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まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

建築・美術館周遊~表参道を明治神宮へ(番外編)

2014年06月30日 | 建築
 夏本番近し! 次々とあざやかな朱色のノウゼンカズラが咲き誇っているのがあちこちで目に入ってくる。水無月最後の今日は、夏越しの祓(なごしのはらえ)にあたり、今年もちょうど半分が過ぎて、これまでの穢れや不浄を払い清めるの茅の輪くぐり行事が行われる。夏越しとは、神慮をやわらげる「和し」(なごし)の意味であるともいわれているそうだ。

 表参道青山から外苑めぐりを記述するにあたって、すこし時間が経ってしまったこともあり、思い立って前回見落としたところや訪れることがかなわなかった明治神宮内苑の花菖蒲を久しぶりに眺めてみようと、再度週末雨模様の表参道へ足を延ばしてみた。
 午前11時に地下鉄表参道駅のA4口から青山通りを挟んで、山陽堂書店の壁画、「傘の穴は一番星」(谷内六郎)が目に入ってくる。ここから8日の建築・美術館めぐりははじまったのだった。小雨の中に一瞬、Mの姿が見えたような気がしたけれども、ちろん現実にはそんなことはない。


 山陽堂書店の壁画(谷内六郎)、その前の女性の姿は偶然の他人です、念のため。 

 青山通りを渡って壁画の前に立つと、銘板があって昨年亡くなられたコラムニスト天野祐吉さんの谷内ROKUさんに寄せる文章が書かれているのに気が付く。天野さんの主宰された雑誌「広告批評」編集事務所は、このちかく南青山四丁目にあった。書店のショーウインド展示は、「女のいない男たち」から、“小澤×村上春樹”「小澤征爾さんと、音楽について話をする」(新潮文庫)に代わっていた、やれやれ。そうしてもうひとつ、今年亡くなられてしまった安西水丸さんの最後の著作「ちいさな城下町」も。イラスト集ではなくて紀行集だろうか、意外な気もするが水丸さんの知られざる側面が書かれているのかもしれないね。この二冊はこの書店で購入するのがふさわしい。


 山陽堂書店ショーケースの小澤×村上対談本と安西水丸エッセイ集。

 ポスター左側丸囲み部分に「厚木からの長い道のり」とあるが、これはお二人が厚木のライブハウスにジャズピアニスト大西順子を聴きにいったエピソード゛から来ている。この邂逅は、サイトウ・キネン・オーケストラと大西順子との松本での共演につながるきっかけとつながる。この文庫本が表参道で展示されているのは、厚木から小田急線に乗って代々木上原で地下鉄千代田線に乗り換えて、長いいばらの道=ロング&ワイディング・ロードということなのか!?
 せっかくだから、書店内に入ってみる。正面は雑誌ラック、唯一ムラカミ短編集が平置されているのがご当地らしい。左手にレジがあって、狭い店内の壁面には実用書や単行本の棚が並ぶ、置かれた本のセレクトが地域柄を反映しているかのようだ。右手に階段があってその壁面にも書棚が二階へとつづく。二階はギャラリーで、これまでのおもな企画展のイラストや版画作品が展示されている。和田誠&安西水丸の合作イラスト、谷内六郎さん壁画の原版画(「488/600」と記された)もありました。それとならんで正面のガラスを通して眺める青山通り風景が何よりもここらしい?展示作品かもしれない。向かいの「落ち着いた雰囲気だった「大坊喫茶店」は、ビルの建て替えもあって数年前に閉じてしまったのですね。
 ここから、青山通りを渋谷方向へ、にわかに雨が激しくなってきた。前回行けなかった「Found MUJI」へ駆け込む。1983年にオープンした「無印良品」路面1号店(神宮前5-50 中島ビル)は世界各地からのセレクトショップへとコンセプトを変えて健在だった。だたし、おおまかな店構えと2階建ての構成は変わっていない。商品陳列棚の白い壁には、黒字でシンプルに次のメッセージが。

 「何か新しいものを見つけることではなく 古いもの、古くから知られていたもの、あるいは誰の目にもふれていたが見逃されていたものを 新しいもののように見出すことが 真に創造的なことである。」
                                 フリードリッヒ・ニーチェ

 いってみれば『温故知新』、この店内はモノを売るだけではなく、街なかで「スマートなライフスタイル」を哲学しているのである。おかげで少し賢くなれたような気がしたのは錯覚かな。そのせいか、柄にもなくすこし微熱を帯びてきたようで、店をでて横町を歩きまわる。「シナリオ・センター」の看板をチラリと目にする。住宅街の中におしゃれなショップ・飲食店が進出してきて街の空気がいやおうなく伝わってくる。ここらで空腹を覚えてどうしようか迷ったけれど、やっぱり「ねぎし」青山通り店で牛タンとろろ・麦めしの定食をいただくことした。ここは、前回コース周りによっては立ち寄ったかもしれないところで、味・雰囲気・値段ともに相応の大好きなところ。少し早めに入ったおかげですぐにカウンタ―席に座れたけれど、たちまちビジネスマンや若い女性でいっぱいとなってしまった。

 昼食を終えると外はすこし小降りとなっていた。246号青山通りのマロニエ並木は、どうやら若いケヤキに植え替えられたようだ。通りの反対側に、スパイラル(1985、設計:槇総合計画)の複雑ではあるけれど、端正で上品なファサードをちらりと望む。ちょうど前回のときみたいな天候のもと、雨に濡れたケヤキ並木の表参道をこの日は明治神宮方面に抜けていこう。TODS(2004、設計:伊東豊雄)、ルイ・ヴィトン(2002、設計:青木淳)、ディオール(2003、設計:妹島和代+西沢立衛/SANAA)、ポール・スチュアート=神宮前太田ビル(1981、設計:竹内武弘)をはじめとする欧米ブランド店舗のオンパレード、いすれも有名建築家の設計による現代建築のショーケース通りだ。その反対側の通り沿いには、店舗フロア上に住居を載せた表参道ヒルズがケヤキ並木と高さを揃えた姿を現している。先の周遊時は、青山通りからクレヨンハウスに立ち寄った後、その前の道をTODSビルのわきからでてきて、横断歩道からこのあたりのまっずぐに伸びる並木と建築を眺めたのだった。ここからの眺めは、東京を代表するヴューポイントとしてまさにハイライトといえる景観のひとつ。この地点から参道は少しゆるく下がり気味に傾斜して伸びて行き、やがてキャットストリートを過ぎると上昇に転じる。その絶妙な勾配にそってケヤキ並木の緑ときらびやかな現代建築が連なり遠近を意識させる眺めは、都市東京ならではのドラマ性を強く感じさせる。
 さらに先に進むと、戦後の米軍相手のお土産店からはじまったという「オリエンタルバザー」や「富士鳥居」などのエキゾチック!な伝統工芸品を販売する店舗は、予備校時代に興味深々で覗いたことがあり、懐かしいところだ。田中康夫「なんとなく、クリスタル」(1981年)の主人公由利が学生時代を過ごした舞台の設定はこのあたりで、小説ラストには表参道を青山通り方面にむかって走り抜けるシーンが描かれていた。30年くらい前の都会の華やかさ、それは今から考えると実に表層的にすぎなかった風俗のようなもの(その分確実にその時代の一面を現していた)にあこがれていた記憶が、雨の中を歩きながらフラッシュバックする。
 
 明治通りとの交差点までくる。雨が再び激しくなってきた。雨宿り先を探して原宿駅前のドトールコーヒーへ入る。ここも改築されてしまったが、旧店舗には入ったことがあって、記念すべき第一号店の遺伝子を継ぐ店だ。その反対側には東京オリンピックの翌年1965年に竣工した、コープオリンピア(設計施工:清水建設)の姿。ケヤキ並木にそって雁行式に並んだファサードが並木に調和して、そこに住んでいる都市生活者の豊かな風景を感じさせる建物だ。一階にはいまも変わらず老舗の広東料理店「南国酒家」があって、この支店がまほろ市にもできたときは、真っ先にここの風景を連想した。ドトール店内で村上短編集の中の一篇「木野」を再読しているとラストシーン、脳裏にはボブ・ディランの「天国の扉」の陰鬱な重たいメロディーが聴こえてくる。

 雨が少し止んでいた。山手線にかかる原宿橋から来し方の参道を振り返ると、駅前歩道橋が撤去されていて見通しがすっかりよくなっていることに気づく。ケヤキ並木が続く視線の先に雨に煙って六本木ヒルズも望め、その反対方向左手前方には、国立代々木体育館の反った吊構造の大屋根が見える。いよいよ、明治神宮だ。内苑の花菖蒲はまだ、残っているだろうか?