日々礼讃日日是好日!

まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

金沢武蔵ケ辻、十間町の村野藤吾から鈴木大拙館へ

2014年11月24日 | 建築
 北陸金沢を訪れるのは二度目で2007年11月24日以来になる。振り返って調べてみたら、最初が仕事がらみの出張で七年前のちょうど今日のこと!夜までの勤務を終えた後、横浜発の夜行バスに乗り込み、翌日早朝の金沢駅前に到着したのだった。
 JR金沢駅前には能楽囃子の小鼓を模したような巨大なゲートモニュメントがそびえ、開館間もない話題の石川県立音楽堂の建物が目に入ってきて、底冷えはしていたけれど金沢に来たんだ、と実感したことをよく覚えている。まずは北鉄駅前センターに立ち寄って観光バスの午前コースを申し込み、隣接したホテルのカフェで朝食を取って出発時間を待った。バスはまず、浅野川を越えて東方向、金沢市街を一望できる卯辰山公園山頂に向かった。ここから俯瞰した浅野川と犀川にはさまれた金沢城と兼六園を中心とする街並み全体が、わたしの金沢の印象としてずっと刻印されることになる。

 そうして、期せずして偶然同じ時期にふたたびの金沢、その日は神奈川圏央道、関越道、上信越道から北陸道と車を走らせ、走行距離が500キロを越えた夕方五時過ぎにようやくホテルに到着。三階の部屋でシャワーを浴びて着替えた後、すぐに荒天の中をいそぎ足で金沢21世紀美術館を訪れて「ジャパン アーキテクツ 1945-2010」を見る。フランス人キュレーター、F.ミゲルーによる戦後日本建築史を俯瞰する六つのセクションで構成された展覧会。丹下、坂倉、菊竹、大谷、大江、谷口、前川、村野、吉阪、レーモンド、吉村といったすでに故人となった大御所をはじめとする有名建築家の作品図面、パネル、模型がずらりと並んで圧巻。興味をひいたもののひとつは1970年の大阪万博俯瞰模型、いまからみると無邪気なくらいに未来礼讃、SFチックな仮設建築のオンパレードが時代を感じさせる。故郷を同じくする異色の建築家渡辺洋治作品もみかけたが、肝心の「斜めの家」模型と図面は見逃してしまった。

 深夜、ふらふらと大手堀正面のホテルへ戻り、夜明け前に目覚めると暗闇に雷光が光っている。そのまま、前夜の出来事のことを考えながら眠れずにぼんやりと朝を迎えると、次第に白んだ空はあいにくの曇り空と時折の雨。ホテルから傘をさして歩きだし、Mから在処を教えてもらった、戦前若き日の村野藤吾が設計した十間町の中島商店ビル(1932年7月竣工)を見にいく。鉄筋3階建の正面がベージュ色タイル張りビルで隣の望楼つきの伝統町屋との対比がおもしろい。竣工した当時は、この街並みの中でさぞかし斬新であっただろうけれど、八十年余りを経ていい色合いのファサードをはじめ、建物全体がすっかり周囲になじんでいる。階層ごとの窓枠の違いの変化がいかにも村野らしい。中島商店ビルの向かいは、すみよしや旅館で創業が江戸時代、三百数十年以上の歴史を持つ宿だそうで、その重厚な木造二階建ての黒々としたただずまいが目をひく。宿泊料は意外と庶民的で、次の機会にぜひ泊まってみたいと思わせる宿だ。
 この近くの武蔵ケ辻交差点には、昨晩見て回った旧加能合同銀行本店(1932年4月竣工)現北国銀行支店もあり、こちらは同じベージュのタイル貼りながらも、船底型の尖塔アーチが三連で並ぶ特徴的なファサードで、辻にふさわしいランドマーク性を際立たせていた。その香林坊方向へ下ったすぐ脇が近江市場への入り口となる。この二つのビルは同年の竣工ということもあって、その意匠の類似性と立地による差異の対比が興味深い。

 まだ七時すぎ、Mと待ち合わせをして朝の近江市場通りをぬけていくことにした。海産物鮮魚を中心に、開店準備中で活気づき始めている市場をひやかしながら、朝食をどうしようか尾崎神社の近くまで歩く。結局、大手堀正面の宿泊先の二階のレストランでバイキングをとることにした。テーブル正面の窓際からは堀の向こう、城郭石垣に松の木の緑、イロハモミジの赤が対照的に映えて美しく、ここからの眺めがこの場所で食事する価値があるだろうと思えたくらいで、雨に濡れていっそう絵になる眺め。話題は最近亡くなられた赤瀬川原平さん、それから谷川俊太郎さんのことなどに及んで持参していた本を見せ合うことに、お互いの興味の視点がおもしろい。

 九時過ぎ、雨が降ってきた中を車で金沢城公園と兼六園の間を抜けて10分ほどの本多町にある今回の訪問のメイン、鈴木大拙館へと向かう。本多町交差点の少し先の民家の間を入ってすぐの背後の緑の斜面を背にしてその建物はあった。谷口吉生の設計で2011年7月に竣工しているから、村野藤吾設計のふたつのビルから79年後のこと。
 鈴木大拙(1870-1966)は金沢本多町出身、日本よりむしろ海外で有名な仏教学者で禅=ZENの思想を世界に広めた人物。晩年は鎌倉に居住し、東京で亡くなっている。わたし自身高校時代に禅思想に興味をもっていた関係でその名前を意識してきたけれども、久しぶりの再会だ。ただし今回は、鈴木の思想そのものよりも、Mからの影響もあって建築空間に対する期待をいだいての訪問で、コンクリート打ち放しのエントランスから期待感が高まる。入口脇から横に入るといきなり「水鏡の庭」と命名された人工の矩形の池に出会う。雨粒が水面に落ちて小さな泡となって模様を描いている。正面は花崗岩の壁で水平に隔てられ、その向こうが斜面の緑の木々で、モミジやイチョウの紅葉が見事な対比をみせている自然を借景とした情景。思索空間と名付けられた四角い白い浮身堂のような建物は、なんと土蔵造り二階建てで、本館鉄筋コンクリートのモダン建築と伝統建築工法が回廊でつながり、人工池に面して違和感なく融合しているのが本当に素晴らしい。

 順路に戻って本館に進んでいくと、なにやら人だかりの先に長身の白髪紳士、なんと谷口吉生氏ご本人が案内している場面に遭遇したのだった。館の係の方に伺うと、谷口氏設計の東京・京都国立博物館や豊田市美術館、資生堂アートハウスほか全国の博物館美術館の連携記念会合があって、その関係者が来館中とのこと、その後からそろそろと従うはめになった。そうこうしていると、遅れて黒のソフト帽に黒の上品なカシミヤコートの小柄な老人の姿が目に入る。あっ、とびっくり、槇文彦氏である。期せずして建築界の両巨頭のツーショットに遭遇するという僥倖!こんなことって偶然にしても出会うことがあるんだ、と心底驚ろかされた。やっぱり、午前中早くにきてよかった、その後しばらくは幸運にも、お二人の会話を伺いながら同じ空間体験を共有することとなった。
 外部回廊からふたたび水鏡の庭を眺めながら思索空間へと移動していく。雨はやんでの文字どおり“水鏡”状態、そうしてしばらく眺めていると、今度は雲が切れて奇跡的に青空から冬の陽光が差し込んで、水面にきらめく。しばらくの間のこと、その日差しのもと、雨に濡れた緑の木々と紅葉がいっそう鮮やかな表情をみせた。Mと歩いて回っていると、なぜか思わぬ出会いや偶然があり、何故だろうと本当に不思議な気にさせられる。帰りは池の脇を通って横から水鏡の庭を眺め、隣接の松風閣庭園との間の狭い通路を歩いて行き、中村記念美術館前庭園に出て表通り前の車まで戻る。

 わずか一時間あまりのことだったと思うけれど、凝縮されたここの空間での幸せな時間と体験は一生忘れることができないひととき。大拙と同年に生まれた石川出身の哲学者には、これまた高名な西田幾多郎(1870-1945)がいて、ふたりは旧制高校からの畏友どうし、その西田記念哲学館が金沢のほんの少し先のかほく市にあり、こちらは安藤忠雄の設計ということで現代建築家の対比としても興味深く、次回訪問の機会には目指してみよう。

 金沢芸術村での谷口吉生×槇文彦対談会場へ向かう車中、「LONGTIME FAVORITES」(2003年)を聴きながら移動する。この中に竹内まりや&大瀧詠一による唯一のデュエット曲「恋のひとこと Something Stupid」(ナンシー・シナトラ、1967年)というたわいのない甘いラヴソングがあって、このカヴァー曲を一緒に聴いてもらうのが夢だったのだけれど、まさか金沢で実現するなんてね。
 このたびの旅は、やっぱりきっかけを作ってくれたMにいつもながら感謝!
                                        (2014.11/24初校、11/28 0:10 改定加筆)