八幡堀めぐりをするカップルは、まるで映画のロケのよう。
たまたま日牟禮八幡宮にお参りした時、これから結婚式を挙げる新郎新婦に出会いました。
挙式後船にのって遊覧とは優雅なお式のセレモニーですね。
桜が満開でなくてちょっと残念だったことでしょう。
八幡堀めぐりは約35分間で確か1000円。
しかし私は堀に沿って歩きました。
マンホールの蓋にもお堀が描かれています。
「近江八幡のまちが発展した理由はいくつかありますが、八幡堀の役割は欠かすことができません」
観光課で作成されているパンフレットにそう書かれています。
堀端のたて看板にも同じ文面が書かれていました。
続きを書き写します。
「堀は城を防御するために存在しますが、
豊臣秀次はこの八幡堀を運河として利用することを考え、
琵琶湖を往来する船をすべて八幡の町へ寄港させました。
また八幡山城下はかつての安土と同じく、楽市楽座を取り入れたことから商人の町として大いに活気を呈しました。
多くの商人が八幡の町から全国へと旅立ち、
近江商人として活躍した原動力となった八幡堀も、
昭和30年ごろになると時代は高度経済成長期に入り、
人々の生活が変化する中で、次第に市民の関心も薄らいできました。
やがて八幡掘はドブ川のようになり、埋め立てられようとしました。
しかし「八幡掘は埋めた瞬間から後悔が始まる」の合言葉により、市民が立ち上がり清掃活動に取り組みました。
今日でも各種団体による清掃活動が続けられています。
八幡堀は、写真や絵画の愛好家などが数多く訪れ、時代劇のロケ地としても頻繁に使用されるなど、市民や観光のシンボルとして位置づけられています」
たまたま日牟禮八幡宮にお参りした時、これから結婚式を挙げる新郎新婦に出会いました。
挙式後船にのって遊覧とは優雅なお式のセレモニーですね。
桜が満開でなくてちょっと残念だったことでしょう。
八幡堀めぐりは約35分間で確か1000円。
しかし私は堀に沿って歩きました。
マンホールの蓋にもお堀が描かれています。
「近江八幡のまちが発展した理由はいくつかありますが、八幡堀の役割は欠かすことができません」
観光課で作成されているパンフレットにそう書かれています。
堀端のたて看板にも同じ文面が書かれていました。
続きを書き写します。
「堀は城を防御するために存在しますが、
豊臣秀次はこの八幡堀を運河として利用することを考え、
琵琶湖を往来する船をすべて八幡の町へ寄港させました。
また八幡山城下はかつての安土と同じく、楽市楽座を取り入れたことから商人の町として大いに活気を呈しました。
多くの商人が八幡の町から全国へと旅立ち、
近江商人として活躍した原動力となった八幡堀も、
昭和30年ごろになると時代は高度経済成長期に入り、
人々の生活が変化する中で、次第に市民の関心も薄らいできました。
やがて八幡掘はドブ川のようになり、埋め立てられようとしました。
しかし「八幡掘は埋めた瞬間から後悔が始まる」の合言葉により、市民が立ち上がり清掃活動に取り組みました。
今日でも各種団体による清掃活動が続けられています。
八幡堀は、写真や絵画の愛好家などが数多く訪れ、時代劇のロケ地としても頻繁に使用されるなど、市民や観光のシンボルとして位置づけられています」
京都のような華やかさはないけれど、しっかりと土地に根づいた歴史や文化がありますね。ゆっくり旅したいな~と思います。
今、近江八幡は大阪のおばちゃんにも人気らしいです。
同じ近畿圏に暮らしていて日帰りでも十分いける距離なのに知らない場所ばかりです。
余呉湖あたりもいつか行こうと思いつつ現在に至っています。
京へのぼって日本を統一するための通過点であるだけに、その地を制圧するのに苦心した歴史がつまっていますね。
大津の三井寺に行ったとき、たまたま「三橋節子美術館」に立ち寄って、その絵に心をうたれました。
静かな美術館でしたが、訪れることができて良かったです。
当時は人に連れて行ってもらうと、その地にどんな名所があるかを調べることもしないし、帰ってブログ書くために復習もしないしね。
全く基本的な質問でお恥ずかしい限りですが、
三橋節子さんって余呉湖を描かれているのですか?
それまで三橋節子を知らなかったんですが、ひっそりと佇む美術館に誘われるように入ってみたんです。大判の絵葉書を買ってきて、今の画集がわりに見ています。
青紫の神秘的な油絵だったと思います。
ひょっとしたらそれの作者が三橋節子さんだったかもしれませんね。