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まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

33年ぶり再見「風の歌を聴け」と神戸の都市風景

2015年11月14日 | 文学思想
 川崎市民ミュージアムに出かけるのは本当に久しぶりだ。市民ミュージアムのある等々力緑地内の野球場なら、二年前に娘の高校野球部の夏大会予選の応援で出かけたことがあって、それ以来になる。

 先週の土曜日、国道246号線をビートルズ「パスト・マスターズ」を聴きながら都心に向かって約一時間ほど走る。JR南武線を越えて多摩川を渡る手前で右折して、川堤に沿った市道に入ると対岸には二子玉川の遊園地跡にできた高層ビルやマンション群が望めた。そこには10月に移ってきたばかりの楽天本社ビルもある。そのビルの上層階はエクセル東急ホテルで、ハワイから一時帰国していた友人が泊まっていたので、会いに行ってきたのはひと月半前のことだ。このあたりの近年の変貌はまことに著しい。ビル群の少し先には、府中から続く国分寺崖線の緑地帯が細長く伸びている。曇り空のもと、神奈川県側から対岸の東京世田谷郊外風景の眺めはなかなか素晴らしく、車中の気持ちを開放的にさせてくれる。
 第三京浜をくぐり、しばらくすると等々力緑地、目的の川崎市民ミュージアムには午前十時すぎに到着。全体が黒っぽい巨大な甲虫のような印象の博物館と美術館を合わせた建物、なにしろ延べ床面積は2万平方メートル近くある。1988年の開館で設計は菊竹清訓、時代からしてバブリーな色合いが濃厚で、その分いまとなっては巨体すぎる大雑把なプロポーションに、予算が厳しいのか外観を含めたメンテナンスの遅れが目についてしまう。オープン当初は、写真や映像、ポスターなど複製芸術やデザイン分野にも焦点をあてたユニークな公立ミュージアムとして話題を呼んだだろうに、立地の厳しさもあり、いまとなってはそのやや寂れ具合がなんとも残念な気がする。

 今回の目的は、ATG映画「風の歌を聴け」を見ることにあった。村上春樹のデビュー作が発表されたのが1979年で、そのあとすぐの1981年に当時の新進監督大森一樹、主演小林薫、真行寺君枝で映画化され、翌82年1月5日に観ているメモが残っている。おそらく、有楽町の今は無き日本劇場地下の日劇文化において観ているのだろう、33年ぶり!
 改めて見直してみると、冒頭の主人公の小林薫が高速バス乗り場で神戸行のドリーム号の乗車券を購入しようとするシーンから始まって、驚くほど細部までよく覚えているのが不思議だった。テーマ曲のビーチボーイズ「カリフォルニア・ガールズ」は、最初のタイトルロールとエンディングの2回にわたって流れていた。主人公の恋人役の室井滋はこれが映画デビュー作、もうひとりの双子姉妹の恋人役の真行寺君枝は、これを見て好きになったのだった。鼻にかかった甘えた声と長い髪、謎めいた吸い込まれるような瞳、たしかこの当時、洋酒のコマーシャルにも出ていて、たちまち田舎の少年の純真な心を捉えてしまって、長くそのポスターを部屋に貼りだし、眺めてはため息をついていたような、今から思うと赤面ものの青春時代の一コマ。

 この映画をみたあと、いてもたってもいられず、舞台となった神戸の街に憧れて新幹線に乗り、ポートタワーサイドのホテルに泊まって、三宮に元町や北野坂異人街を歩き回ったものだ。坂田明がマスター役のジェイズバーや真行寺君枝店員役のレコード店や北野のアパート、フランス語を習っていた六甲教会、芦屋など、ロケ地を探し尋ねて歩き回った思い出が蘇る。友人の鼠役、ヒカシュー巻上公一も実に若々しくてびっくり。まだ、ポートアイランドはできていなかったはずだ。
 映画の終盤、僕(小林)と小指のない女(真行寺)が並んでのベットシーン、二人が上半身を起こして会話するのだが、セリフ音声がわざと消され、文字スーパーで交互に会話を交わす場面がある。そこに千野秀一の音楽がかぶさって、最高にカッコよくて恍惚としたものだ。いつか、自分もこんなふうに情愛を交わしてみたいとすっかりその気にさせられたが、現実は全くそのような機会が都合よく訪れることはなかった。スクリーン上に記憶通りの映像が目の前に出てきたときは、当時の感情がありありと憶いだされ、半分苦笑してしまった。
 帰ってから、久しぶりに原作本をひっぱりだしてみたが、映画の相当部分は原作に忠実であるようだ。でもやはり味わいは微妙に異なり、例えば原作P177に始まる二人のベッドシーン、書かれた表現は幾分ウェットで感傷的であるような印象がする。この原作は、著者が千駄ヶ谷でジャズ喫茶のオーナーだった時に書かれたという。村上春樹は京都で生まれ、神戸で育っている。また、映画には架空の作家デレク・ハートフィールドの記述はない。

 この映画と同じ1981年は、松任谷由美のアルバム「昨晩お会いしましょう」が発売された年でもある。その冒頭を飾る一曲が「タワー・サイド・メモリー」で、歌詞中において「KOBE GIRL」のフレーズが印象的に繰り返され、神戸港が舞台となっている曲だ。大学生時代に同級生の女の子から、失恋をしたときに、この歌を聴いてひとりで神戸タワーに上って慰めたという話を聞かされ、鎌倉育ちのさっぱりとした素敵な子だっただけに、この曲への印象がいっそう深まった。と同時に舞台となった神戸へのあこがれは殆ど妄想に近く掻き立てられ、忘れられない町となった。
 1995年の震災あとしばらくして、無性に神戸に行ってみたくなった。新神戸駅で新幹線を降りて、元町をぬけ、倒れて撤去された湾岸高速がない見通しのよい通りの風景に驚き、その先に再び無事で営業を再開していたタワーサイドホテルを見つけて泊まれた時には、旧友に会えたような気がしてうれしかったものだ。

 自分の中での神戸という都市の風景は、この様な要素の中でかたち造られたのだということをあらためて思い起こした体験だった。1995年以来、神戸を訪れる機会を持っていない。懐かしい神戸、この先にふたたび縁はあるのだろうか?

(2015/11/13 書初め、11/14 初校)