持続可能な国づくりを考える会

経済・福祉・環境の相互促進関係を!

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連載:持続可能な国づくりの条件 8

2014年09月06日 | 総合

 ブータンには4つの条件が調っている

 ところが、スウェーデンは、「緑の福祉国家」というネーミングで、エコロジカルに持続可能な国づくりを計画的・意図的に実現しつつあるようです。それにならって他の三カ国も含め北欧全体がやっていると思います。 

 これは、先進国のモデルになるものとして、「北欧モデル」と呼んでもいいし、代表として「スウェーデン・モデル」といってもいいでしょう。  

 先進国に対して開発途上国でも、農林水産業がしっかり残っていて、そこに近代的な重化学機械工業をそのまま入れないで、エコロジカルに調和可能な範囲のテクノロジー、オルタナティブ・テクノロジーを入れながら一定の利便性を得ることにして、しかしお金を稼ぐためにはエネルギーや資源をいっぱい使っていっぱい廃棄物を生み出すようなものではない、知識産業で利益を生み出そうという、非常に賢い方向性をとっているのが、私の知る限りではブータン、キューバ、コスタリカなどで、かなりこの線を狙っているようです。

 もっとも意図的に、トップリーダーがリードしてやっているのがブータンなので、今日はブータンの話をしたいと思います。時間がないので、ブータンの位置や略史については、参考資料を見てください。

 

 

 

 

 日本はすでにいったん高度な産業社会、先進国型の経済システムを築いてしまっていますから、これからもう一回ブータン型をそのままのかたちでやろうと思っても、それは無理だと思います。 

 そういう議論がなされる時、すぐに「江戸時代に戻るのか」と反論がありますが、たしかに日本はそのまま江戸時代には戻れない。

 まあ、全員が戻ろうと思ったら戻れるはずですが、全員が戻ろうとは思わないでしょうから、戻れないでしょう。

 だから、日本は先進国型でやるしかないので、だとするとスウェーデン・モデルを日本的にアプリケーションすればいい。簡単に言うとそういうことなのだと思います。

  けれども、開発途上国型・ブータンのモデルも非常に参考になるところがあるなと最近思うようになりました。 

 今まで参加していただいていない方が今日はだいぶいらっしゃるのですが、会ではスウェーデン・モデルはざっと5年以上6年くらい勉強してきたので、スウェーデンのほうは復習的にこうでしたねということで簡略なお話をすることにして、今日は主にブータンについてお話しすることで、残りの時間を使っていきたいと思います。

 

 

 少し調べてみましたが、ブータンでは、持続可能な社会の実現のための四象限にわたる条件はかなり満たされていると思います。 

 どこからいってもいいのですが、重要なのは、さすがブータンというのはやはり左上・内面の象限だと思います。ブータンは国王から、その側近から、みな本気で大乗仏教を信じています。

 そして、「生きとし生けるものすべての幸福を追求する」というのが大乗と上座部共通の仏教の基本理念です。

 その「生きとし生けるもの」の中には人間だけではなくて他の生き物が全部入っているという意味で、仏教は非常にエコロジカルだと言ってもいいと思います。 

 エピソードで言うと、私は残念ながら視察に行けていないので、行った人の話を信じるとすればですが、ブータンの方たちは、例えば夏蚊に刺されても、そっと追い払うだけで叩いて殺そうとしないのだそうです。生きとし生けるものだから。ハエがたかっていても、叩いて殺さないのだそうです。嘘か真か、たぶん本当でしょう。そこがすごいですよね。 

 そういう精神的な風土の中で、しかも国王が「生きとし生けるもの全体の幸福を国として追求しましょう」と言っている。それもポーズで言っているのではなくて、どうも本気で言っているみたいです。

 

 上の画像はワンチュク現国王と奥さまです。いろいろなところでのスピーチを読むと、どうもこの人は仏教について本気だなと思います。 

 それから、前の王妃さまが書いた本が翻訳されていますが、それを読むと、いや、すごく本気なのだなとびっくりしてしまうことが書いてありますので、後で紹介します。 

 つまり、ブータンでは、まず生きとし生けるものすべての幸福を願うという仏教精神を持ったリーダーとリーダー群がいる。

 しかも、それでもやはり近代の利便性も取り入れたほうがいいとなると、ではそれをどうやってうまく統合できるかということをちゃんと考えるトップリーダーからサブリーダーから、人材がたくさんいる、という左上象限の条件が満たされています。

 これはもう本当にうらやましいですね。スウェーデンも同じですが。

 


連載:持続可能な国づくりの条件 7

2014年09月05日 | 総合

 方向転換を可能にする4つの条件 

 そうした中で、方向転換をできるかできないかの差が出るいわば4つの大きな条件がある、というふうに私は考えています。

 この会を始めた当初は、市民も学者も評論家も政治家も実業家も、緩やかな方向性の一致した方々に集まっていただいて、それを大きく広げて、経済と福祉と環境の相互促進というビジョンをもった新しい党が生まれてくる核にしたいということでスタートしたのですが、会を続けてみて、今、日本の市民はなかなかそういうふうに結集して新しい流れ、しかも政治に繋がる流れを作り出そうという気持ちにならない、そういうところに人が集まらないという状況にあるように思えます。

 そういうわけで、当初、緩やかな方向性の一致ということを考えていたので、私は自分個人の考えをあまり強く前面に出さないようにしてきました。

 しかし、そういう状況の中で、いったん「持続可能な国づくりは以下のような4つの条件すべてが調わないと実現しないと考えている」という私個人の考え方をはっきりお示しして、これをまずみなさんに理解していただくことから始めて、できれば合意に到った上で、「では、次のステップとして何ができるだろう」という討議を重ねていくほかないかなと思い始めています。

 そこで、これまでは他の先生方にお話をしていただくということが多かったのですが、前回と今回、「私はこう考えています。みなさんはどうお考えですか」と問いかけさせていただく学習会にすることにしました。 

 存在の4象限理論 

 さて、私とほぼ同世代のアメリカの大思想家ケン・ウィルバーという人がいますが、この人は「存在の4象限」という理論を提出しています。

 世界全体を見るためのいわば「地図」として、非常に有効な理論だと思っていますが、存在にはすべて、図の左側に示される内面の象限と、右側に示される外面の象限がある。しかもそれも上側・個の象限と、それから下側・集団の象限がある。合わせて四象限でものごとを考えると、存在の全体像が見えてくるという理論です。

 まずその4象限理論のイントロをお話ししてから、続いてそれを応用しながらブータン、スウェーデンといきます。

 まず、わかりやすい買い物・消費行動という例で考えてみましょう。

 私たちが左上・個人の内面で、何かものを買いたい・買おうと思ったとします。

 それは、実際の行動としては右上の消費行動になります。

 ところが、お店があったり卸屋さんがあったりという、商品流通システムという右下の社会システムがないと、私たちは消費行動ができません。

 さらに、そこにお札や硬貨を持っていくとみながそれを価値あるものとして見なしているという左下の文化としての貨幣経済が必要です。交換経済だったら、紙きれや金属片を持っていても換えてもらえません。つまり、この紙には価値があるという文化的な合意が成り立っている必要があるわけですね。

 考えてみていただいて、どこかの要素、例えば買うという意欲がなかったら消費行動は起こりませんよね。それから貨幣経済がないと買えない。貨幣経済という合意があっても、商品流通システムが壊れてしまっていたら買えない。大震災の後がそうでしたね。お金はあるのだけれど店が開いていないからものが買えない。そういうことでした。

 4つの事柄が全部そろって初めて、個人が消費行動をすることが可能になるわけです。 

 右上の条件だけなので日本ではできない 

 4象限理論を持続可能な社会に当てはめて考えると、どこから行ってもいいのですが、日本人がいちばん考えているのは右上です。「環境にやさしい」という話ですね。

 環境にやさしい、つまり環境適合的な個別の技術をいろいろ工夫する。それから環境にやさしいと思われる行動を個人がする。これをずっと積み上げていると、そのうちよくなるんじゃないか、と。

 私の見てきたかぎりでは、1960年代の終わり、環境が問題だということが一般的に知られるようになってきた頃から、日本の市民はずっとこういうことを考えたり行動したりし続けていると思います。「それぞれができることをやっていたら、そのうちよくなるんじゃないか」と。

 ところが70年から計算して何年ですか? 42年ぐらい経っていますよね。

 みなさんの感触でいいですから、どうでしょう。全体として環境問題は、40経ってよくなっていますか?

 私はもう明らかにそうとう悪くなっていると思います(今も進行中の各地での記録的大雨はその1つの現われだと思われます)。

 つまり、個別の努力の積み重ねでだけでは、よくなってこなかったし、これからもよくならないのではないでしょうか。

 ところが、日本人は個別の努力の積み重ねがとても好きな、ある意味で生真面目な国民で、『ハチドリのひとしずく』という絵本があって、何十万部か売れたというエピソードがあります。

 率直に言って、「なぜこれがそんなにも売れるのだろう」と私は思うのですが。ご存知ですか、『ハチドリのひとしずく』という絵本とエピソードのことを?

 ご存知ない方もいらっしゃるようですから、典型的なエピソードなのでちょっと話しておきます。

 森・ジャングルが火事で、動物たちはみな逃げている、というところから始まります。

 ところが、ハチドリ――こんなに小さな鳥ですよ、蜂に近い大きさの鳥だからハチドリというのですが――だけが必死になってその小さなくちばしで水滴をジャングルの上から落としている。

 他の動物たちが「何やってるんだ。そんなことはやってもむだだ」と言うと、ハチドリは「私には私のできることをやっているだけ」と答えたというんです。

 なかなか感動的でしょう。他の動物は逃げているんです。だけど、小さなハチドリだけは逃げないで、一滴でもいいから私のできることを、と水滴を垂らしている。

 これはたしかに感動的ではあるんですが、でも、本当に効果があるかどうかで考えましょう。

 これでジャングルの火事が消えると思いますか?

 まちがいなく消えないでしょうね。

 こういう行動は、心情的にはとても美しいのですが、効果はありません。

 日本人の心ある市民総体がこの40年やってきたことは、申し訳ないけれど「ハチドリのひとしずく」のようなことだと私は思います。

 心情は美しいし、そこは私もとても共感します。けれども、実際の状況はどんどん悪くなっているんではないでしょうか。

 ではどうすればいいのかというと、本当は、森に象さんはいないかもしれないけれど、象さんも含めてみんなでブワーッと大量の水をかけないと、火災は止まらないですよね。

 だから「みんなで一緒になって」ということが必要です。

 ハチドリが一匹、自分のできることをやっているだけでは森林火災は消えないように、グローバルな環境問題は、それぞれの人ができることを自分の場で一生懸命やるだけでは変わらなかった、というより悪化してきた、と言い切っていいと思います。

 40年あまり変わらなかったけれど、ここ2,3年、「私は一生懸命新聞のリサイクルをしています」とか「空き缶もやってます」といったことで、環境全体の事態が変わるというふうには考えないほうがいいと思うのですが、どうでしょうか。こういう言い方は意地悪でしょうか(笑)。

 今まで環境団体の会なんかで言ってすごく嫌われたのですが(笑)、でもこの会ではあえて言おうと思います。

 ハチドリのひとしずくでは森林火災は消えません。動物たち全部が必死になって水をかけても消えるかどうかという話です。

 それと同じように、右上象限だけで、こんなにすばらしい環境技術ができたとか、個々人がこんなに努力していますとかというのは、もちろん必要な4分の1ではあるんですが、あと4分の3が足りない。

 私に言わせると、日本では4分の3が足りないと思います。

 左上象限の個人の内面としては、「私は自然が好き」というだけではなくて、自然と人間社会が調和することを本気で欲求し、それにはどういう社会システムを創り出せばいいのか本気で願い構想するという、そういう心のある人、特にリーダーが必要ですね。それも1人ではなくて、リーダー群が必要です。

 それに対して、左下象限としては、例えばリーダーがそういうことをちゃんとインフォメーションをしたら、ぜひ社会をそういうふうにしたいと思うような、社会全体が共有する環境・自然との調和を最優先するという価値観・文化も必要です。

 日本人には個別的に桜が好きですとか星を見るのが好きですとかという個人はいっぱいいて、それで「日本人は自然を愛している」とかというのですが、しかし戦後の日本社会を見ていくと、ずっと自然環境を壊してきています。

 つまり、個々人の心情としては愛しているけれど、社会システム総体としては愛していない行動をしてきているんです。だから、そこを間違えてはいけないということですね。

 社会全体として、「経済的繁栄よりも自然との調和のほうが私たちは大事です」と国民全体が思っている、そういう社会の価値観が必要です。

 これは、残念ながら今の日本には欠けている。というか、これも欠けている。

 したがって、環境と調和した社会・経済システムを本気で願い構想するリーダーがいて(左上)、個々人にも協力してもらって、すでにある技術をいろいろ使いながら(右上)、社会全体の価値観の共有があるためにみなで本気になって(左下)、そういう社会・経済システムを創り上げる(右下)という話になる必要がある、ということですね。

 予定と違って、日本でなぜできないのかの話を先にしてしまいましたが、日本では右上の積み上げでできると思い込んでいる人が多いということが、決定的に残念ながらずっと続いていると思います。


連載:持続可能な国づくりの条件 6

2014年09月04日 | 総合

  それから経済と環境の関係ですが、先ほども申し上げましたように、近代の経済システムの入口の資源の有限性、それから出口の自己浄化能力の有限性について、これまでの経済学の本にはスタンダードに「経済外要素」と書いてあるのですね。

 驚くべきことに「環境は計算に入れないで経済活動をやっていい」というのが近代の経済学であり、実際の経済の営みだったのです。

 ところが、経済繁栄の「目的外の結果」として環境問題がもたらされたわけです。入口と出口の二つのポイントで、生態系の劣化をもたらしている、これは同時に人間の生存条件を劣化させているということです。 

 直近のもっとも深刻で「この先どうやって解決するのだろう、本当は全然解決していない」と思うのは、原発―放射能汚染ですね。

 これは、そもそも近代的な産業では必然的にエネルギー需要が増大していくわけで、それに対して原発で非常にうまく供給できるように見えた。

 確かに事故がなければ、それから放射能が漏れなければ一見そう見えるのですが、まさに自然災害である震災によって、しかし人災もあって、放射能汚染が起こっている。

 この放射能汚染というのは、まさに人間の生存条件が極限的に劣化しているということです。 

 この極限的に劣化している状態に対して、特に放射能に関しては無害化の技術が原発を始めてから60年経っても未だに目処さえついていない、というのが専門家の口をそろえるところです。

 しかもその有害度は、長いものだと十万年から、もっと長いと百万年ぐらい管理しなければならない有害廃棄物が絶え間なく出ていくわけですから大変なものですが、まだ続けようとか言っている経済人や政治家がいて、ちょっと何を考えているのかわからないというか、何も考えていないのだろうなと理解するしかないというか、残念ながらそれが日本の政府とその政府を支持しているあるいは少なくとも容認している市民の状況です。  

 それから、環境は生産の大前提になっているので、いつまでも大丈夫みたいな錯覚がありがちですが、実はすでに環境が劣化すると企業の生産条件も劣化するということが始まっています。

 最近の象徴的な出来事は、タイの記録的豪雨で、これは気候変動のせいだと思われます。この豪雨のために日系企業は一斉に生産停止せざるをえなくなって、おそらく数百億以上の損失を被ったようです。

 こういうことは今回たまたまだと企業のみなさんは思っているのかもしれませんが、この類のことがこれから頻繁に起こると思ったほうがいい。 

 だから、全体で言うと、安定した気候条件がないと生産ができないということは、逆に言うとちゃんと安定した気候状態を作るために企業も貢献しないと、中長期を考えると企業活動に大きな支障が、もうすでに出始めているし、もっと出てくるでしょう。 

 しかも根本的なことは、いわばモットー的に書きましたが、「環境なくして人間なし」で、環境が破壊されてしまうと人間生活はありません。人間生活がなくて経済だけがあるということはありえません。

 だから、重要度から言うと「環境なくして人間なし。人間なくして経済なし」という順序であって、これは普遍的な事柄だと思います。

 そういう意味で、人間社会にとっても企業にとっても、環境への配慮は必須という状態になってきている。

 かつ、そういう方向に転換せざるをえないということは環境技術の需要も高めていますから、今、俗な言い方で言うと「環境は金になる」時代に、もうすでになってきていますね。 

 環境保全あるいは回復技術というのは、基本的に知識産業型のものですが、ここにちゃんと産業の重心を移していくことによって、環境保全あるいは回復をする、しかも経済もうまく巡るという形は、可能でありかつ、もう一回言うと北欧はそれをちゃんとやっているということですね。 

 例えばデンマークは、風力発電によって単に電力需要をまかなっているだけではなくて、風力発電が雇用を生み、しかも風力発電機は世界中に輸出されていて、経済的な国際競争力のひとつの大きな要素になっています。 

 そういう細かい事例を全部お話しする時間はないので、今日は基本的な枠組み・システムの話だけをしていきたいのですが、イントロダクション的にざっとこういうことだけは押さえておきたい。

 

 人間の生存条件の劣化としては全体としてみるとこういうことがあって、企業の生産条件の劣化としてはこういうことがある、ということですね。 

 とにかく、これから廃棄物をどこに処分するのか。

 いちばん深刻なのは、先ほど言った核・放射性廃棄物をどこに処分するのか。処分方法がないのですね。

 フィンランドは何百メートルかの地下に埋めて、十万年管理するとか言っているのですが、現生人類の歴史は長めに見ても二十万年くらいですから、その半分とか、文明史は一万年くらいとして、その十倍の年月誰が管理するのだろう、と(笑)。

 独立国としてのフィンランドという国は、遡っても千年前には存在していません。それなのに、今後十万年後もフィンランドが存在していて、フィンランド政府が責任を取るなどということが想定できるんでしょうか。 

 それでも、フィンランドは地盤が基本的に岩盤だからまだましですが、日本はそうではない地盤に埋めようとか言っています。

 日本政府のみなさんは自分たちと同系統の日本政府が十万年後も存在するとか思っているんでしょうか?

 そういう根本的な疑問がありますが、こういう話はやっていると長いので次に行きます。 

 

 先ほども言いましたが、企業の生産活動はすべての条件が整ってはじめてできるのであって、何か足りないものができてきたら、そこで問題が起こる。日本は、放射性だけではなく廃棄物全体をどうするか、ゴミ捨て場がなくなってきているという状態ですね。

 それから地球規模では、水・淡水問題で、生活にも工業にも必須の淡水が減ってきています。

 ここのところで他の、例えばエネルギーが思ったよりも埋蔵量があったとか、技術が進んだのでシェールオイルが使えますとか、天然ガスがあるじゃないか、と言っても、廃棄物の問題はそれで片付くわけではなくて、水不足の問題が片付くわけではない。

 大きな危機がかなり近未来に迫っていると思うのですが、なかなか方向を転換できないのが先進大国で、経済大国だった日本も本当に困ったことに、まるで方向転換できない・する気がないようです。


連載:持続可能な国づくりの条件 5

2014年09月03日 | 総合

 経済と福祉の関係からいきますと、高度な福祉はみなが望むことですが、それには豊かな財政の裏付けが必要です。豊かな財政の裏付けには豊かな税収が当然必要です。ということは、豊かな経済が必要だということです。

 これまで、高度な福祉は財政・経済を圧迫すると考えられてきたのは、先ほどの当会の「理念とビジョン」の図示にもありましたが、確かに重化学機械工業が社会の生産のメインで、それを輸出する、そして国際競争をする、そういう前提で考えると、福祉の費用とトレードオフ関係になっています。

  ところが、早めに見ると一九六〇年代ぐらいから世界レベルで、産業自体、本当に利益を上げる産業は何なのかというと、重化学機械工業から知識産業へと重心が移行していると思われます。

 もっとも典型的には、フィンランドやスウェーデンなどが非常に経済的な国際競争力が高いのは、重化学機械工業で頑張っているのではなくて、もっとも典型的にはフィンランドの携帯電話などのように、エネルギーや資源の使用量は非常に少ないけれど、知識的な付加価値は極めて高いという商品を作れる国、会社が利益を非常に挙げている。

 日本でもここのところ十年から二十年、お金持ちになった人を見るとネット関係の仕事の方が多いですよね。

 そこで、国全体として重心を知識産業に移すためには、高度な創造的知識能力のある労働者・国民が必要です。知識産業を育成するためには、そういう労働者が生まれるような高度な福祉が必要になる。

 弱者救済型の福祉を「ウェルフェア」といいますが、これから、もちろんそれも含みながら、むしろ高度な仕事育成、知識産業の労働者を育成するような福祉――非常に簡単に言うと、病気で寝たきりの人がアイデアを生み出すというケースがゼロではありませんが、だいたい病気で頭が痛かったら考えていられません。それから、例えば起業しようと思っても、起業した後で失業したらもう生きていけないのではと思うと起業できないけれども、起業して失敗しても、要するにセーフティーネットがしっかり張ってあるからもう一回やり直しがきくとなると、思い切って起業ができる――スウェーデンはそういう福祉をしっかりやっているわけですが、日本は起業をやって失敗したら二度と立ち直れないのではないかという不安があって、なかなかできないという国ですね。

 ですから、そういう健康にしても雇用にしても、要するにこれからものすごく新しい試みをしながら、知識によって付加価値の高い商品を生む、それができる労働者・国民を育てるためには、国民への教育を含む福祉へのしっかりとした手当てが必要なのですね。 

 そういう福祉をしっかりやる国家を「ワークフェア国家」といいます。まさに北欧はみなワークフェア的な福祉国家を形成することによって、福祉はちゃんとやる、経済は順調ということを、実現しています。 

 その形を大まかに言うと、環境の保全・回復、これは人間のベースです。そしてさらに人間の健康を確保する。そして医療や福祉でさらに確保する。それからさらに教育で能力開発をする。そこから人材が生まれる。そういう形で知識産業が伸びていく。そうすると知識資本によって知識産業が育つ、新しい仕事・雇用が創出される。スウェーデン・モデル全体の形を大まかに図示すると、こういうことになっています。

 

 その知識産業で産業界が非常に利益を上げると、当然税収は増収になるわけですね。財政は健全化して、十分なワークフェア的福祉をやる社会的費用がまかなえる。実際に少なくとも北欧四カ国はほぼそういう形で順調にやっているようで、その代表選手がスウェーデンです。

 


連載:持続可能な国づくりの条件 4

2014年09月02日 | 総合

 環境の持続可能性と社会の持続可能性 

 環境的に持続可能ということがベースですが、環境の上に人間社会が乗っかっているわけですから、持続性というのは二つの側面で考える必要があります。

 まず人間の社会的持続性、これは経済と福祉の関係をトレードオフ(相互矛盾)から相互促進というかたちにする必要がある、と。経済繁栄はしたい、景気を回復しなければならない、そのためにいろいろな費用がかかる、福祉にはお金は使っていられない、福祉にお金を使いすぎると経済がうまくいかない、国際競争力が落ちる、といった話がしょっちゅうされています。

 確かに今のメカニズムのままではそういうところがありますが、スウェーデンは、みごとにトレードオフから相互促進へと社会システムを組み替えています。 

 それから環境持続性についても、人間の経済と環境の関係を、経済のためには少々環境が汚れてもしょうがないじゃないか、環境のために費用をかけすぎると国際競争力が落ちるし、少々汚染しても自然が何とかしてくれるだろう、という話で今まで突っ走ってきた、まだ突っ走っている国が多いのですが。

 これをトレードオフから相互促進にする必要があるのですが、これもみごとにスウェーデンが国家の二十五年計画として進めていて、十数年が経っていますが、ちょうど去年半分ぐらい過ぎたところでスウェーデンの自己査定が公表されました。「われわれは持続可能な緑の福祉国家に向かって順調に歩を進めている。あと十年以内にはスウェーデンは一国単位では持続可能な国になっていると、われわれは確信を持っている」という発表をしていましたが、うらやましいですね。

 

 この社会的持続性・環境的持続性の両方が満たされてはじめて持続可能になるわけですが、これをみごとに計画的に達成しつつあるのがスウェーデンです。

 しかしこの先進国モデルとそうとう違う形で、ブータンがやはり計画的にやろうとしているという話は、もう少し先でやります。

 


連載:持続可能な国づくりの条件 3

2014年09月01日 | 総合

 いわゆる「地球環境問題」と呼ばれているものは実に多様にあるのですが、今から十数年前に環境白書の中で環境省が発表したダイアグラムがかなり全体像をよく捉えていると思います。

 これについて細かい説明をしていると、時間が、それこそ「環境論」の90分授業15回でも足りないぐらいの中身があります。

 ですから、今日はとにかく非常に多様にあるのだということを見ておいていただくことにしますが、真ん中のあたりに「地球温暖化」とあります。

 

 

 日本の環境関係者の多くが「温暖化」と言い、マスコミも「温暖化」と言っていますが、国際水準からいうと用語が非常に矮小化されていて、むしろ「気候変動」と言うべきだと思います。

 「温暖化」という言葉のイメージで考えてしまうと、「この冬はこんなに寒いじゃない。どこが温暖化なの?」という話になってしまう。けれども「気候変動」とは、記録的な豪雪が降ったり記録的な豪雨があったり記録的に暑かったりという、記録的に上がったり下がったりと非常に激しくまさに気候変動しながら、五十年・百年単位で見ると少しずつ温度が上がっていくという話なので、毎年必ず〇・五度か一度ずつ右上がりに上るというイメージがもたれがちですが、そういうことではありません。

 ダイアグラムにあるように問題はたくさんあるのですが、今、「気候変動」がひとつの決定的に大きな問題だと思います。

  2007年に出されたIPCCの近未来予測と警告(以下参照)を見ますと、例えば2020年代の気温上昇の幅は0.5度から1.2度ぐらいだろう、と。

 

    IPCC・近未来予測と警告(2007年4月)

  ●2020年代(気温上昇 05.〜1.2度程度)         

 ・数億人が水不足による被害にさらされる

 ・サンゴ礁の白化現象が広がる

 ・生き物の生息域が変化し、森林火災の危険性が増す

 ・洪水と暴風雨の被害が増える

 ・栄養不足、下痢、呼吸器疾患、感染症による負担が増える

 ・熱波、洪水、干ばつにより病気になったり、死亡したりする確率が増える

 ・感染症を媒介する生物の分布が変わる

 ・北米では、河川の流量が減り、現在のような水需要は 満たせなくなる            

 

 素人考えで言うと、「これぐらい上がったからといって、どうっていうことないんじゃないか」という気がするかもしれませんが、それが実際に引き起こすであろう気候変動はここに挙がっているようなものですが、特に3番目の「生き物の生息域が変化し、森林火災の危険性が増す」ということ、これはもう非常にはっきり現実化していますね。

 1昨年だったか、ロシアですごい森林火災がありましたし、それから去年カリフォルニアでもありました。それから去年の暮だったか、オーストラリアでもありましたが、あれはもう消えたんでしょうか。とにかくあちこちで大きな森林火災が起こっています。

 それから日本も暴風雨の経験をしていますし、アメリカも記録的なハリケーンの体験をしている。

 それから頻発する竜巻など、ここのところちゃんと追いかけていくと「記録的豪雨」とか「記録的~」という、まさに気候変動・異常気象が連発していることは、みなさん実感しておられるとおりです。これをなんとなくではなくて、時間を追って通しで見ていくと、大きな気候変動が起こっているということが警告・予測―観測されています。

 ただし、IPCCに対する「温暖化は嘘だ」というジャーナリスティックな批判が、今非常に流行っています。もしかして当たっている部分があるかもしれないので、この会としてはIPCC第二部会長であられた西岡先生が顧問をしてくださっていますから、近々に「先生、あまりにもジャーナリズムが温暖化は嘘だと言っているから、『温暖化の嘘』は嘘だという話をちゃんとやってください」ということをこれからお願いしたいとは思っていますが……(注:IPCCの本格的な検証―反論はすでに公表されています)。

 しかし戻ると、温暖化だけの問題ではありません。もし温暖化がとりあえずそれほど大したことではないとしても、他の大変なことがたくさんあるということです。

  そのたくさんある中で、先ほどの図の左側・入口のところを見ていただくと、人口増加、経済成長、豊かさの変化、とにかく経済活動の拡大が、右側の端・出口のところで、生態系破壊、健康被害、人類存続危機というかたちになっています。どれかのテーマについては思ったほどではなかったとしても、この全体の図式はまったく変わらないと思います。

 今、矮小化されて「大丈夫だ」といった印象になってきているのが、例えば、「オイルシェールが見つかったから、アメリカはこれから石油が百年ある」とオバマ大統領が喜んでいたようなことですね。

 石油が百年あるからといって、地球資源が無限になるわけではないし、地球資源が無限にあったとしても環境の破壊がそれで解決されるわけではありません。

 このあたりのメカニズム全部お話しすると時間が足りないのですが、どこかだけが大丈夫になったから全体が大丈夫だという話ではまったくない。

 だから気候変動が大したことはなかったとしても、万一温暖化が嘘だったとしても、他に嘘ではない環境危機が実に深刻に多数ある、ということを確認しておきたいと思います。

 


連載:持続可能な国づくりの条件 2

2014年08月30日 | 総合

 地球環境問題のポイント

 

 確認として繰り返すと、今、持続可能性が世界レベルで問題になっています。それは、産業革命以来ここ二百年余りを「近代」と呼ぶとすると、現行の「近代的な社会経済システムの問題だ」というのが私たちの共通認識です。

 近代的な社会経済システムでは、基本的に資源を大量消費・大量使用し、それによって大量生産をし、それを大量販売します。ここまでは主として企業がやりますね。それを大量消費していく。これは主として市民がやります。

 「消費」という言葉には大きな落とし穴があって、「消え費やす」と書きますが、使ったものは使い終わったら消えてしまうわけではなく、必ず結果としてゴミになって残ります。つまり、基本的に消費された商品のほとんどすべては最後にゴミになって残る。

 つまり、大量生産・大量消費の結果は大量廃棄です。これは生産のプロセスで企業もやりますし、それから消費した結果市民も出します。

 ところが、資源は有限です。それから、地球のゴミを処理する自己浄化能力も有限です。

 ですから、近代的な経済システムは実は入口も出口も有限だったのですが、産業革命が始まった頃はそんなことは自覚されていませんし、最近まであまり自覚されなかった。

 1960年代になって、地球環境は実は入口も出口も有限なのだということをはっきり認識したオピニオン・リーダーが現われるようになってきて、やがて社会的・世界的に問題にされるようになってきたのですが、根本的原因である現状の社会経済システムの変更にまで取り組むに至っている国は非常に少ないという状況にあります。

 しかし、とにかく地球環境は人間の経済に対しては入口も出口も有限ですから、持続可能にするためには、この入口・出口で大量に使って大量に捨てるという近代的な社会経済システムを根本的に変える必要があります。

 そういう意味では、現行の社会経済システムの延長では地球生態系が持続不可能になってしまうだろうというのが、私たちの会の基本的な合意点です。

 ですから、「いや、現状の延長で可能なんだ」という方がもしいらっしゃれば、後で議論をしてもいいのですが、基本的には現状の延長では不可能だという合意を前提にその先を考えようというのが、この学習会です。

 


連載:持続可能な国づくりの条件 1

2014年08月29日 | 総合

 運営委員長の岡野です。申し訳ないのですが個人的な事情と心情のため、長らく記事を休んでいましたが、ここのところの異常気象などもあって、もう一度、エコロジカルに持続可能な国づくり、世界づくりの必要性と可能性について、言うべき・言える基本的なことだけでも言っておこうという気になってきました。

 そこで、これから会の学習会で行なった「持続可能な国づくりの条件――四象限で読み解くスウェーデン・ブータンモデル」(2013年1月13日)という講義の文字起こしを増補・修正した記事を何回かに分けて連載していくことにしました。

  はじめに

 運営委員長の岡野です。おめでとうございます。

 とはいっても、去年の選挙から気分があまりおめでたくないというか、実を言うとその前からずっと気分がおめでたくなく、「日本も世界もこのままいくとどこへ行ってしまうのだろう」というか、どこへというよりは「崩壊に向かうだろうな」というシミュレーションをしながら、なんとかそうではない方向に、まずは国からそしてやがては世界を向けていきたい、と思い続けてきました。

 ですから、最終的な目標は、「人間と自然との調和が保たれて今後も人間文明が持続していくこと」つまり「エコロジカルに持続可能な世界をつくる」ということですが、とにかくまず自分たちの国からということで、「エコロジカルに持続可能な国づくり」はどうしたらできるのかということを、会を始めてから六年ぐらいになるでしょうか、ずっと一緒に学んだり、その他の活動をしてきました。

 今日は、実際に持続可能な国づくりを非常に意図的・計画的にやっていて、徐々に実現に近づいている事例として、先進国モデル・スウェーデン――私たちは最初から「先進国のこれから先はやはりスウェーデン・北欧モデルだろう」ということでスタートしましたので、そこは変わらないのですが――と、最近、ブータンが非常に好印象で迎えられているので、少し勉強してみますと、非常に賢明にいわば「開発途上国型の持続可能な国づくり」を行なっていて、「これはうまくいくのではないか」と予想―期待していますが、その両方について、なぜスウェーデンはできるのか、なぜブータンはできるのか、ポイントの話をしていきたいと思います。

 そこからちょうど鏡のように、なぜ日本はできないのかということが見えてくることになると思いますが、今日は、主になぜスウェーデン、ブータンはできるのかについてお話しするつもりです。とはいっても、脱線して「だから日本はできない」という話まで行くかもしれませんし、終わった後、みなさんとの話し合いの中で、そういうこともご一緒に考えていければと思っています。

 


今何をするべきか

2013年01月19日 | 総合

 運営委員長の岡野です。 

 先日の学習会で、参加者のお一人から「私は何をしたらいいのでしょう?」という質問がありました。

 これは、いろいろなところで講演・講義するたびに必ずといっていいくらい出てくる典型的な質問です。 

 この質問の前提になっているのは、当然のことながら、「社会をよくしたい」とか「環境問題を解決したい」とか「日本をエコロジカルに持続可能な国にしたい」という気持ちでしょう。 

 そういう気持ちをもっているにもかかわらず、どうしたらそれを実現できるのか、実現するためにどう自分が貢献できるのかがわからない、ということだと思われます。 

 当日は、時間がないので簡略に、「まず理解をしてください。それから、その理解をできるだけまわりの人とシェアしてください。さらに、社会を変えるのは一人ではできないので、この会でも他でもかまいませんから、自分がいいと思ったグループに参加してください。今、日本で必要なのは、それぞれがそれぞれの場でできることをするという「ハチドリのひとしずく」的な善意の行動をもう一歩超えて、結集―連帯することです」といった趣旨のことをお答えしました(まったくこのとおりではなかったと思いますが)。 

 ここで付け加えると、持続可能な社会が、

①「ハチドリのひとしずく」の積み上げ方式でいつかやがて実現するだろうと思う方は自分のできることを自分のできる範囲で続ける、

②デモや署名を続けることでリーダーが反省して実現してくれると思う方はこれまでどおりそれを続ける、

③持続可能な社会のモデルを情報として伝えていればやがて市民もリーダーも変わってその結果実現できるだろうと思う方は情報伝達を続ける、

④4象限の条件がすべて揃わなければ実現しないと考えている私たちは、まずその考えをできるだけ広く伝達―共有する努力をし、その考えを核として結集する努力をし、それがやがてより広い、日本全体に及ぶエコロジカルに持続可能な国を実現することを理念とした党の誕生―成長に影響を及ぼし、その結果、日本が実際に持続可能な国になることを目指す、

という、それぞれの行動を選択していけばいいのではないか、と私は考えています。 

 そして、それらはもちろん対立するものではなく、やがては一つになっていくべきものだと思いますが、当面、別々のスタイルでそれぞれにやっていくほうが、効率がいいのではないかと考えています。

 (日本未来の党については、まだ不十分なところが多いとは思いながらも、やがてそういう党に成長してくれることを期待しながら、当面支持するというのが私の姿勢です。) 

 私たちの会の創設のきっかけとなったシンポジウムから6年あまり、当初は方向性が大まかに一致している人々とのゆるやかで幅広い運動体になっていくことをイメージしていましたが、さまざまな紆余曲折を経て、今私が到っている結論はこれです。 

 会員のみなさま、読者のみなさま、賛否どちらであれご意見をいただき、生産的な議論ができると幸いです。

 


残年!

2012年12月31日 | 総合

 

 岡野です。

 日本が「エコロジカルに持続可能な国」に近づいたか遠ざかったかという物差しで量ると、今年は明らかに大きく遠ざかってしまった年だと言うほかありません。

 ほんとうに残念です!

 しかし、今年は終わっても、まだ来年もあります。

 そこで、「残念」と「年・時は残っている」というのを合わせて「残年!」という言葉で、今年を締めくくりたいと思います。

 来年は1月13日、早速、学習会です。ぜひお集まりください。

 それぞれがそれぞれの場でできることをやっているだけでは、国は動きません。

 志ある人間が結集しなければならない時代になっているのではないでしょうか。

 私たちの会は、まだごく小さな会ですが、大きな結集に向けた始まりの小さな結集の会でありたいと願っています。

 では、よいお年を。来年こそは、日本国民全体にとっても人類全体にとってもよりよい年になりますように。