のランチと
国際文化会館に連日通う。

土曜日は雨の夜、日曜日は晴れの昼間だったので
いろんな表情が見える。

国際文化会館の敷地は江戸時代は
多度津藩(現香川県丸亀市)藩主の江戸屋敷であったもの。

明治維新で井上馨候爵(外務大臣)の所有となり、
1887年と明治維新の翌年明治天皇、皇后、
各国大使をお迎えしてのお披露目が盛大に催され、
九代目市川團十郎以下一流の役者により
庶民の文化であった歌舞伎を初めて天覧に供し、
これにより歌舞伎興隆の端緒を開いたといわれています。

その後建築された鹿鳴館などより、
外国からの要人のもてなし方がわかり
始めていた感じがする。

その後、久邇宮邸、赤星鉄馬邸を経て、
三菱財閥の岩崎小彌太邸と変遷し、
戦後は国有地となっていたものを
国際文化会館が払い下げを受けた。

岩崎小彌太邸も海外の貴賓を招くゲストハウスの
目的があったので、純和風の建築と庭園だったそう。
7代目小川治兵衛に作庭を依頼し、桃山時代あるいは
江戸初期の名残りを留めている近代庭園の傑作を今もそのまま楽しめる。

その建物は空襲で焼かれたので国際文化会館は設立にあたり
1955年(昭和30年)に日本建築界の巨匠、
前川國男、坂倉準三、吉村順三の三氏の共同設計により
ドコモモ百選に選ばれる落ち着いた建物を生みだす。

2000年前後から建て替え含めさまざまな
検討がなされたそうだが、幸いリニューアルによって
残すことが決定。

土地の一部と空中権の売却によって、
リニューアルならびに活動の原資を捻出。

リニューアルは三菱地所の設計、
運営委託をロイヤルパークホテルに行っている。

いろんな人のかかわりに関しては
また項をあらためたいけど、最後に
明治天皇御前での歌舞伎披露の120年後
国際文化会館で天皇皇后両陛下をお招きして
市川団十郎さんや海老蔵さんらの出演で、
明治天皇鑑賞時の演目だった「勧進帳」が
披露されたことは感銘を覚える。