会社を卒業したのんちおじさん。

人生は知恵と工夫と思いやり!
優しさほど強いものはなく、本当の強さほど優しいものはない -ラルフ・W・ソックマン-

経済感覚が分かりません。

2014-10-19 23:00:33 | いろんなこと
嫁のお金に関しての感覚は私より鋭いと思うのですが夕べは夜中の3時頃までTVを観ていたようです、当然今朝は遅く起きてくると思っていたのに6時頃には起きてきました、じゃあ多分昼寝を2,3時間ぐらいすると思っていたのにしなかったのです。

相変わらず嫁の起床時間は全く不定です、5時半頃起きることもあれば8時過ぎても起きてこないこともあります、おそらくこれは私が現役の頃もそうだったのかもしれません、薄々感じていましたがリタイヤして毎日私がいるようになって目の当たりにしたのです。

まあ、それはちょっと置いといて、宅内の明かりはほぼすべてLEDです、とは言え電気代は払わなければなりません、それと昼寝の時、いつもTVを点けっぱなしです、設定である一定時間操作しないとTVの電源は切れるようにしてあります。

買い物に行くときも点けっぱなしが多いのです、おそらく放っておいても勝手に切れると思っているからです、先日それを指摘したら消してから出かけましたけど。

私がコーヒーを淹れた後一度だけ台所の明かりを消すのを忘れたことがありましたがそれは大変でしたよ、百倍返しでした「お父さんだって・・・・・・・・」と、百倍言ったから少しは溜飲が下がったことでしょう、まるで節操のない隣とその隣の国みたいでした。

以前はこんなことは殆どなかったことです、明らかにこの数年変わってきているのがわかります、私がリタイヤしてからではなくそれより前からなのです、怒りっぽくなった言えば当たってるでしょうか。

結局何が言いたいかというと直接的に数字として見える消費には敏感で、例えば日々の買い物とか、それでいて目に見えない費用には鈍感なのです、月々のそれらの請求書を見て少しは考えるようですが主婦とはそういうものなのでしょうか?

実はこれ、最後の職場の社長が完全に同じパターンなのです、「省エネだから点けっぱなしでいい」という考え方なのです、だから主婦特有の考え方だとは思えないのです、ただ単に性格なのではないかなと。

私はケチです、リタイヤしてからより一層ケチになりました、小遣いも現役時代の半分ですが実入りがないので一切文句は言いません。

ですが嫁の生活パターンが今書いたように全く変わらないのが腹立たしいのです、そんなわけでこんなしょうもない愚痴をたらたらと書いてしまったのですよ、どうです?つまらなかったでしょう?

「たけしくん、ハイ!」と「続・たけしくん、ハイ!」

2014-10-19 22:22:08 | いろんなこと
を全部観終わりました、「続・たけしくん、ハイ!」には後藤久美子演じるたけしの初恋の女の子が出てきます、病弱で遂にはたけしが病院に見舞いに行った夜に急死してしまうのです。

最終回は家族の温泉旅行の予定が急な建前のためにダメになってしまう話です、でもこの建前のシーンは私が子供の頃の建前そのものでした、生家の向かいにはガキ大将がいてそれにくっついて建前巡りをしたこともあります。

ばら撒かれたお菓子やみかん、お金など、小さかった私はほとんど取れなかったのですがそのガキ大将はちゃんと分けてくれたのです、正にガキ大将の鑑ですね。

私の生家の建前も今日観たものとほぼ同じでした、今ではその生家も取り壊され跡には建売住宅が建っています、ほぼ毎朝、その前をウォーキングに向かうときに通るのです、初めの頃は今書いたようなことを思い出して胸が一杯になりました。

姉御肌のたけしの母親、がらっぱちの父親、この人達を見て思うのはたとえ物言いが乱暴でも限りなく深い家族愛が感じられるのです、そして取分け感心なのは学もなく呑ん兵衛の亭主に対していつも喧嘩ばかりしていても子どもたちの前ではちゃんと尊敬していることが見え隠れしていることです。

「昭和」がギュッと一杯詰まったとてもいいテレビドラマでした。

このようなことを書くと「懐古趣味だろ」とまるで悪いもののように吐き捨てるように言う輩もいるかもしれませんが「懐古趣味」は悪いことなのでしょうか?

そういう輩は懐古することも出来ないのですから哀れとしか言いようがありませんね、同窓会に参加することも拒否するわけでしょ?だって同窓会は懐古趣味の塊なのですから。

懐古趣味のない人って可哀そうな気がしますね、「昔はよかった」のどこが悪いのでしょう?誰にも迷惑かけてませんが。

「落し物」

2014-10-19 08:16:34 | いろんなこと
いつものウォーキング・コース、ここに沿って犬を散歩させる人は数多いです、それ自体は余り気になりません、マナーさえ守っているならば。

でも困るのがコース上の犬の「落し物」あるいはその残渣物です、困るんですよねえ、ほとんどの「愛犬家」はそれを始末しますが完全ではありません、少しではあっても残るのですよ、ひどい時には処分されずにあったものを誰かが運悪く踏んでしまってそれにしばらく気付かずその足跡が延々と・・・・。

「愛犬家」は少しぐらい仕方ないでしょ、と思うでしょうが我々にとって嫌のものは嫌なのです、迷惑なものは迷惑なのですよ。

「落し物」を処分するための「お道具」を入れたトート・バッグやポーチ等をお持ちですがその前に散歩の途上で排泄をさせないという躾をなぜしようとしないのでしょう?

それにトート・バッグやポーチ等は恰好だけだという飼い主もいるんだとか?つまり人の目がなければ「落とし物」を落としたままにして行くんでしょう?

自分の家が汚れるからですか?だから外で?「愛犬家」に取って飼い犬は「我が子」同然なのでしょう?なぜ「我が子」をちゃんと躾けないのでしょう、またなぜ世間やマスコミはこれをまともに取り上げないのでしょう?

朝から尾籠なお話で申し訳ありませんでした。

なぜ人形供養を?

2014-10-19 07:40:08 | いろんなこと
先日人形供養を頼んできたことはすでにここに書きました。

もう過ぎたことですがやはりこういった行事?は必要なのでしょうか?結局焼却するのでしょうけど私達が「供養」でイメージするのは神社やお寺の境内で燃やすシーンですよね。

実際はどうなのでしょう?この行為は焚き火と何ら変わらないと思うのですが風俗慣習または宗教上の理由による場合は認められているようです、それに該当するのでしょうか?それともお祓いをした後公的な処分場に?

後になって何か不幸に見舞われた時に人形供養をしなかったからだと結びつけるか否かの問題だと思うのです。

嫁はそういう意味ではこういうことを信じているようなのです、引っ越しの際の不要品見積もりの時も業者が人形は引き取れないので供養してくれと言っていたのでより強くそう思っているのではないでしょうか?私にすれば(余計なことを言って)という気持ちなのです。

嫁は以前「ノストラダムスの大予言」を信じていたようなのですよ、そのために電気を使わない昔ながらの石油ストーブを買ったぐらいですから、それも結局荷解きもせずに今回の引っ越しの時に処分場に捨てに行きましたけど。