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まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

霜月に、山粧う

2013年11月01日 | 日記
 今日から11月の霜月、さわやかな秋晴れだ。「山粧う」と書いて山々が紅葉するさまを「やまよそおう」と読むんだそうだ。この先の冬、すっかりと落葉した寂しさは「山眠る」となって、自然の移り変わりをうまくいい表した言葉に日本の美しい残像を連想させ、なるほどなあと納得する。
 秋と言えば、この時期に恋しくなるのが柿の実。小田急線沿線でも鶴川、柿生を少し入ったあたり、色鮮やかな実がたわわになった様子は、里山風景にぴったり同時にどことなく郷愁を誘うようで、子供時代を思い出させてしみじみとした気分になる。ここらあたりでよく見られる柿は、「禅寺丸」といって甘味が貴重であった江戸時代から昭和初期までの地元特産品で(「私編岡上風土記稿」鈴木頸介/2003年、八月書館)、農家の貴重な現金収入であったというから、いまからすると時代の流れを感じさせる。柿生という地名は、かつて特産だった「禅寺丸」に由来し、二駅先の玉川学園に在住していた遠藤周作がわざわざ「柿生の里の住人」と称していたのもわかる気がする。しばらくして、町田の物産売り場でその小粒な実を見かけて、もの珍しさから食してみたけれども、素朴な甘さで種の多さに郷愁となつかしさを感じたものだ。
 さらに「禅寺丸」とは、ちかくの真言宗名刹「王禅寺」の僧が江戸時代※に原木を発見したところからきていて、北原白秋や白洲正子も訪れたことがあると知り、実物を見てみたくなって出かけて行ったことがある。宅地が進んだ周辺にそこだけ取り残された“隠れ里”のような寺があり、本堂前にその二人も見上げたという禅寺丸が枝を張っていて、何かを語りかけてくるようで不思議な気分がしたものだ。あの原木は今年もたくさんの柿の実をつけていることだろうか。
 その一方、すぐ近くには旧武蔵工業大学の原子力研究設備があり驚かされる。川崎北西部の古刹と、すでに廃炉となっているとはいえ人智によるコントロールが困難となっている現代科学技術施設との取り合わせに、都市化がすすんだここの地の霊のような呼びかけを感じる。人間の傲慢さへの自省と謙虚に向き合うべき自然に対して。

  もう一度柿の話に戻すと、先日ちかくのスーパーの店頭で奈良吉野郡の里の特産「柿の葉すし」が目に止まり、久しぶりに食べてみたくなった。酢メシに鯖、鱒、鯛のすこし発酵した切り身がのっかり、全体が柿の葉の香りにくるまれたほんのりとした香りと味わいが絶妙だった。柿の葉には殺菌効果もあるそうで、先人の知恵がつまった伝統保存食は故郷新潟の「ちまき」と同様、地産食文化としてずうと大事にしたいな。
 こんどの休みの日に、鶴川三輪の里めぐりか薬師池公園の先の民権の森・ぼたん園かさらに先の小野路にできた里山交流館周辺にいってみて、秋空にはえる禅寺丸の実のなる風景を写真にとり、ついでにほんのりと甘いという「禅寺丸ワイン」を買ってこよう。紅葉が丹沢あたりで本格的になってきたら、晩秋の空気を吸いにお気に入りの山間の温泉に行こうと思う。

※その後、手にした「小田急ボイス」に柿生紹介がされていて、王禅寺のことも書かれていた。それによると「禅寺丸柿」の発見は、1214年鎌倉時代のことなので本文は訂正。原木の発見年が記録に残っているなんて、当時はとてもスゴイことだったんだと感心する。ちなみに王禅寺の山号は「星宿山」、なんてロマンチックなんだ!

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