日々礼讃日日是好日!

まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

清明過ぎて玄鳥至る花まつり

2020年04月08日 | 日記

 きょうは、お釈迦様の誕生日(旧暦)にちなんだ「花まつり」の日、さわやかな青空が広がり、よく晴れ上がった一日となった。季節は二十四節気五番目にあたる清明とまさに春爛漫のはずが、新型ウイルス感染拡大で行く先の見えない閉塞感が充満している。
 
 人命よりオリンピックの延期都合を優先させて、遅きに失した感のある政府による史上初の「緊急事態宣言」で文字通り世の中は閑散としている。だが、こうなったら嘆いてばかりはいられない。これを機会に普段見えていなかったことに注意をむけて、あたらしい視点からの発見と創意工夫をしていくチャンスでもあると発想の転換を図りたい。  
  
   ポカポカ陽気だった清明の日は、相模川べりの座架依橋たもとの河原土手の桜と見納めのスイセン畑を眺めに出かけた。風が強く吹いていて閉口したが、相模川を隔てて大山と丹沢の山並みがくっきとと見渡せる爽快な気分だった。
   帰り道、座間キャンプちかくの一軒家レストラン「ラ・リチエッタ」へ久しぶりに立ち寄ると、駐車場はがら空き、玄関で茶色のラブラドール犬が人物査定よろしく出迎えてくれていた。午後一時半すぎの遅めのランチタイム、天井の高い店内の隅の席で、ひき肉カレーセットをとった。付け合わせのサラダ野菜は、地元のものらしく新鮮でせっかくだからピザにワインでもと思ったが、ひとり車運転なのであきらめよう。  

 そこから急いで帰宅し、パソコンからYou-tubeライブ午後三時配信のズーラシアンブラス結成二十周年公演「ズーラシアンカーニバル」を見る。インターネットによる生中継ははじめての体験なので、どんなものか興味津々だったが、なんとも観客のいないホールの舞台演奏会とは不思議なものである。さらに動物キャラクターのオーケストラメンバーが並ぶステージ光景は、観客のいない客席と対比するとシュールだ。スタジオライブとも違ってカメラアングルは切り替えられても編集がきかないし、当然ながら司会者がいなければ演奏者だけでは成り立たない。それでも、生配信ということで見ても、その熱演と迫力がすばらしくて感動した。  

 今宵、花まつりは満月と重なる。中庭に面したベランダから覗いてみると、月は東の空にきっきりと浮かんでいる。朗々とした月下の夜、昨今の騒動をどう考えたらよいのだろうかという想いが募る。
 ウイルスは、細菌とも異なり無生物と生物の間に漂っている奇妙な存在である。多くのウイルスは宿主と共存しているが、ときに個体の死をもたらすということの輪廻にも似た現象は、自然界全体の摂理を想わざるを得ない。それはいわば“生命系の黙示録”=サイレントボイスと呼ぶべきものだろうか。
 静謐な満月のもとに夜桜は咲き残り、沈黙の声に耳を傾けながら、人類を脅かすかのように振る舞う新型ウイルス騒動がやがて落ち着いて(それは必ず犠牲をともなうけれども)共生していくことを願う。


  余談:清明の日のおやつは、地元のお菓子屋「松月」で求めた桜もちとどら焼きの二本立て。どうして季節ものにどら焼きの組み合わせかというと、この四日は「あんパンの日」(銀座木村屋)と並んで「どら焼きの日」なんだそうだ。だいたいにおいて加工した食べ物にちなんだ記念日は食品業界からの提案によるものが多い。案の定、こちらは平成20年に島根県米子市の菓子屋京丸製菓が公称している。まだ一般的ではないから、地元のお菓子屋さんも知らなかった!
 そのココロは、桃の節句と端午の節句に挟まれた日、カステラにあんを挟んだどら焼きを食べて幸せ(4合わせ)になろうと洒落たからという。ならばいっそのこと、この季節らしく桜餅とどら焼き、ということで日本茶で味わった和の甘味はなかなかに結構なものでした。

 
町田郊外三輪の令和最初の桜の里山風景。  
さまざまなサクラが次々とスイセン、菜の花などと競うように咲く(撮影:2020.3.30)

 
 同じく三輪、民家の裏山に咲く山桜。こんもりした土盛(墳墓?)の上に鎮魂のごとく。