秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

日本で最も独創的な経営者、小林一三

2022-10-30 | 世情雑感
小林一三物語のオンライン講談よりスクショいただきました。
著作権とかでクレームついたら、この記事削除するかも。





小林一三氏が作成したパンフレットです。
おそらく前代未聞、世界で最初かもらしいです。

明治6年(1873)1月3日生まれの一三さんは、
明治21年2月に上京し慶應義塾に入学されてます。
文学青年で文学の道を志す。
当時、新聞連載小説の執筆は記者の領分だったので、新聞記者を目指すも叶わず、三井銀行へ。

やがて大阪に来て、箕面有馬電気鉄道会社を興されます。




北摂の池田の田園地帯に住宅地造成を思い付かれる。
サラリーマンが電車で大阪市内へ通う通勤電車の始まり。




宣伝するにあたり、パンフレット制作されたのでした。
明治41年10月、『最も有望なる電車』という冊子を一万冊大阪市内で配布。
問答形式で編まれたもので、文筆得意のなせる技。

人生無駄なことってないのですね。
キャッチコピーもすらすら。

銀行マンとして経済にも長けて資金も集め上手。
そして、電気鉄道のため沿線に発電所もつくられた。



その池田の街は瀟洒な住宅街となり、
ご本人も暮らされたお屋敷は現在小林一三記念館となってます。

梅田のターミナルには百貨店を建てる。




宝塚は昔は大人の男性の遊興温泉だったそうで、それを家族が集える場へ。
うちの子供たちが幼少の頃、宝塚遊園地よく行きました。
既に閉園なりましたが、宝塚歌劇場は今なおファンを集めてます。

こうした現代では当たり前の私鉄経営。
日本で、いや世界で最初を築かれたのが、阪急創始者の小林一三さんでした。


「日本で最も独創的な経営者」阪急電鉄創業者・小林一三が日本で最初に配った"あるもの" 広く社会に事業を公表する

「日本で最も独創的な経営者」阪急電鉄創業者・小林一三が日本で最初に配った"あるもの" 広く社会に事業を公表する

阪急電鉄をはじめとする阪急阪神東宝グループの創始者、小林一三は独創的な経営者として知られる。作家の福田和也さんは「阪急電鉄の前身である鉄道会社の経営を委ねられた...

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (TM)
2022-10-30 10:43:25
我が住んでいる錦糸町が今日あるのは小林一三さんのおかげです。一般庶民に娯楽が必要だと錦糸町駅前に江東劇場をつくり、それが今も楽天地として繁栄しているのです。
高い見識と決断力のあるリーダーだったのですね。
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Unknown (人生は死ぬまでの時間つぶし)
2022-10-30 11:01:51
やはり天才なんでしょう。
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Unknown (ulala うーちゃん)
2022-10-30 21:21:19
TMさんへ
錦糸町界隈は訪れたことないですが、ブログ拝見してて暮らしやすそうに思えます。

雅俗山荘で感じた、雅と俗、両方を汲み取れる人って憧れます。
一流人はいつの時代も通用するんでしょうね、全然古びない。
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Unknown (ulala うーちゃん)
2022-10-30 21:27:01
人生は死ぬまでの時間つぶしさんへ
コメントありがとうございます。
ハンドルネーム、確かに生まれるのも死ぬのも思いに任せぬこと。
いつかはわからぬやがて訪れる時まで、同じ過ぎゆく時間なら、どう過ごしましょう。

小林一三さんは岸信介さんと同時代を生きた逸材ですね。
戦後の日本の舵取り任せられてたら、アメリカの占領下でどうされたんでしょう。
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