秦野、二宮、大磯、中井にものもうす~問題点検証します!

わが町の問題点をあきらかにし、住みよい町つくり。

県西部、西湘、高波大雨ご用心

2019-08-15 00:21:54 | 日記

相模湾や三浦半島高波、県西部大雨も 
台風10号で気象台
8/14(水) カナロコ

台風10号の影響で、県内も16日にかけて高波や
大雨の恐れがある。横浜地方気象台によると、三浦
半島の東京湾側では15日未明から、うねりを伴った
高波への警戒が必要。低い土地の浸水や土砂災害、
落雷、突風、高潮などにも注意を呼び掛けている。

15日に予想される波の高さは、東京湾(三浦半島)
と相模湾で4メートル、東京湾(横浜・川崎)は1・
5メートル。うねりを伴った高波は16日以降も続く
見込みという。

また、大気の状態が不安定となり、西部の山地を中心
に雷を伴って1時間30ミリの激しい雨が降るとみて
いる。15日夕までの24時間に予想される雨量は、
東部の多い所で40ミリ、西部は140ミリ。その後
の24時間では東部で50~100ミリ、西部は100~
200ミリと予想している。

台風 各地への雨風の影響は 総雨量1200ミリ超も
8/14(水) tenki.jp

台風10号が、西日本を中心にお盆のUターンラッシュを
直撃。総雨量は多い所で1200ミリを超える大雨となる
おそれがあります。各地の雨や風の予想や警戒期間を
まとめました。

【台風の進路】あす15日 四国付近に上陸か

大型の台風10号は、14日午後6時現在、種子島の東南東
約190キロを、1時間におよそ20キロの速さで北へ進んで
います。
中心の気圧は965ヘクトパスカル、最大風速は30メート
ル、最大瞬間風速は40メートルで、中心の南東側280キ
ロ以内と北西側170キロ以内では風速25メートル以上の
暴風となっています。また、中心の南東側600キロ以内と
北西側520キロ以内では、風速15メートル以上の強い風が
吹いています。

あす15日には、四国付近に上陸し、西日本を縦断するおそ
れがあります。その後、15日夜には日本海に達し、温帯
低気圧に変わって、北日本に接近すると予想されます。

【各地の大雨警戒期間】多い所で総雨量1200ミリ超え
のおそれすでに九州、四国、東海地方は雨の警戒期間
に入っており、次第に警戒エリアは広がっていくと予想
されます。九州から東海地方にかけて、あす15日を中心に、
16日までは、台風本体と周辺の雨雲がかかり、猛烈な雨の
降る所があるでしょう。

また、きょう(14日)に局地的に強い雨が降った関東地方も、
あす15日夕方から夜にかけて、大気が不安定で局地的に
大雨となるおそれがあります。

JR御殿場線運転見合わせ 大雨で規制値突破
8/14(水) カナロコ

JR東海によると、御殿場線は14日午後7時10分
ごろから、山北-駿河小山間で運転を見合わせている。

大雨で、同線谷峨駅の雨量計が規制値(1時間当たり
35ミリ)を超えたための措置。

【山北・玄倉川水難事故20年】
中州にキャンプ客18人孤立 
決死の救助 激流に阻まれ
8/14(水) カナロコ

流された後、対岸の崖にしがみついたキャンプ客を
助けようと懸命に行われた県警や消防、自衛隊によ
る救助活動=山北町の玄倉川(1999年8月15日撮影)

中州でキャンプをしていた行楽客が増水した川に流
され、13人が死亡した神奈川県の山北・玄倉川水難
事故から14日で20年になる。当時、現場に最初に
到着した足柄上消防組合(現・小田原市消防本部)の
救助隊員たちは現在も救助の現場で汗を流しながらも、
遠い夏の救えなかった命について自問自答している。

1999年8月14日朝。足柄上消防組合(当時)の
本署があった松田町でも前夜から激しい雨が降り続い
ていた。本署当直だった武尾法久さん(46)=現・
市消防本部小田原消防署国府津出張所=は普段の自転
車通勤をやめて徒歩にした。

実際、雨は前日の13日昼ごろから降り始め、山北町の
丹沢湖周辺では同日正午から15日午前0時までの総雨
量が271ミリと、わずか1日半で通常の1カ月の8割
程度の雨が降った。

「中州に残っているグループがある」。午前8時半の
当直交代直後の出動。中津川正哉さん(46)=現・
同消防署南町分署=らは1部隊5人で向かうことにな
った。内田政志さん(44)=現・同消防署=は「中州」
と聞いて陸地を連想、「安全監視だけで任務が終わる
かも」と思った。

だが、丹沢湖への入り口にある玄倉川橋から玄倉川を
2キロほどさかのぼった現場は、想像を絶していた。

激しい雨でけぶる川の中に、十数人の一団が見える。
距離にして70~80メートル。中州は既に水没し、
大人の膝ぐらいまで水位が上がっている。激流に流さ
れないよう男性数人が上流で流れをガードし、残りの
人たちが互いの体をつかみ、下流側に楕円(だえん)
形になっていた。

取り残された人数について出動時に「何人かいる」と
だけ聞いていた副隊長の大澤恵一さん(55)=現・
同消防署南町分署=はその数に驚く。子ども6人を含
む18人。これまで一度に救助したのは多くて2、3
人で、さらに激流という状況に不安を覚えた。

対岸にロープを渡し、ボートで取り残された人をピス
トン輸送するという救出プランで、大澤さんと内田さん
が対岸に回ることになった。玄倉川橋まで戻って対岸に
渡ると、あとは足場を探しながら上流方向へ崖を移動し
ていった。石灰岩でもろく、雨で滑った。内田さんは
「危ない場所もあったが、急がないと、と必死だった」
と振り返る。

この間、残った隊員は歩いて川を渡れるかを試した。
武尾さんが先を持つロープを体に巻いた中津川さんが、
川に足を踏み入れ数歩進んだ。水流ですぐに靴の下の
砂がさらわれ、足が沈んでいく。さらに体全体が水中
に沈み、流された。

武尾さんに引き上げられた中津川さんは「自力で川を
渡るのは無理だった。ボートだったとしても難しかっ
たかもしれない」と当時の水流の強さを思い出す。

大澤さんらは約1時間半かけて現場の対岸に着いた。
救命索(ロープ)が付いた先端部を飛ばす発射銃を放
ったが、1発目は立ち木に引っ掛け失敗。方向を変え
2発目は成功した。太さ3ミリの救命索に救助で使う
12ミリのロープを2本結びつけて対岸から引っ張った。

水流が強く、固く握り締めた手から救命索が持って行か
れてしまう。大澤さんが救命索を後ろの立ち木に巻いて
抑え、内田さんが少しずつ引いていった。水面を対岸へ
動いていく3本のロープの結び目が、強い水流で激しく
回転していた。

あと少しで内田さんの手が結び目に届くところだった。
そこで救命索が切れた。激しく回転していたため、ねじり
切れたのだ。

そのすぐ後、中州に取り残されていた一団が崩れるよう
にゆっくりと流されていった。

◆玄倉川水難事故 1999年8月14日、山北町玄倉
の玄倉川の中州で前日からキャンプをしていた子ども6人
を含む行楽客18人が大雨やダム放流による増水で取り
残され、救助活動中に流された。5人は救助されたが、
13人が死亡した。

川の増水でバーベキューの観光客18人が孤立 台風10号
8/14(水) 毎日新聞

大分県警玖珠署によると、同県玖珠町の耶馬渓「大谷
渓谷」で14日夜、バーベキューに来ていた未成年11人
を含む観光客18人が、台風10号の接近による雨で川が
増水し、近くの高台で孤立している。同日午後4時半
ごろに「車が水没して動けないので助けてほしい」と
119番があり、消防と同署が救助に向かっている。けが
人はいないという。

この台風の中バーベキュー

なんてバカなの!

玄倉川の水難事故を思い出す。

奇しくも同じ8月14日

18人孤立して救助要請か

車は移動中に水没してると

夕方NHKが伝えた

うーん、台風接近中にBBQとか

尋常じゃないわ

二次災害を念頭に

救助を見合わすと

はならないな、自らを顧みることなく

無理しても救助に向う


台風10号接近 JRは15日に「計画運休」 
空の便も欠航相次ぐ
8/14(水) 神戸新聞NEXT

台風10号の接近で、Uターン客などが集中した
神戸空港の出発口前
=14日午後、神戸市中央区神戸空港

大型の台風10号の接近に伴い、JR西日本は15日に
「計画運休」を実施すると発表した。兵庫県内では神戸線
(大阪-姫路)と山陽線(姫路-上郡)、赤穂線(相生-
播州赤穂)で、同日正午ごろから運転を見合わせる。航空
各社も神戸、大阪(伊丹)空港発着便の多くで欠航を決めた。

JR西の在来線では、他に加古川線(加古川-谷川)と
姫新線(姫路-上月)が15日午後3時以降、宝塚線
(宝塚-新三田)は同4時以降に運転を取りやめる。福知
山線(新三田-福知山)と播但線(姫路-和田山)、山陰線
(福知山-東浜)も同3時までに運転を終える。

山陽新幹線(新大阪-小倉駅間)も始発から終日運休する
ほか、京阪神と但馬を結ぶ特急も午後を中心に運転を見合
わせる。

航空各社も15日の運航計画を公表。14日午後7時時点
の発表では、神戸発着のスカイマーク全52便、全日空4便、
ソラシドエア3便、大阪(伊丹)発着の全日空、日本航空の
計91便が欠航する。

高速道路では、阪神高速道路が5号湾岸線で通行止めとな
る可能性があるとしている。

一方、15日に交通機関がまひすることを見越し、県内の
主要駅や空港は14日、お盆休みのUターンを早める帰省
客らで混雑した。

神戸空港の出発ロビーでは、搭乗便の変更や空席待ちをす
る人の姿が目立った。神戸市西区の実家に帰省した会社員
(31)=横浜市=は、15日まで知人と滞在予定だったが、
日程を切り上げた。昼前から羽田便の空席待ちを続けるが、
3時間たっても確保できたのは1席。「知人と別々の便で
帰ることになりそう」とため息をついた。

神戸と九州を結ぶフェリーさんふらわあ、阪九フェリーとも、
14、15両日の上下便が欠航。阪神甲子園球場で高校野球
を観戦した主婦(42)=福岡県=は乗船予定のフェリーが
欠航となり、急きょ新幹線に切り替えた。「フェリーに比べ
て料金が倍以上。痛い出費」とこぼした。


写真に残る74年前の神戸 闇市でにぎわい、
進駐軍の様子も
8/14(水) MBSニュース

8月15日で終戦から74年を迎えます。戦争体験者の記憶
やGHQの兵士が残した写真から、終戦直後の神戸の姿を
探る研究者たちの取り組みを取材しました。

三宮から神戸駅にかけて広がっていた「闇市」

神戸市中央区。JR三ノ宮駅周辺は現在再開発が進められ
ていますが、今から74年前、空襲によってこの町の6割
以上が焼けました。神戸の市街地の成り立ちを研究して
いる、大阪市立大学・客員研究員の村上しほりさん(32)
は今、終戦直後に開かれた「闇市」について調べています。

「1945年9月の戦後直後の写真です。この道を埋めるよ
うに闇市がずっとできるので、ここ一帯にあった。」
(大阪市立大学・客員研究員 村上しほりさん)

かつて、三宮から神戸駅にかけて高架沿いに食料品などを
売り買いする闇市が広がっていました。

「商業集積ですので、それを目当てに外から観光客が来て
物を買って帰っていく。一つの観光地みたいになっていた。」
(村上しほりさん)

永江勲さんの話を聞く村上しほりさん

94歳男性が見た“闇市のはじまり”

8月5日、村上さんは三宮周辺に灯りはじめた闇市の明かり
が徐々に広がっていく姿を目撃したという兵庫県芦屋市に
住む94歳の永江勲さんの元を訪ねました。早速、当時の様
子がわかる写真を見せてくれました。

「あ、闇市ですね。すごい。一般の人が撮った写真とか見た
ことないです。」(村上しほりさん)
「闇市のはじまりを見たと自分では思っているんですけど。
誰もいなくて、おばさんがカゴを開けてね、(中身を)ちら
っと見せるわけですよね。『甘いよ甘いよ』って。僕が衝撃
を受けたのは、先生が『陣飯(戦時中の食事)だよ』って
売っていましたね。学校の先生というのは神様みたいなも
のや。それがそんなことをするのは、よっぽど先生の給料
が少ないんやなあと思いましたね。」(永江勲さん)

当時19歳だった永江さんは学徒動員により機関車の製造工
場に駆り出されていました。永江さんは目の前でどんどん
拡大していく闇市のエネルギーを肌で感じながらも、非合
法の市場を利用することは一度も無かったといいます。

「兄弟多いのに生活大変でしたけどね。でも『闇はしたら
いかん』ということで。親父が軍人ですからね。『絶対闇
はしちゃいかん』って。しまいには卵の殻まで食べさせら
れた。」(永江勲さん)

終戦から今年で74年。村上さんは年々減りゆく戦争経験者
の記憶を後世へと受け継ぐ重要性をひしひしと感じています。

「闇の存在も知っているけど、関わっちゃだめだという大人
としての気持ちがあった。具体的でリアルで、なかなか聞け
る話じゃなかったので、良かったと思います。」(村上
しほりさん)

 

コメント
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