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ねがうこと、ゆだねること

日本海藻学の草分け・岡村金太郎

2014-01-10 | 農・生物
海藻の話も海藻学の話も面白い。今日は、日本の海藻学の
草分けというか開拓者として活躍した岡村金太郎(1867-
1935)のこと。

明治期に東京大学に入学以来、46年間海藻研究まっしぐら。
日本の海藻の約半数の正体を明らかにしたそうなんだけど、
その植物図というのか海藻図がとても美しい。

国立科学博物館のサイトには、その原画が345枚保存されて
いて、数十枚はネットで見ることができる;


アナダラス(マサゴシバリ目)


ウスバアオノリ(アオサ目)


ツルアラメ(コンブ目)

植物画としても一級品だそうだ。1907年から1937年に
かけて執筆した『日本藻類図譜』として出版。関係者に
とって未だにバイブルとか。制作費の関係から白黒印刷。



明治期に菌類の世界で活躍した南方熊楠(1867 -1941)
の『菌類図譜』を彷彿すると思ったら、二人は同い年。
熊楠の方がちょっと長生きしたみたい。



二人は手紙のやり取りもしていたみたいで、植物の危機
について憂いていたそうだ。

日本海藻学前史は江戸期の外国人たち。

2014-01-09 | 農・生物
LIXILギャラリー海藻展の続き。日本の海藻に関して
植物学的研究を始めたのは、江戸期に日本に来た外
国人だったそうだ。海藻でもなんでも研究する必要
性がなかったのかも。育て方、採取の仕方、食べ方
に関しては相当進むのだから。

ドイツの医者、探検家であるエンゲルベルト・ケ
ンペルは1690年に来日し、徳川綱吉に2度謁見の
機会を得ている。この人のこともとても面白いん
だけど、それはまた後日。


江戸城で西洋のダンスを披露するケンペル!
面白すぎでしょ。『日本誌』より


帰国して著した『廻国奇観』に日本の植物ととも
に、「昆布」「紫菜」「水松」の記述がある。そ
れは見つけらてないんだけど、大豆のページは
こで
見つける。醤油の原料として紹介した最初の
外人でもあるらしい。



椿、人参、樟、榧、銀杏、漆などラテン語(で書か
れてるっていうから当時のヨーロッパ人の教養が伺え
る)に混ざって漢字だけがよみとれる。

死後刊行された「日本誌」はベストセラーで、黒
船のペリー他、愛読者は多いらしいw



日本の海藻の学名を最初に記したのは、あのリンネ
の弟子であるスウェーデン人のツンベルグっていう
植物学者、医者だそうだ。

1775年に出島に赴任。1年で帰国したそうだけど、徳
川家治に謁見してる。箱根町を中心に採集した植物80
0余種の標本は今もウプサラ大学に保存されているって
いうからすごい。この大学の学長にもなっている。



『日本植物誌(フロラ・ヤポニカ)』を出版し、その
800種類におよぶ日本の植物を記述。そのうち、3種類
が海藻だったそうだ。外国の海藻研究も陸上植物がかな
り先行してたみたい。



それ以来、スイスのホーナー、ドイツのラングスドルフ、
シーボルト、アメリカのリングゴールド、ライトなど、
数多くの冒険家が来日し、海岸で海藻を採取する。好奇
心旺盛な冒険家野郎だったのかもしれないけど、植物や
海藻の採取も行う一面もあるのが面白い。

それらは欧米の海藻学者によって研究されたけれど、そ
の成果が日本に伝わる事は稀で、「日本の海藻が日本人
自身の手で研究されるには、明治に入ってしばらく、岡
村金太郎の登場まで待たねばならなかった。」(北山太
樹さん・本展図録より)

岡村金太郎さんのことは、また明日でも。

「海藻 海の森のふしぎ」展 

2014-01-08 | 農・生物
京橋のTOTOギャラリー改めLIXILギャラリーで海藻展をやってる。
白眉。というかあまりに海藻のことを知らなすぎ。ワカメや昆布に
もずくなど海藻はよく食べてるのに、その植生や研究なんて考えた
ことが皆無やったね。

海に泳ぎに行かなくなった、ともいえるけど、海藻って夏は胞子で
冬に大きくなるのが多いから、夏には目立たないそうだ。研究自体
も世界的にも日本でも、陸上植物が圧倒的に先行して、わりと新し
い学問でもあるそうだ。

とはいえ、知らなすぎ。昔のスケッチも今の標本も素晴らしいし、
とても美しい。野田三千代さんによる「海藻おしば」と呼ぶ一種の
押花もとてもいい。2/22まで。


野田三千代さん 「海藻おしば」

海藻の魅力を、この展示会と凝った図録からの印象を中心に書い
ていきたい、何回かにわけて。

1,日本は海藻が豊かな国

世界には1万種の海藻があり、「日本の海岸は海藻が豊かで、世界
でもまれな多種多様な海藻類」があるそうで、その数は1500種。
150メートルを超える水深では太陽光が届かないので生きることは
できず、沿岸部に生息する。大事にしなくては、海、沿岸を。


写真家・鍵井靖章さん・葉山「海の森

2,地球の酸素の7割を海藻が作る

酸素を作る主役は、陸上の植物でもプランクトンやバクテリアでも
なく、海藻が担っているそうだ。もっと言えば、海から陸上にあが
れたのも海藻が酸素を作り、オゾン層を形成し、紫外線を吸収した
からだそうだ。陸上生命のオオモトで、母で、恩人ではないか。

3,主に一年生だが20年生きる大型コンブも

ジャイアントケルプというコンブの仲間は、世界一大型化する海藻。
全長は約50mにもなり、夏には一日50㌢も成長するらしい。日本
ではなく、カリフォルニアからメキシコ北部の太平洋岸に生息して、
ラッコやアシカをはじめ様々な生きものの棲家となっている。」


ジャイアントケルプ

4,縄文時代から食べてきた

縄文時代の遺跡から、海藻の植物遺存体が見つかっているそうだ。和
語では古くは、藻類の「も」に対し、食用の海草一般を「め」と呼び、
特にワカメを指していたらしい。

漢字では、古くは「海藻」(平城宮木簡)、「軍布」(万葉集)、「和
布」(色葉字類抄)など文字としても残っている。

写真家・宮崎学『となりのツキノワグマ』

2013-12-15 | 農・生物
宮崎学さんの森の動物生態写真を清里フォトアートミュージアムで
見たことはここで書いたけど、クマが増えてるっていう本を読む。

彼のフィールドは中央アルプスなんだけど、1982年頃から自動撮影
カメラを設置して、定点観測を続けている。当初クマはほとんど写っ
ていなかったそうだけど、2005年に再開して驚きはる。



さまざまなクマ(イノシシも)がけもの道に仕掛けたカメラに写った
から。以前多かったノウサギ、アナグマはほとんど映らない。「わず
か20年の間に、自然は着実に変化していたのである。」

かれの好奇心は面白くって、次に遊歩道にカメラを設置する。すると
昼間はハイキングを楽しむ人達がたくさん通る道を、夜にはクマたち
が、「わが物顔に闊歩していたのである。」



彼の考察によれば、中央アルプスの森も放置され、様々な植物が繁茂。
「動物たちにとっては最高に住みやすい環境になっているのだ」と。
限界集落ではないけど、人口も減ってそうだから動物たち環境が好転
しているのかも。

「荒廃」とは林業を経済的視点でみて言っていることであって、
いま現在ある日本の山野は、樹木の側から環境を見ていけばけっ
して「荒廃」なんてしていません。

もちろん減っている動物もあるだろうし、ツキノワグマのなかでも、増
減グループ差はあるだろう。ちょうど鯨も50種類あるなかで絶滅の危機
にあるのは10種類程度であるみたいに(「鯨は絶滅寸前という誤解」)。



食べ物に関してだけど、ドングリが不作だとクマが里に出没するというの
は常套文句にすぎないと宮崎さんは批判する。ドングリだけ食べてるわけ
ない、と。木の実、果物、ハチミツ、アリのさなぎ、イワナやマス、鹿や
カモシカの弱った個体まで・・クマの糞の観察の賜物。

好き嫌いに個体差があって、たとえば、ハチミツが好きなツキノワグマ
は1割程度ではないかと、推察している。

冬眠する木の洞を作る実験をするため、クマ用の巣箱を作ったら遊びに
クマが入ったのも傑作。



最近のクマ調査では毛によるDND鑑定による研究も行われているそうだ
けど、有刺鉄線の罠をしかけて、通過するクマの毛をとるらしい。それ
も宮崎さんの手にかかれば、巣箱を調査したい場所にかけるだけで、鳥
たちが半径100メートル以内に落ちている毛を集めてくれるそうだ。

批判的精神と実験的精神に富んだフィールドワークがとても面白い。
彼のサイトは、こことかここ

カメムシ大発生と魅力?

2013-11-17 | 農・生物
近所の方から、カメムシが大量発生しているって聞く。
危険になるとクサイ臭いを放つ虫。スカンクみたい、っ
てスカンクの放屁を体験したわけでないけど。

なんでもカメムシが大量発生すると大雪になるそうで
すよ、っという話になり、今年は寒くなるって予報で
すから、大雪ですかねぇと話は続く。



大量発生の話は検索するとたくさんでてくる。和歌山
ではカメムシ注意報を県農作物病害虫防除所ってとこ
ろが出したほどで、みかん農家が駆除に苦労している
そうだ。島根県でも大量発生して、看板にたくさんカ
メムシが付いているとか。

原因はわからないそうだけど、夏の猛暑の影響ではと
書いてあるところもある。



同様に、カメムシが大発生すると大雪が降るという話
もたくさんでている。それを確かめようという記事が、
中日新聞にのってるし、住んでるエリアの気象情報と
照らしあわせたブログなども。

どうやら、大雪との関係はみられないようだ。当たると
きもあれば、外れる時も。この冬、大雪が降ったとして
もね。



検索してると、ちらちら気になる本が。その名も『日本
原色カメムシ図鑑』
しかも第3巻!全国農村教育協会って
いう創業昭和32年(1957年)の老舗の出版社。

一般的には臭い、害虫ていうイメージが強いカメムシだけ
ど、どっこいその魅力(?)に魅せられた虫屋は多いみた
い。出版記念のトークイベントが池袋ジュンク堂で12/3に
開かれるそうだ。

執筆者の一人、石川 忠さんは1975年生まれで、東京大学特任
研究員。東京農業大学で昆虫学研究室に所属した20歳のころ
にカメムシに出会い、それ以来カメムシの虜となったらしいw



もう一人の長島聖大さんは1979年生まれ、伊丹市昆虫館学芸
研究員。高校時代にクサギカメムシの大発生に遭遇し、カメム
シ恐怖症に陥ったそうだ。

「大嫌いなカメムシを絶滅させる研究をする!」と東京農業大学
の同じく昆虫学研究室にはいる。いつの間にかカメムシの魅力
に取り憑かれた人となり、今は絶滅させる気などさらさらない、
っって紹介文に書いてある。

若い二人の虫屋がカメムシに虜になっている・・日本は面白いな
ってつくづく思う。

澤登晴雄・日本ワイン造りの草分け

2013-10-25 | 農・生物
デラウェアのことを書いたらワインのことに触れたくなる。
日本ワインの草分けの一人、もう亡くなられたけど 澤登晴
雄さんのこと。国立でワイン用のぶどう研究所と畑(6000
坪)を昭和20年に始めた方。

当初は野菜、家畜を育ててた。出身が山梨の勝沼だったもん
だから、ブドウも始めたのね。教わりながら国内外のブドウ
を500種類!植えたそうだ。

縁あって北海道池田町の十勝ワイン作りにも成功させはった
のね。北海道ではできないって官民で反対されたそうだけど、
特色ある産品での町づくりとして成功する。


当時の町長達と作ったワイン工場「ワイン城」

彼の考えの基本は、その土地に自生する山ブドウをベースに
交配を進めていくということ。ヨーロッパのブドウを輸入し
て栽培すると、そうとう手間暇かけなくっちゃ成功しない。
日本人の身体にもあってないって考えるのね。欧米でも基本
的には同じ考えらしい。

フランス人のコワニェティ婦人が日本のブドウが美味しいっ
て本国に持って帰ったら失敗してる。

食べ物はね、出来るだけ産地に近い所で味わうのが、
もっとも美味しいし、体にもいいんです。

同感。

ある品種を使った使ったワインは、この地域でなけれ
ばいいものが出来ない。極端な場合は、隣のブドウ園
で作ったものでもうまくいかない場合がある。

隣の畑でもワインの価格がえらく違ったりするもんね。澤登
さんは山形県月山ワイン、岩手県葛巻ワインなど苦労のすえ
成功される。


亡き澤登さんに捧げられた葛巻ワイン

参考にしたのは生前に書かれた『ワイン&山ブドウ源流行』
(双葉社)から。800円だったのに、アマゾンでは数千円に
なってる。

デラウェアから巨峰へ

2013-10-24 | 農・生物
ブドウをあれこれ食べてるけど、大粒、種なしというのが
人気の傾向なんやろう。巨峰だって種なしが多くなったし。

子供の頃の葡萄の話題になる。ボクはもっぱらデラウェア。
「種無しブドウ」って言ってたなぁ。マスカット・ベリーA
をよく食べてたって言う人もいたけど、食卓には上らなかっ
たw

何粒もに口にいれて、噛みながら皮をだしていたから、皮
の一部も食べて、ちょっと酸っぱい。一粒づつ、食べるな
んていうのは、まどろっこしかった。




後年、オハイオ州に行った時、デラウェアって場所がある
ことに驚く。地名だったとは。新種のブドウを1855年命名
発表したされたそうだ。他のアメリカ産のブドウ同様ワイン
に向かないから、生食やジュース用として栽培が広がる。

日本には1872年(明治5年)に初めて輸入されたっていう
から、いろんなものを取り入れようという意欲の一端を感
じる。



デラウェアは戦後長らく、ブドウの生産1位だったけど、昭
和40年代後半より巨峰の栽培技術が確立すると急速に栽培
面積を拡大し始め、1994年には巨峰の栽培面積に抜かれる。



それでも2位は続いているそうだ。ブドウも他の果物同様、
消費量は年々減少傾向にある。


「食堂マルミヤ」マルミヤ市場開催

2013-09-09 | 農・生物
日曜日のこと。東京五輪決定のニュースで一色になってる
テレビから離れて、近所で散歩。立川のピンクマンション
で「食堂マルミヤ」がマルミヤ市場を開催するっていうの
で寄ってみる。

立川駅って北口に伊勢丹、高島屋、ヨドバシカメラなど
大型商業があって、駅ビル(ルミネ、駅ナカ)と一体化
しながら昭和記念公園に続いているのに対して、南口は
競馬のWINSや大型パチンコ店、役所関連などくらいで、
低層の飲食店がひしめいている。

南口のはずれにラブホが数店集まっている一角、線路沿
いに、ピンク色のマンション=サンパークビルはある。
とはいっても風俗系があるわけではなく(たぶんw)う
つわ屋、カフェ、美容室、餃子バーなど個性的なお店が
集まり「マルミヤ」もここに。


日テレドラマ「理想の息子」(2012)で家族が暮らすロケ地にも

「食堂マルミヤ」は2008年開業の玄米、有機野菜を食べ
させてくれ、絵本なども充実した女子向きの店。という
のもボクにはちょっと量が少ないのねw

マルミヤ市場は5回目でいろんな作り手が集まっている、
って感じで店内に入ったら、いきなり古本泡山さんが店
開き。移転しちゃった匙屋で2度、しかも飲み会でしか会
ったこと(1回目の遭遇はここに)ので本業の古本屋さん
ってことは忘れかけていたw



その他出店してはったのは;
お菓子屋 ボタン
無農薬野菜 ひるま農園
お菓子 fil
練り香・アロマ 手しごとや
自家製酵母ベーグル HARU HANA
自家焙煎コーヒー 珈琲焙煎舎

いろいろ話をさせてもらって楽しかったけど、買ったのは
ひるま農園さんの梨とブルーベリジャム。基本は梨園だと
か。これから最盛期で忙しいですねと水を向けると、もう
収穫は終わったと聞いて驚く。ボクが買った梨(豊水)で
売切れ!


残りは無農薬野菜など・・

早めの栽培の方が儲かるけど、もう終了とは。夏が暑かっ
たぶん甘味も増して美味しい。地元武蔵村山で、年に1度
青空カフェを収穫の時期にやるそうだ。いつか行ってみよ
うっと。

上等な猫グッズの贈り物

2013-07-25 | 農・生物
飼い猫のチャミは外猫とケンカして胸に傷を受けて、
動物クリニックで手当したことはここに書いたけど、
その後の話。

その傷はすぐ癒えたんだけど、顔を足で掻いて引っ掻
くようになってしまい、その傷が治らなくなった。再
び動物クリニックへいくと、エリザベス・カラーをす
るしかないって言われる。



チャミにはかわいそうやけど、7月にはいるまで1ヶ月
以上カラーをする羽目になる。なんどか外したり付け
たりを繰り返していたら、たまたま、顔を足で掻かな
くなったのね。それでエリザベス・カラーとおさらば
できた頃、贈り物が届く。



わが家を設計してくれたテラバヤシさんから、猫グッ
ズを企画したそうで(設計家ってなんでも設計するw)
爪研ぎと猫じゃらしのセットを下さった。



猫じゃらしの方はネズミとチーズの形をした革製!そ
んな上等な猫じゃらしなのに、猫達の食いつきはそこ
そこ。遊んでやると、たまに食いつくぐらいw

爪研ぎの方はえらく気に入り、これまでの安物の爪と
ぎは見向きもしなくなる。爪を研ぐだけでなく、休憩
台としても、チャミもツリもお気に入り。ありがとう
ございます!



8月が誕生月だから、お誕生日プレゼントやね。テラバ
ヤシさんの新居へお礼かたがた遊びに行く。設計事務所
と奧さんの道具屋が一体化してるんだけど、豚毛の猫ブ
ラシがよさげだったので、これも誕生日プレゼントとし
て買ってみる。

上等だからどうかなと思ってたら杞憂。気に入ったみた
いで、いつまでもブラシをして欲しいとせがまれる。

金鳥の発明・蚊取り線香

2013-07-20 | 農・生物
蚊はどこからか家に侵入する。羽音を鳴らして安眠を
妨げられたり(あの音ほんとうるさいねw)、容赦な
く刺されてかゆみが止まらない。

蚊だけでなくいろんな小さい虫が家に入ってくるから、
家ってどこかに隙間があるのだろう。網戸だって完璧
でないし。そのゆるさが風を取り込んで夏の暑さを少
々冷やすのかもしれない。

と思ってたら、カマキリが目の前に突然現れたのには
ホント驚く。親指ほどの大きさやからカマキリからす
れば小さいけど、ちょっと大きくない?親指姫ならぬ
親指蟷螂。



彼は外に逃がしてやったんだけど、蚊は蚊取り線香で
撃退するというか寄ってこないようにする。蚊取り線
香って除虫菊から作られているってのは知ってるけど、
明治時代、日本人による発明だとは知らなんだ。

江戸の頃からありそうな気がしてたから。金鳥の商号
をもつ大日本除虫菊株式会社の社史に詳しい。知って
る人も多いのかもしれないけど、金鳥の創業者=上山
英一郎さんが蚊取り線香の発明者だからなんだね。

1886年(M19)のこと。除虫菊が米国から渡来し、和
歌山県、東京都、熊本県などで栽培され始める。和歌
山県のみかん農園であった上山さんも栽培をはじめた
そうだ。



線香に除虫菊を練り込むことを考案するところが、他の
栽培農家との違いで、1890年に世界初の棒状蚊取り線香
「金鳥香」を発売。5年後には改良した渦巻き型を発売。
英語ではmosquito coil っていうそうだ。



1955年人の手によって渦巻き状に成形してから固める
生産方法だったらしい。その頃から除虫菊の使用はやめ
て、化学的に合成したピレスロイドを金鳥では使うよう
になる。

子どもの頃は、ベープマットやキンチョウリキッドとい
った電気によるものを使っていた。大人になってからは、
昔ながらの除虫菊で作られた蚊取り線香を使ってる。