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本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

日本の囲碁界に喝っ!なんちゃって。w

2008-02-15 21:11:43 | 囲碁・将棋
囲碁というゲームは今どれだけ普及しているのだろうか。『囲碁人口』ということで言えば、これは国別人口の順通りに、一番は中国、二番は日本、三番が韓国で四番が台湾ということになるだろうが、今トップクラスの打ち手の中でどこが一番強いかということになると人口の順通りには行かない。ピラミッドの底辺が大きい方がトップも強いというわけではないというところが面白いと言えば言える。w
 細かいルールは入門書で読むとか碁会所で教えて貰うとして、簡単に言うと正式の碁盤には(四隅の角まで入れて)縦横19x19=361の交点があってこれを19路盤といい、初心者用に13路盤、9路盤等がある。その交点に黒白交互に石を置いて行って、最後に自分の陣地(交点)が多い方が勝つというゲームなわけである。将棋は桝目に駒を置くが、囲碁は交差点に石を置き、獲得した陣地は「1目(イチモク)、2目(ニモク)、・・・」というように数えるのである。

 元々は古代中国の占いから発祥したゲームで、日本でも韓国・北朝鮮でも台湾でも広く行われて来たが、近世以降は『本因坊のお城碁』等いち早くプロの囲碁棋士の制度を確立した日本が定石研究でも常に一歩先んじて、無論実戦でも一番打ち手の層が厚く強かった、筈である。
 が、ここへ来て主に上記極東に於ける国際棋戦が盛んになって来ると、我が日本勢はなぜかとても勝負弱いのである。強さの順番から言うと、韓国~中国~日本の順だろう。周知のように日本へは韓国台湾などから多くの人間が加わってプロの囲碁棋士として生計を立てているが、その彼らを日本棋界の棋士であるからと「日本勢」として水増し(?)参加させても、大抵はトーナメントの予選段階でことごとく中国、韓国勢に討ち取られてしまい、韓国の解説者には「日本は若手が育っているからこれからが楽しみですね」などとまで言われているのである。話が逆である。ちょっと前までは日本の解説者が「(今後)韓国、中国恐るべし」と言っていたのではないか。
 これはどういうことだろうか。なんでこんなに弱いのだろうか。

1.文化大革命当時の中国には近代囲碁の定石書などは殆どなく、全ては稀に日本から入手出来た本をボロボロになるまで回し読みして彼らは学んだそうである。韓国にしても中国ほど極端でなかったにしろ事情は似通ったものがあっただろう。プロの制度化が成ったのは両国共つい最近のことのように思う。

2.私は弱いから碁形だとか石の姿だとかは言えた義理ではないが、テレビで見ていると、日本の碁の方が美しいような気がする。笑。韓国の碁はえげつなく、切った張ったの露骨な接近戦ばかりで奥ゆかしさとか含みとかに欠けているように思う。
 が、両者が対戦すると、露骨でゴリゴリやって来る韓国の方が最後には大概勝ってしまう。彼らは石の姿・かたちなど観念的な価値観に囚われることなどなく、一つしかない「勝ち」に向かって虚心にひたすら邁進しているかのようである。
「ひょっとして実戦に必要な正確な読みと形勢判断更には勝負の呼吸とかいうものに関して、彼我の間では大差があるのではないか」とさえ思えてくる。そうでもなければあんなにコロコロ負けるわけがないのである。同じ条件でやっているのだから、悪くても勝ったり負けたりしていて不思議はない。

 かつてプロゴルフの世界でも言われたことだが、日本のプロたちはあまりに厚遇され、既に充分満腹してしまっていて「食えている」状態のため、勝負師に必須とされる「ハングリー精神」というものが決定的に欠如しているのではないか。これでは最近になってようやくプロの制度が発足し「好きな碁を打って生活出来る」という夢のような暮らしが結果如何では保証されることになった両国のプロたちに力で及ばなくなるのも止むを得ないのかも知れない。学究肌の棋士は日本には大勢いるが勝負に拘る勝負師はというと、韓国、中国には遠く及ばないということだろうか。

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*(08/05/20後註:他所へ転載したこの記事に先日Takaなる人物から単純なクレームが付いたが私は話にならないと思って即削除した。w
 先方は《「日本勢」として水増し(?)参加させ・・》というくだりの「水増し」という言葉が気に食わなかったらしいが、私はわざわざ《?》マークを付けて記述しているのだから「日本人だけじゃないんですよ」などと言われても「あっそ♪」で終わりである。この小論では私は「なぜ日本勢がコロコロ負けるのか」を問題にしているわけで、そんな枝葉の議論は主題ではないことが一つと、あと、仮に日本代表として参加した趙冶薫さんらが中国勢・韓国勢を倒して優勝したとして、そういう場合はどうなるのか?などと余計なことまで考えてしまうのである。もっと言うならばスポーツにしろ囲碁にしろ、もはや世界は「国家間の対抗戦」としてではなく、純然たる選手個々人が相争う競技として闘われる時代に入りつつあるのではないかと、そういうことを私は言いたかったわけである。つまりは《国威発揚》など犬に食わせろと言いたいのである。w) 

cf.日本棋院公式HP


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