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まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

江の島サムエル・コッキング苑

2021年12月18日 | 旅行

 湘南モノレールは、大船駅を起点に湘南江の島まで八駅を結ぶ6.6㌔mの単線懸垂式、その浮遊感といったら、まるで遊園地のゴースターに乗ったみたいでたまらない気分になる。鎌倉の山襞を縫うようにときに曲がりくねりながら上り下りして、途中トンネル潜りもあり、スリリングなことこの上ない。
 その特色はなんといっても高架ならではの眺望の良さ。冬の快晴の時期、車窓からは冠雪を纏った富士山の姿が見え隠れして思わず歓声を上げたくなる。基本は沿線住民の生活をささえる通勤通学路線なのだけれど、それだけにとどめているにはもったいないくらい。首都圏において面白さ抜群のローカル線である。

 始発の大船から乗車するのは久しぶりで、こどものようにワクワクしてしまう。乗車して約三十分足らずで、終点の湘南江の島駅に到着する。ビル五階にあるホームは改札を出ると、海岸方面に開けた展望スペースがあり、その先真正面にはもうこれでもかというばかりに堂々とした富士山が構える。あまりのストレートさが潔すぎて、なんだかあっけにとられるくらいだ。
 一階に降りて江ノ電踏切をわたり、まっすぐ洲鼻通りを江の島へと向かう。鄙びた雰囲気のあったこの昔ながらの通りも、ここ数年は新しいショップが次々とできて新旧混じったにぎやかな明るい感じである。
 通りをすすんで、国道134号線をくぐると江の島弁天橋につながっていく。この日は海風が強く吹いていて、さめるような快晴の青空に冬の太陽が眩しかった。橋を進む途中白い幾重もの波頭のむこうに丹沢大山、そして富士山が眺められる。この解放感と気持ちの良さは、何度来てみても素晴らしく代えがたいものがある。

 橋を渡り切ったら青銅の鳥居をくぐり、両側がにぎやかな商店街の参道をすすむ。正面に赤い大鳥、階段を上ると竜宮城のような端心門。そのまま石段を上れば辺津宮に至るが、この日はバリアフリーコース?を選択して、昭和レトロ気分満載の江の島エスカーを乗り継ぐことにした。このエスカーは、なんと昭和34年7月(1959年)に開業していて、以来六十年余りにわたって参拝観光客を運び続けていることになる。
 二回の乗り継ぎを経て、あっという間に山頂広場にたどりつく。サムエルコッキング苑は、明治初頭期イギリス人貿易商コッキング氏が作った別邸庭園跡とレンガ造り温室の遺構だ。南洋諸島原産の珍しい植物が残っている回遊式の園内は、近年新たにバラ園や椿園が整えられ、藤沢市との友好都市アメリカ・マイアミ、カナダ・ウインザー、韓国保寧、中国昆明ゆかりの四つの広場が設けられている。関東大震災などで倒壊してしまったレンガ積基礎の温室は、完成当時石炭燃焼により発生させた蒸気で温める仕組みの配管や、地中トンネル通路、雨水利用の循環施設もあったというからスゴイ。
 11月にコッキング氏の年表や写真画像ほか資料を展示したスペースがオープンしたばかり。彼の来日後における国内外での商業活動や日本人妻と結婚した暮らしぶり、最後は横浜平沼に骨を埋めたという生涯には興味を惹かれた。生き方は全く異なるが、同じ異邦人小泉八雲の生涯を連想してしまう。

 せっかくだから江の島展望台に昇ってみることに。今風シーキャンドルという愛称の塔は、正式な灯台であり、展望施設も兼ねているというのが正しい。夕暮れ時間には早いが、展望台に上がってみればまたまた相模湾ごしの白波、冠雪富士の雄大な姿。周囲三百六十度の眺望でまことに爽快、と言いたいところだが、あいにくのものすごい強風で、ゆっくりと不気味な揺れが伝わってくる。この空中浮遊感はあまり快適にあらず思わずすくんでいると、その腰の引けた様子をみて同行者がニヤニヤしているのがう~ん、恨めしい。

 そこそこに下界におり、石段を登り下ろして奥津宮への参道を進み、洒落た感じのカフェMaduでひと休み。ここの窓辺からも相模湾沿いの辻堂・茅ヶ崎・平塚の街と湘南平大磯、背後に丹沢箱根の山並み、植栽に隠れてしまっている富士山頂の白い部分だけが見えている。
 それぞれが注文したパスタ料理、思いのほか野菜とソースが調和しておいしかったのは、程よい疲れと空腹感、眺めの良さだけでなく、ともに過ごした時間の堆積もあったからなのだろうか。
 あとで調べたら、ここは東京北青山が一号店でどうやらその二号店らしい。イタリアンと海鮮丼ものが混じったメニュー、若者カップルむけの店内雰囲気は、そのあたりからきているのかな。

 ここまで来ると表通りはがらんとしている。帰りの裏道は甘いものが頬張りたくなって、出桁造り中村屋羊羹店舗の奥で湯気をあげていた二色のひと口饅頭を求める。
 饅頭を口にしながら山側民家の細い路地をぬけて進むと、しばらくして海側の木立が途切れたさきに、またしてもの富士山、空気が凛として澄んだこの時期の姿は、とりわけ素晴らしい。北斎富嶽三十六景には及ばないにしても、島内道中折々そのさまざまな変化の眺めは見飽きることがないだろう。