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やまねこマッサージ

ねがうこと、ゆだねること

ケ・ブランリ美術館所蔵マスク展 in 庭園美術館

2015-05-23 | art
目黒の庭園美術館で、パリのケ・ブランリ美術館所蔵の世界のマス
ク展が開催中。6/30まで。ケ・ブランリ美術館は2006年に開館し
た新しい美術館で30万点のコレクションがあり、うち約1%が常設
展示されているらしい。

ルーブル美術館も確かそれくらいの割合のコレクションがある筈だ
から、フランスは常設展示の割合が定められているのかも。



ケ・ブランリ美術館からまとまった企画展は日本初だそうだし、マス
クだけに絞ったのがいい。その数100点。世界中のマスクが万遍なく
選ばれている。日本の能面もあったし。

最初の広間スペースに飾られたマスクたちの巨大さにまず驚く。例え
ば、コートジボワールのナファナ族のべドゥ(BEDU)マスク。高さ
175 x 幅 66 x 厚 8センチもある!



どんだけ重いんだろう。ヤムイモの収穫祭や葬式に、これをつけて踊
るっていうのだから。ナファナ族がべドゥマスクをつけて踊っている
写真をネットから;



パプアニューギニアの仮面は、ヤムイモのつるを編んで顔料を塗る。
籠みたいで軽そう。こんな仮面もあるんだね。



ナイジェリアのイボ族の仮面は現代アートの幾何学模様だ。仮面を
通して精霊から与えられる力を研ぎ澄ますそうだ。面白い。



100点だけど、その多様性にはほんと驚かされる。儀式などで仮面を
実際に使っている現地の映像が映されていた。眺めていると閉館の
アナウンスが流れて退館する羽目に。最後から2番目の客だったw

つながる音楽劇『麦ふみクーツェ』

2015-04-11 | art
大阪のシアターBRAVA!が開館10年目で来年閉鎖されるそうで、またひと
つ劇場が大阪から消える。もともと劇団四季専用の「大阪MBS劇場」として
オープンしたのが1999年。四季が引越してからシアターBRAVA!と改名し
て10年。

「10周年記念シリーズ」と銘打ったプログラムが3月から始まる。その一環の
音楽劇『麦ふみクーツェ』の初演が世田谷パブリックシアターで始まったので、
2日目を観る(4/23からシアターBRAVA!へ巡回)。



原作はいしいしんじさんの坪田譲治文学賞を受賞(2003)したタイトルも同じ『
麦ふみクーツェ』。演出・脚本は関西を中心に活躍している劇団「sunday」を主
宰するウォーリー木下さん。

音楽監督はトクマルシューゴさん。ギターやおもちゃ楽器などを演奏する方で、
国内外のライブで活躍。CM音楽も多く、バンクーバー冬季オリンピックに向け
た IOCのオフィシャルCMの音楽も(2010)。

その他、出演者、美術、映像クリエータなど才能ある人達が集結してるけど、内
容が多彩になりすぎ、初演ということもあって、削がれていないというか、練り
こめてないかなぁという印象。



その一つに、音楽劇なのでキャストの音楽畑(ミュージカル、歌手、演奏)と演
劇畑の人の折り合いというか、融合が難しいかった気がする。例えばパブリック
シアターなのでマイクというかPAは不要なサイズだけど、使っていることで演劇
的面白みがいろんな意味で失われている。

いっそうのこと音楽劇ではなくミュージカルに絞ったほうがよかったのではと思
ってしまう。




「麦ふみクーツェ」は主人公の影法師というか心の友という役柄で、本作のメッ
セージを背負っているシンボリックな存在なんだけど、映像出演なのでライブ感
を損ねている気がする。

世界的なタップダンサーの熊谷和徳さんが映像出演しているんだけど、やはり生
で踊らないと、舞台を支えきれないという気がした。



トクマルシューゴさんの持ち味である、おもちゃ楽器やがらくた楽器を使うシー
ンがあまりなかったのが残念。通常楽器がねずみの大群で使えなくんだるんだけ
ど、ひょいとがらくた楽器を持ち出す唐突感には驚く。

ワンシーン演奏したら、なんらかの説明もなかったと思うんだけど、もとの通常
楽器の演奏に戻ってしまった。メイキング映像では「がらくた楽団誕生」とうた
っていて、楽器をつくっていく楽しさが見られる。こういう感じはカットされた
のかなぁ。



日本の演劇場合、どちらかといえば場所抑えありきになりがちだし、日程は短期で
固定されロングランはほとんどない。なので台本や読み合わせで練り込む余裕がな
い。予算だって限られている。自分の劇団ならもっとできるんだろうけど。

実際のところはわからないけど、そんなことを感じながら劇場をあとにする。

動物絵画の250年展 in 府中市美術館

2015-04-08 | art
江戸時代の動物絵を集めた展示会が府中市美術館
開催中。5/6まで。2007年に開催された「動物絵画
の100年 1751-1850」の続編だそうで、今回は江
戸全般からの選りすぐり。

先日行った、サントリー美術館「若冲と蕪村展」
特色がよく似ているw たとえば;

1,前期後期で総入れ替え

サントリーでは3分割だったど、府中市美術館では
2分割。こう増えてくると流行りといっていいかも。

2,個人蔵を借りまくる

展示作品は個人蔵が多い。あちこちから借りまくり
はった点も似ている。労作。見たことのない作品が
多いどころか、知らない画家も多かった。

3,図録の充実

サントリー美術館ほど分厚くないけど220ページで
充実の図録。2400円は良心的。小口がざらざらに
切ってあったのも斬新。頁がめくりやすく、感触が
気持ちいい。



好きな絵は江戸後期が多いんだけど、ピックアップ
すると;


関蓑洲 象図屏風 1866

江戸時代、象が少なくとも3度日本に来たそうだ。そ
の3度目。アメリカから来て各地で見世物となる。明
治維新の目前、そんな悠長なことも企画されてたとは。


歌川国芳 鬼若丸の鯉退治 1845

武蔵野弁慶の幼名=鬼若丸が、人に危害を加える鯉を
退治する物語。構図といい構想がなんと独創的か。


鍬形斎 鳥獣略画式 1797

誰でも真似ができるように意図して出版されたイラス
ト集だとか。動きがあって、丸くて、かわいい。

若冲、蕪村もあったし、円山応挙、英一蝶、冷泉為恭、
上田公長などにも好きな絵がある。

生誕三百年 若冲と蕪村展

2015-03-29 | art
若冲と蕪村は1716年生まれで同い年、そして今年が
生誕300年とくれば、両者の企画展はキュレイターと
しては狙いたいものかもしれない。

この企画を射止めたのは資金力のありそうなサントリ
ー美術館。
本業が好調だし、今回スポンサーは1社の
三井不動産だけ(ミッドタウンがらみ)。

たぶんサントリー美術館財団がほとんど費用を負担し、
読売新聞社の力を借りて開催したのだと推測する。たと
えば図録の立派なこと。400ページで1.7kg!(3000円
は良心的)



若冲といえばアメリカのジョー・プライスコレクション
だけど、そこからも海外からも1点もないし、静岡県立
美術館の升目描き『樹花鳥獣図屏風』もない。

そのかわりではないけど、若冲・蕪村に強いMiho Mu-
seumと組んで、このあと巡回するのね。だからMihoの
名品がいくつか来ている;



伊藤若冲「象と鯨図屏風」と蕪村「山水図屏風」が並ん
で展示;



それに加え国内で借りまくった結果(けっこう個人蔵も
多いのね)若冲と蕪村だから入りきらない。なので2ヶ
月の会期(5/10まで)にざっと2回の展示替えというか、
3回行かないと全部が見れない仕組み。

最近流行りだなぁ。昨秋、京都国立博物博での「鳥獣戯
画と高山寺展」
でも前期、後期の2回展示だったので、半
分は見れなかった。ついに3分割。

若冲の版画もよかった。


雪竹に錦鶏図

蕪村の素朴絵というべき俳画もよかった。


奥の細道画巻(部分)


「学問は」自画賛 

来年(2016年)には、東京都美術館で「伊藤若冲展」が
開催されるそうだし、若冲人気が盛り上がりそう。

モニカ=ソスノフスカ・日本初個展「ゲート」

2015-03-04 | art
ポーランド生まれでワルシャワを拠点に活動するモニカ・
ソスノフスカの日本初個展が、銀座メゾンエルメス8階
開催中。3/31まで。

原寸大のゲート=門に、力を加え歪めて着色してから、
天井から吊るされている。実際のゲートを加工したの
ではなく、同じゲートの制作を発注するそうだ。



彼女は実在の建築をモチーフにするそうで、壁、階段、
ファサード、窓、廊下などを断片的に取り出し、造形を
ユニークな彫刻に換えていく。



初来日の時、銀座メゾンエルメスの空間を下見して、今
回はゲートにしようと決めはったそうだが、なぜゲート
だったんだろう。

空間のサイズも影響しただろうが。ポーランドの街を見
回りながら、東京に持って行きたいゲートを物色したの
だろうか?膨大なスケッチ、写真もしくは記憶のストッ
クの中から選んだんだろうか。



ゲートは人のための建築物から、水門やダムのゲートと
いった水から、電子回路のゲートといった電流のための
ゲートなどさまざまな世界で使われている。

共通するのは、開閉することによって出入りをコントロ
ールすることだろう。



大人になると門をよじ登る経験がはるかに少なくなって
いる。子供のころは、門や柵をよく乗り越えたものだ。

見慣れたゲートというか、何気なく通りすぎているゲー
トをちょっと意識するようになる。


山本基展「原点回帰」 in 銀座ポーラ

2015-02-25 | art
銀座ポーラミュージアムで、山本基さんの大きな作品が一つ
展示されている。実物を見たのは初めて。「たゆたう庭」と
いうタイトルだそうだけど、海の波や渦巻きを想像する。



これを塩だけで制作。風が吹けば飛ぶというこ
と?と訊くと、スタッフの方曰く、来訪者が通る辺りは水で固めてありますが、塩だけです、とのこと。



終了後は消えてなくなるんだ。絶句。会期最
終日(3/1)に来場した人達は、手で作品を壊し、その塩を集めて配り、後日海に還すというプロセスに参加できるとのこと。海に塩を還す写真展示も予定しているとか。

もし塩に記憶があるのなら、彼らのアルバムの中に
銀座で作品だった時の思い出も加えてもらいたい。
またいつの日か彼らと再会したいと願っている。

サラサラした塩が造作しやすいそうで、制作現場で手に入る
各地の塩を使うそうだ。今回は京橋の会社が販売している塩。



いろんな道具を使うのかと思えば、マヨネーズ容器の様なも
のだけど使って、9日間で制作したそうだ。圧倒される。
インタビューや制作風景の動画が朝日新聞に載っている

1994年に妹さん(当時24歳)を悪性脳腫瘍で失った経験が、
鎮魂と追憶の思いを込めた塩による創作に結実した。

妹の命が失われた瞬間を記憶にとどめたい、と死に
まつわるいろいろなできごとを作品のかたちにして
いくうち、『お清めの塩を使えないか』と試してみ
たら、とてもしっくりきた。



無理がない。自然な形。わかりやすいんだけど、見たことがない。
独創的でインパクトのある作品。塩には生命的、歴史的、食事的な
どいろんな面があるし、面白すぎ。写真はこちらこちらより

根津美術館・動物礼讃展

2015-02-21 | art
根津美術館でやっていた、「動物礼讃 ―大英博物館から双羊尊が
やってきた!」展のこと。動物がモチーフとなっている工芸・絵
画の70作品が展示。

目玉は、未年にぴったりの双羊尊(そうようそん)。根津美術館
と大英博物館が所蔵する2点のみしか現存しないそうで、初めて
一カ所で展示されたとか。



とは言え、制作年は紀元前13~11世紀と、ゆうに2000年以上前
のものだから、どこかで2点が顔を合せて飾られたとも限らないw

青銅でできていて、高さ42センチと他の器よりだいぶ大きい。制
作者が異なるという説が有力とか。大英博物館の方がきりりと締
まっていて堀も深い。

津美術館所蔵の方は、平板でおっとりしてて、どことなく和な印
象を受ける。神や祖先をまつる儀式に用いられた器だそうだ。



企画展のタイトル「動物礼讃 ―大英博物館から双羊尊がやってき
た!」には偽りはないけど、大英博物館から来たのは、これだけ。

展示冒頭を飾る、住友家コレクションである泉屋博古館から借りて
きた青銅器の数々が素晴らしい。


鴟鴞卣 前12~11世紀 高29.1㎝ 

ミミズク2羽を背中合わせにしたような酒器。酒が貴重だったか、
祝の象徴だったのか、とても凝っている。お腹のトコロのドラゴ
ン模様を始めとして、蛇など所狭しと文様が施され、表情がユニ
ーク。


十二因縁絵巻 日本・鎌倉時代 13世紀 

「折咤王」という武将風の主人公が、十二支を喩えた羅刹(鬼)を
次々に退治していく仏教説話物。こちらは根津美術館蔵。

この絵は鬼を退治していって最後に出てきた「無明羅刹」の髪を掴ん
で征伐する「折咤王」が絵描れている。



周りでは、トラ、シカ、サルたちが見物しているんだけど、ユルイ
表情がなかなかいい。

ホイッスラー回顧展 in 横浜美術館

2015-02-19 | art
ホイッスラー(1834–1903)展が、京都近代美術館から
巡回して横浜美術館で開催中。3/1まで。Open Show CP+
の打ち合わせで横浜美術館へ行ったときに立ち寄る。

ホイッスラーって知らなかったけど、なかなかいい。198
7年に読売新聞社主催で、(今は亡き)伊勢丹美術館や北
海道立近代美術館で開かれて以来、27年ぶりだとか。世界
的にも20年ぶり。

19世紀後半のロンドンとパリで活躍したそうだけど、アメ
リカ人というのは異色かも。モネ(1840-1926)やセザンヌ
(1839-1906)などと交流があったそうだけど、まさに同じ
年頃だ。

ラファエル前派や象徴主義派から影響をうけた様な絵がポス
ターやカタログの表紙に使われている。


白のシンフォニー No.2:小さなホワイト・ガール 1864

そういった絵は悪くないし、

音楽が音の詩であるように、絵画は視覚の詩である。
そして、主題は音や色彩のハーモニーとは何のかかわ
りもないのである。

という「 芸術のための芸術」をかがげた彼の特色でもあるし、
ターゲット層にもアピールしやすいと考えたのかもしれない
けど、風景画がとても気に入る。図録も買いもとめるw


ノクターン ノーツより 1878

川の絵は終生描いたそうだけど、これはテムズ川。浮世絵や水
墨画など日本美術の影響をうけたそうで、

美の物語は、パルテノンの大理石が刻まれ、北斎が扇の
富士山の麓に鳥の刺繍をした時に既に完成している

と語ったほど。


灰色と真珠色:バンク・ホリデー・バナー 1883-84

いいタッチ、色合い、構成・・いいなぁ。

エッチングも高い評価を受け、当時の「エッチング・リヴァイ
ヴァルの中心人物となった」そうだ(M.F.マクドナルド、図録
の巻頭)。


戸口 『ベニス 、12点のエッチング集』より 1879

作庭家・重森三玲旧宅 in 京都

2015-02-07 | art
作庭家・重森三玲(1896 - 1975)が長らく住んだ自宅の一
部が重森三玲庭園美術館として公開されている。京都大学
の奥の一角。

詳しいことや美しい写真は、公式サイトこちらの詳し
いサイト
に譲るとして、印象深かったことと記すね。

吉田神社の社家として名高い鈴鹿家の邸宅であったものを、
昭和18年(1943)譲られ、以来死ぬまで住んだそうだ。



書院前の庭はずっと触ることがなかったけれど、晩年1970
年になって、初めて作庭する。なぜそれまで手をつけなか
ったんだろう。そしてなぜ74歳になって行ったんだろう。

江戸期の建物で、鈴鹿家と関係の深い近衛家の援助によって
建立されたものと伝えられ、平たい石が並べられた古の庭園
へのリスペクト、かもしれないし、戦中の大変な時期譲って
もらった恩義が影響しているのかもしれない。



戦前まではまだ鈴鹿家など吉田神社の社家の土地が多くあっ
たそうで、さぞ幽玄なエリアだったろうが、現在は住宅地と
して面影がほとんどない。

「格式ある社家建築の趣をつたえる、ほぼ唯一の遺構」と
われる
のも重森三玲に譲ったからこそ。所有を続けるなり、
他の方に譲っていたら、ここも新しくなっていただろう。



二つの茶室だけは重森三玲が新たに自ら設計して建ている。
昭和28年(1953)に建てた「無字庵(非公開)」は3畳。多
くの客をもてなすために昭和44年(1969)に「好刻庵」を
建てる。こちらは公開されていて、中にあがることができた。

重森三玲作庭 in 京都東福寺

2015-02-06 | art
昨日の続きで、お目当ての重森三玲によるお庭のこと。
東福寺の方丈に彼の代表作がある。方丈というのは、禅
宗寺僧侶の住居のことなんだけど、さすが東福寺、大き
い。訪問客もほとんどいないから、よけいに感じる。

その四方が重森三玲作の庭で囲まれている。もともと「方
丈の四周に庭園を巡らせたものは、東福寺本坊庭園のみ」
だとか(東福寺公式サイトより)。

靴を脱いで上がると、右の小さな「東庭」と左の大きな
「南庭」が目に入る。「東庭」は7本の円柱で構成されて
いて、北斗七星を表現。



「南庭」は枯山水の様式に、新しい試みが合わさってい
る。特に6mの細長い石が使われれいることが目を引く。



石組みの基本は神や仏を宿す躍動的な立て石にあった
が、江戸中期を過ぎると石を寝かせて配置することが
多くなる。

重森三玲は昭和期において立石本意のモダンな枯山水
の復興に努力し、抽象的な表現を模索しながら現代的
な石組みを作り上げている。
   
  重森三明さん(孫) 重森三玲庭園美術館館長

昨秋、三玲が作庭した当時を復元する試みが、別のお孫さ
んの重森千(作庭家。重森庭園研究所代表)さんによっ
行われたとか。もうその砂紋はないやろうけど、初期の
息吹が感じられたかも。

「南庭」を曲がると「西庭」の市松模様の庭で、ここから
が三玲の真骨頂だと思う。当時はさぞ斬新だっただろう、
今だって。



重森三玲(1986-1975)は独学で作庭を学び、1935年頃~39年
に日本の庭園を調査したものが『日本庭園史図鑑 全26冊』とし
て結実。

凄いなぁ。40歳過ぎてるし、大学に職があるわけでもないし。
39年といえば第二次世界大戦が始まった年。盧溝橋事件は37年。

東福寺の調査を手がけていた時、造園計画が持ちあがり、永代
供養(つまりボランティア)で庭づくりを引き受ける。大きな
チャンスだったのかもしれず、これが実質的なデビュー。以降
たくさんの作庭を手がける。



そして右に曲がると、かの「北庭」。「西庭」の市松模様を受
け継いだ配置が崩れていき、そして最後はまばらになって消え
ていく。なんという独創性。

廊下というか縁側に座って眺めていた。4つの庭のつながりや、
物語を思い浮かべながら。