秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

三輪明神の開運厄除赤御幣

2010-01-27 | 古代史のミステリー
玄関の下駄箱の上に掲げた大神神社の赤御幣。
厄除け、開運の御幣ですから、年が改まると効力が薄れそうで、毎年節分ごろまでにお参りし新しく賜ってきます。
500円とワンコイン価格もうれしい。

年に2回ぐらいは三輪詣でに行きますが、その都度いろんな方を案内することも多く、そうした方がたいていこの大神神社を気に入り自分で行かれるようになります。

奈良県桜井市、あの天理教本部のすぐ近くです。
三輪そうめんでも有名な場所です。
明日香から天理へと続く古代の山の辺の道を歩かれる方も多いです。

何度もこのブログでは三輪詣でのことを記事にしていますが、
遠隔地の方はなかなか行くチャンスもないかと思われますので、今回は詳しくお伝えします。


電車で行ったことがありませんが、JR桜井線三輪駅で降りてすぐ、桜井駅からはバスも出ているようです。
車なら西名阪の天理で降りて南の桜井方面へ車で15分ほど走ると大きな鳥居が見えます。
  

JRの線路を越してさらに進むとつきあたりに、二の鳥居があります。
  

ここからうっそうとした木々に囲まれた参道を歩きます。
この道がたいそう心地よい、空気が違う気がします。
まず祓戸神社で穢れを落とし、手水舎で手を洗い口をすすぎ階段を上がります。
  

しめ縄奥に見えるのが拝殿です。
大神神社は後の三輪山がご神体なので本殿はなく、この拝殿越しに拝みます。
先だってアズキさんが祈祷で上がらせてもらった所です。

普通は祈祷してもらう時は左手にある祈祷殿で行われます。
私はこの祈祷殿しか上がったことがありません。
最低5000円からで、いつも満員、さぞかしこの神社は裕福だろうなと思われます。

1/24はたまたま信仰深い講員の方々の集まりがあったようでした。
祈祷殿前の斎庭で記念撮影をされていました。
  

この祈祷殿右手になでうさぎのテントがあります。
普段は祈祷殿中に置かれていますが、お正月は外に出て大勢の方がなでなでします。
  

  
  この画像は、2006年1/22 なでうさぎ


さらに左手にくすり道があり、ここから狭井神社へ行けます。
  
  2006年7/2 大神神社


その狭い参道脇に小さな鳥居があり、磐座神社、少彦名が祀られています。
長年三輪さんへはお参りに行っても、あまり気にかからずスルーしてました。
去年ぐらいから目にとまるようになりご挨拶させてもらっています。


  

三輪山の山頂の奥津磐座に大物主が祀られ、その手前の中津磐座に大国主、さらに手前の辺津磐座に少彦名が祀られているのです。

お正月のしめ縄の記事にも書きましたが、
お正月にお迎えする、各家々に一年の実りと幸せをもたらす五穀豊穣の「年神様」とは、この大物主であることも不思議です。

みんなのご先祖さまとも言われていて、お正月になると、天あるいは高い山の上から降りて皆々のおうちに来てくださるのだと。

御年神(おとしがみ)
大年神と香用比売神(かがよひめのかみ)の間の子とされています。

大年神(おおとしがみ)
素戔鳴尊(すさのおのみこと)と神大市比売(かむおおいちひめ)の間に生まれた子供が大年神(おおとしのかみ)とされています。
大国主命に協力して国土経営をされた農業神であり、稲作・五穀豊穣の神とされています。

大年神と御年神は、神話の系譜では親と子の関係とされていますが、「大」も「御」も神をたたえる語で意味に違いはなく、両神とも基本的に「年神(歳神)」ということなんだそうです。


三輪山に3神が祀られるいきさつは、古事記では以下のように書かれているそうです。
大国主は少彦名と力をあわせ、播磨や伊予・豊後などで国造りを行ってきたが、少彦名命は死んでしまう。
二人で協力して国造りを行ってきた少彦名神がなくなり、「いかにしてこの国を造ろう」と思い悩む大国主命。
そこへ、海を光して神が来て、「よく我が前を治めれば、共に国作りを行おう」
「自分を倭の青垣の東の山の上に奉れ」と言い大国主命の協力者となった。
この神は御諸(みもろ)の山(三輪山)に坐す神である。

古事記は大国主が筑紫から越までに日本海沿岸の国々を統一したことを伝えています。
その翌年か2年後に作られた播磨国風土記は、大国主と少彦名が播磨に進出したことを伝え、
さらに、伊予国風土記などをあわせて検討すると、瀬戸内海の国々をも統一。
そして最後に、大和・山城・近江・紀伊などを支配する大物主一族がこれに協力したと。
大国主と大物主の協力による国づくりが始まりました。

これは、出雲の荒神谷遺跡において、銅剣(銅槍)と銅矛・銅鐸が同時に埋められているのが発見されたことで立証されるそうだ。

出雲において「銅槍・銅矛の祭り」と「銅鐸の祭り」が同時に平和裏に廃止され、新たな祭りが始まったこと
つまり九州・中国地方の「銅槍・銅矛圏」と、近畿地方の「銅鐸圏」を統一する王と宗教が誕生したことを示しているのですって。



崇神天皇の時代、疫病の蔓延によって人民の半数が死ぬという事態が起こり、これは宮中にアマテラスと大物主を祀ることによる祟りだと。
古代、祖先霊は直系の血の繋がった子孫に祀られないと恐ろしい祟りをもたらすと考えられていたからです。
そこでこの2神を宮中から出し、その子孫を捜し出し、祖先の祭りを行わせるようになりました。

神託に従って大田田根子に大物主神を祭らせたご神意の日が、卯の年、卯の日だったので、「卯」をご神縁の日としことのほか大事にされています。
なでうさぎは江戸時代中期から大神神社に伝わるものと、なでうさぎ横の看板に書かれています。


崇神天皇は御肇國天皇(はつくにしらすすめらみこと)と称えられますが、
和風諡号は、日本書紀では御間城入彦五十瓊殖天皇(みまきいりびこいにえのすめらのみこと)。
古事記では御真木入日子印恵命(みまきいりひこいにえ)

磯城(間城)への「入り彦」つまりよそから入ってきた直縁でないということを示すとも考えられています。
よそ者が磯城国=葛城王朝の祖先霊である大物主を祀って恐ろしい祟りを受けたということです。
同時にアマテラスの御霊も宮中から出され、伊勢に祀ってから天皇家が一度も参拝していないのは、天皇家がアマテラスの子孫でないことを示しているという説もあります。

11 コメント

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Unknown (アズキ)
2010-01-28 02:00:25
テレビのよういドンの番組でこの前三輪神社が
やってました。
三輪そうめんもあるけど はるさめ が
日本で90%作られているそうです。
だから 結構そこの方は色々なはるさめの料理がやってました。
やっぱりこの前拝殿にあがらせてもらったのは
どうしたわけかわかりません。不思議。
でも良かったです。
アズキさんへ (おざさ)
2010-01-28 13:00:33
いつもの三輪そうめん池利のレストランで食事したら、はるさめをお土産にくれました。

ほんとに拝殿へ上がらせてもらえてよかったですね。
きっとご利益?ありますよ~
では今度の日曜日、龍馬鈴、お楽しみに。
大と小 (りひと)
2017-02-22 18:05:16
今白と赤でこだわっていまして、ランキングでこちらに。記事に大と小やはりでてきてびっくりですけどそもそも思っていたけど関連付けていなかったので、盲点でした。

そう大は白で男っぽく、小は赤で女っぽいのを捜索中です。通常は白で、赤御幣は珍しいけどありですね。

ちょっと気になるのはゆりのいさかわさんと確か初で行った際に案内板に書かれていたどなたか天皇の功績見て好きになった方がいます。この周辺の女性が今探している赤の姫のヒントになりそうです。赤の姫って確か違う所でも出てきてましたね。そこに戻れって事かな?

大豆と小豆でも大と小で白と赤で。なんとなくこっちを探してもあっちを探さないと辿れないそんな感じです。コメントの方もあずきさんでしたからびっくりですけど。素麺は白い糸、粉作るなら石はいるだろうし。
今私の現実を進むのに必要な情報なのだろうか?と思いながらも流されてみます。8903
りひとさんへ (ulala)
2017-02-23 16:37:12
>大は白で男っぽく、小は赤で女っぽい
赤ちゃん生まれて宮参り行くときに額に大小とかくアヤツコ、そこでもコメントいただきましたね。

改めてアヤツコで検索したらいろいろ出てきて、「神々を欺す風習」とも関係するような・・・
余計にワケわからんようになりますね。

大神神社にはささゆりの植わってる所を歩いて、いつだったかこのブログで記事に残したような記憶が残ってますが発見できませんでした。
ささゆり奉献神事や率川神社三枝祭は以下でご確認ください。
http://oomiwa.or.jp/info/matsuri/%EF%BC%96%E6%9C%88%E3%81%AE%E3%81%8A%E7%A5%AD%E3%82%8A%E3%81%AE%E3%81%94%E6%A1%88%E5%86%85/
ささゆり (りひと)
2017-07-03 08:50:04
笹のお花は黄色でしたね、ゆり根と水仙の球根とは雲泥の差。色々繋がってきます。
で入彦のお話、なんか凄いと思いました。結構、入姫さんは巫女になり入彦さんは戦いか新規開拓へいかされている歴史上、それが出来た素材としても評価されてくる時代がくるといいなあと。

今思う事は、大はまさに青になるのか?ですね。はじめは青路線で考えてましたけど赤っぽい気もしますし。ただ青の痕跡はないわけもなく赤の中にはいるのでこの場所はある意味協調の大事な聖地です。神事に困って呼ばれた家系は青系なのかとも。何事すべき素質を持つ物しかできないように思います。部外者はお任せするだけですね。

藤井さんが30人目で敵わなかった。で30代天皇って誰なのか?用明天皇が何かこちらにも関係してないのかな?と。大の要素がないのか?今気になってます。3811
りひとさんへ (ulala)
2017-07-04 20:44:31
崇神天皇のときにという絡みで、墨坂神社の赤盾のくだりをコピペしますね。
>墨坂神社の秋祭では、今の神社から元の社地へと「渡御行列」が行われています。
…『日本書紀』祟神天皇紀の故事に従って赤盾赤矛太刀等奉持した武者行列で遷座します。

三国志の赤壁の戦いって、赤はどちらでしたっけ?
魏志倭人伝に出てくる邪馬台国は魏と仲良くしてたけど、入り彦の崇神は魏ではなく呉の国から鏡職人とかと一緒に日本列島に渡ってきたから、魏の国なんかクソ食らえだったんではないかしら。

お返事ありがとうございます。 (りひと)
2017-09-19 10:38:32
そう青が赤攻撃してるんですよね。
三国志は全く分からないのですけどなんとなく伝わってきますよ。で崇神の奥様が大事で垂仁さんも意味がある。崇神が青とは言い切れないのですけど垂仁さんには青あるはず、赤にも優しい融合の気持ちも。子供たちもいい血がありそうだし。
父が違うってのもちょい考えてますね。攻撃する所をみるとどうも和合が見込めないし、赤も相当青にあたまきてるようにも思います。
なので赤の気持ちを変えれるのは和合を心から望んでレベルアップ出来る青い王子しかないんですよね。そこが結構やられちゃう。この現世ではやられないように護りたいですね。
崇神は時代が違うという説もありますし、個人的にも雄略の頃でもいいようにも。ただ夢みるなら多少霊能の気質ありで実際オオタタネコさん呼んだり巫女的な役割をつくったりした時代なのでグレーですね。で何かできるのは赤の筋なので若干筋違い、そこは垂仁さんかきちんと理解してやるべき事をしてくれているとは思います。
ちゃんと帳尻は合ってるので今に繋がってもいますし問題にもないないはずです。7954
青は、赤を守れる信念があるのか?で見極め出来るはず。倭国関係なのは確かですね。邪馬台国関係は赤っぽいですね。大和は?紫ならいいけど青っぽくも赤っぽくも突き抜けちゃうとフォローしながらやっているのは結局倭国と邪馬台国。奴国はどっちにも関わるはず、大和の前身かトミか?
子供もテスト勉強で出てきた倭王武は、南朝に高句麗の傲慢にヘルプをですって。朝鮮だけでなく大陸との接点はありそうですね。窓口が違ってますね、きっと。7954
りひとさんへ (ulala)
2017-09-20 13:08:08
崇神、垂仁、どちらの天皇も漢字変換に手こずります、いつまでたってもです。

崇神天皇(すじんてんのう)
垂仁天皇(すいにんてんのう)
私の中では、崇敬(すうけい)のように、崇はすうと読みたい。
まず読みの音が先で、そう読むための当て字なのか、いろんな意味を込めてこの漢字を選ばれたのか・・・
ほかの天皇名でもややこしいのがあるかと思いますが、いつもこの二世代で引っ掛かり、それはそれで意味あるような気がしています。
ちょっと気付いてしまいました (りひと)
2019-01-28 14:42:38
三鳥居でしたよね。東京のは台風で倒れてしまったんですよ。

で今大津皇子にハマっているんですけど二上山のお墓ありますよね。でさっき山部赤人さんが気になって調べてみたら大和富士にお墓あるんですよ。これ繋いでみたらどうなるかな?って思って繋いでみたらなんと朝日と夕陽方向で東西にだいたい一直線です。その間がまた大神山ですからね。
この三つのお山なんか三鳥居と関係ないのかな?とも。山辺さんが赤の人でおまけに額が付く山なのでまさに赤方面の代表が山辺赤人さんで大津さんが青方面の代表にはなるんでけど素材は赤の可能性もあります。で大津さんならうまくリーダシップ取れるように変化してくるんではないかな?と思ってます。白か黄色に変化するかも?太陽の光だと三原色では白なり色だと黄色ですね。
赤の御幣も大神神社あるのもいい感じに思います。嵐の青さんは、リーダーらしい器ありの職人。忍者もやっていたけど野蛮な忍者ではなかった。持ち上げられるリーダーが誰になるのか?
大の付く方の活躍と潜在能力はやはり最近目立ちます。小の方も活躍待ってタッグでいい分担して日本の未来を明るくして欲しいですね。8690
そう東京の方にも大津皇子と山部赤人探してみたいですよ。ギズモちゃんとモグちゃんに繋がるようにも思うのは私だけかな?多分大阪にもいるんではないかな?8690
りひとさんへ (ulala)
2019-01-29 14:26:04
山部赤人といえば、百人一首の歌
田子の浦に うちいでてみれば 白妙の富士の高嶺に 雪は降りつつ
これしか知りませんでした。
大和富士ってどこにあるのと調べてみたら、
宇陀市榛原(はいばら)の近くの額井岳のことで、南山麓は山部赤人の出身地と伝わり、そこで永眠したと。
でも赤人ゆかりの地は千葉県東金市にもあって、「赤人上総説」もあるんだって。
内房の勝山港(旧鋸南町)はかつて田子の浦と呼ばれていて、赤人の富士を望みて詠める歌「田子の浦は、東海道にあらずして、この地なり」江戸時代後期にこんな説も。
詳しくは☞
http://kiyotan.net/many_10akahito.html

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