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ヨコハマトリエンナーレ2014 プレビュー

2014年08月02日 | 美術
 八月、夏真っ盛り。故郷新潟の高田城址公園外堀では、19haに及ぶ広さに蓮花が咲き始めていて、そこに天上世界を見てきた。

 話題?の先取りで七月末日の午後から、翌日開幕の「ヨコハマトリエンナーレ2014」プレビューにみなとみらい&新港地区に出かける。主な会場は、横浜美術館と新港埠頭市営倉庫(新港ピア)の二カ所。人口350万巨大都市ヨコハマでの地元開催がたたって?いまひとつ期待感というか、盛り上がりがたりないような印象がしてしまうのは時代感度のズレか、芸術とあれども経済面予算の関係なきわけはなく、あふれる様々な情報量のなかに乱立もしくは埋没してしまうパラドックスからは免れない。今年開催されるほかの二つの連携するトリエンナーレ、札幌や福岡が正式タイトルを漢字表記にしているのに対して、横浜名の場合はカタカナ表記であり、それは差異を強調するよりもステレオタイプな心象を与える。いっそのこと最初からローマ字表記のままのほうが潔いのに、と思ったりもする。
 それでも、正面入口前まで来ると、全長20メートルくらいはありそうな金属製トレーラーのオブジェで、細部はゴシック建築意匠の金具の集合体からなっているのがわかる。アンモニュメンタルなモニュメントという副題には、やや無理がある。その理由は既製品だからということではなくて、このみなとみらい地区の場所の歴史地域性を反映して制作されたものではないからだろうか?

 美術館エントランスに入ると、プレスや内覧招待客、コアなアート関係者であふれかえっていて、やはりこの美術展がそれなりの大きなイベントであることがようやく実感される。
 そして3F吹き抜けの天井まで届くような、ガラス張りの巨大なケース。「ART BIN」という名称の「芸術作品のゴミ箱」(マイケル・ランンディ:1963年ロンドン生)。このケースに、創作過程で発生した試行品や失敗作を投げ入れるという“芸術行為”のパフォーマンスが衆人の取り巻く中行われるのに運よく遭遇した。最初は、芸術監督の森村泰昌による、千手観音?に扮したかのような巨大なポートレイト幕を拡げてみせたあと、いっきに落下させると軽いどよめきがおこるが、それすら予定調和的に見合ていたのは皮肉だろうか?(翌日の朝日新聞夕刊一面には、このプレパフォーマンスの記事が写真付きで掲載されていたのは、広報的にはまずまずの成果だろうか。まあ、朝日新聞社は主催者の一員でもある)

 このトリエンナーレのテーマは「華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある」、華氏451とは、自然界で書物媒体である紙が自然発火する温度のことだそうで、SF小説のタイトルから来ている暗示的なもの。それにならって全体構成は物語仕立てで、美術館会場が屋外の序章から始まり第一話から九話まで(だだし九話は作品ではなく、音楽パフォーマンスらしい)、10・11話が新港ピア会場で展開されている。
 新港ピアへは、無料の連絡バスに乗り継いで五分くらい。荷揚げ用の一時保管倉庫だからそっけなく埠頭の先端にたたずんでいる。こちらのロケーションのほうがミナト町らしくていい。入口には、デコレーションをほどこされた巨大な本物の!台湾製トレーラー(わなぎみわ:1967年神戸生まれ)。荷台箱部分が開かれると電飾付の≪夏芙蓉≫が描かれた背景つきの派手な舞台装置に様変わりする。今回はここに金属製の御柱を立てて、ビキニ姿の女性による猥雑なエネルギーが充満した見世物“ポールダンス”が披露されて、ちょっとした興奮をもたらしてくれたのだった。来年は、京都での芸術祭で中上健次原作の演劇作品をこの舞台で上演するというから、覚えておこう!

 会場のラストは海を臨む、「カフェ・オブリビオン(忘却)」である。たしか、アストル・ピアソラのタンゴ曲のなかに“OBLIVION”と題された曲があったのを連想する。屋外には、現代の高層建築ビルとの対比の中に巨大なクレーンが一基、忘却の海に向かって何かをすくい出すかのように佇んでいる。

 
 見上げる真夏の蒼き空と潮風に輝く太陽の光!