本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

将棋脳。

2009-02-20 09:31:51 | 囲碁・将棋
*で、早速本題に入ると、これはもう去年の話になってしまうが、プロ棋士の脳波を実証的に測定して調べたところ「手品の種」がある程度わかったというか、これまで知られていなかった事実が判明したということである。

 将棋を少しでも齧ったことのある人なら誰もが感じる疑問だが「どうしてプロはあんなに何手も先を読めるのか?」とか「プロの頭の中はいったいどうなっているのか?」といった素朴な疑問に将棋連盟の協力を受け(プロ棋士数人が被験者となって)科学の側からメスが入ったのである。

*原田九段が「三手の読み」と言い、加藤(一)九段が「直感精読」と言うプロの読みであるが、例えば加藤九段の大盤解説などを見ていると「こう行く、こう来る、こう行く・・」との呟きが頻繁に漏れ聞こえて来るので「ああ、プロも基本の読みは我々素人と大差がないのかな?」と錯覚しそうだが、これはあくまで「大盤解説」という言わば「即興芸(?)」での話で、諸事情諸条件が複雑に絡み合った現実の対局はそんなに単純なことでもなさそうである。

(・・と言ってこれを『形成判断』がどうの『大局観』がどうの或いは『心理作戦』がどうのとかいった問題にまで敷衍し拡張して考えることは私の手に余るので、そういう混入ったむつかしい問題は将棋全般に亘って博識な誰かに『将棋原論』でも執筆して貰うしかないのでアル。ぁそ。)

 確かに「(自分がまず)こう行く、(すると相手は多分)こう来る、(そうしたら自分は)こう行く」といういわゆる「三手の読み」が初手から終局まで一貫して完璧に可能なら「向かうところ敵なし」の無敵モードだろうが、将棋の指し手というものは一応「変化無限大*」ということになっていて限られた時間の中では羽生さんだろうと渡辺竜王だろうと、かかる「読切り」は絶対不可能なのである(と思う)。汗。

*但し数学の関数~係数論的立場(?)から言うと、将棋のように有限の駒を用いて有限のルールで行うゲームは「先手必勝かつ変化は有限」ということになっているらしい。言い換えれば『理想将棋』乃至は『最終将棋』に於いて「先手後手双方が最善手の応酬に終始すればいずれは先手の一手勝ちに収斂される*」というのだがほんとかなぁ?笑。(←*この説に関する真偽の程は私には不明である。あちゃ)
 ただ日本将棋はチェスと違って、幾らコンピューターが目下飛躍的驚異的に強くなりつつあるからと言って、まだまだ数学的には解読し尽されてはいないし、今の段階では渡辺竜王や羽生さんの方がPC(ソフト)より遥かに(かどうか!?)強いのだからこれは我々は安心して喜んでいていいのだってか、そういう問題か。はあ?汗。 

 まあ言ってしまえば一般に勝敗を競う対戦形式のゲームにおいては「人間は過ち得る」「人間はミスをする動物である」ということが大前提になって初めて、勝敗の時限的決着が予定され得るわけである。これはスポーツだろうと囲碁将棋だろうと同じことである。全能の神同士の秘術を尽くした争いでは多分勝負はつかないだろう・・??

 端的に言ってしまえば、問題は「或る一人のプロ棋士が読みに耽っている間に彼の頭の中ではいったい何が起こっているのか」ということである。何も遥かなる宇宙の彼方から突如として「何やら人智の及ばぬ神憑り的な啓示」を受けてそれが一種神々しい「閃き」となって脳内で輝きを発しているというわけではなさそうだが(!)実はそれに近いことがプロ棋士の頭の中では起こっている「らしい」のである。

 詳しい話は ↓ 下の記事等を参照して直接原典を吟味して戴きたいが、対局中彼らは「読み」や乃至は瞬時の「閃き」の中で、私たち一般の人間が普段は殆ど使用しない脳内の特定領域を頻繁に使用して、その結果瞬間の図形認識等が可能になり、まだ出現していない遥か先の盤面というか、個々の想定され得る近未来の重要局面が頭の中ではっきり「見えている」らしいのである。電極とかを付けてモニターしていると電気信号が流れて、その領野が赤く染まったりしちゃうから計測出来るというのである。「領野」の問題は格別目新しい発見でもなさそうだが、実験結果がそれを裏づけ実証したことが新しいのである。あちゃ。

(後註:但しいわゆる『実証主義』の陥陋として例えば仮にAという事実から甲という結論を導き得たとしても、同じくAという事実からこれとは全く逆の乙という結論をも往々にして導き得るということはしばしば指摘されることであるから、間違っても我々は『実証万能』などと妄信してはならないのでアル。)

 あらぁ・・てことは考えようによっては、彼らは我々の関知しない『奥の手』を使ってズル(はあ?!)をしているのだってか、これもプロ養成期間(機関)たる『奨励会時代』の渾身の研鑽の賜物だろうが、我々の脳は鍛えに鍛えればまだまだ未知の能力を発揮し得る一種「珠玉の宝庫」であることがここに謀らずも『実証』されてしまったわけであって、それを生かすも殺すも、引き出すも溝(どぶ)に捨てるも我々個々人の自由の範疇に属する問題ではあり、我々大方の凡人は「大脳を鍛える」ことも殆どなく、隠された能力をいたずらに秘蔵(死蔵?)したままこの世からおさらばしているらしいのだ。もったいないと言えばこんなにもったいない話もないが、それもこれも「カラスの勝手でしょ♪」というわけである。
 サルトルはかつて(はあ?)「自由であるということは自由であるべく呪われているということである」とのたまったが、かくまでに我々の「自由」は尊いのである。ぁそ。

 大脳の働きについて我々にはまだまだ知らないこと、解明されていないことがたくさんあるらしくて、各々方、『三四郎』(漱石著)のなんたら先生じゃないけど、宇宙よりも何よりも我々の頭の中の方が遥かに広いのかも知れませんぞ。ぁそ♪

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cf.富士通・・プロ棋士の直感思考回路を科学するというコンセプト。

cf.そのシンポジウム

cf.ボナンザ・・で、これが渡辺永世竜王を苦しめた(?)というフリーの将棋ソフト。

cf.渡辺 明 blog.

cf.ゲーム理論

cf.大脳皮質

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