旅の5日目早朝からラクダに乗ってサハラ砂漠の日の出を見た後、
ホテルに戻り砂漠体験洋服から着替えて朝食後にトドラ渓谷向けて出発。
エルフードから次の宿泊地ワルザザードに至る街道は、カスバと呼ばれる城壁に囲まれた要塞都市が点在してます。
かつて隊商や遊牧民がラクダで行き交ったカスバ街道です。
アイト・ベン・ハッドウはグラディエーターのロケ地にもなってます。
緑の樹木はアルガンだったことを今にして知る。
アルガンオイルはここ数年、保湿クリームとして愛用してます。
当時聞いたのかもしれないけど、お土産にも買わなかった。
アンチ・アトラスを越え
184km走ってマラケシュへ。
モロッコの縮図と呼ばれるだけあって一番面白い街。
エキゾチックな古都はまた来たいと思った。
今にして、メモ書きしてたアンチ・アトラスって何?
調べてみました。
モロッコの国土を背骨のように走るアトラス山脈。
北から順に
モワイヤン・アトラス(中ぐらいの山脈)
フェズから大砂丘のメルズーガへ
オート・アトラス(高い山脈)
マラケシュからワルザザードへ
アンチ・アトラス(小さな山脈)
南のアンチ・アトラスは定番の旅行先から外れていることもあり、あまりなじみの無いエリアらしい。
山の傾斜が比較的緩く標高も2,000m台、南側なので気候も穏やか。
このあたりの集落で暮らすベルベル人は、山の斜面に段々畑を作ってる。
住居の土壁にじゅうたん干してたり、
地べたに座り込んで歓談してそなグループあちこちに居たり、
広い畑をぽつぽつ歩くねずみ男見たり…
こうした風景が旅情を誘い、モロッコ旅してる~という気分に浸れました。
でも車窓からで、心のシャッター切ってたので写真は無い。
こうした風景が旅情を誘い、モロッコ旅してる~という気分に浸れました。
でも車窓からで、心のシャッター切ってたので写真は無い。
その分時間が余ったので、予定になかったラバトに行きました。この街は首都のはずなのに、そんな大都会じゃなかったですね。実質的にはカサブランカが首都なんでしょう。
ラバトのホテルの部屋に「雪景色の合掌造りの民家」の写真が飾ってありました。白川郷かな。それが印象強くて、今でもよく覚えています。
いつか機会があればマラケシュは個人旅行で自分のペースで廻ってみたいものです。
でも語学だめだし、モロッコまで遠いし、老いは着実に進んでるしもう無理かもしれません。
ラバトのホテルに白川郷の写真、それは目を惹きますわね。
日本の雪深い景色は、砂漠の民にとって憧れなんでしょうか。
こんなところに日本人というTV番組、よく視聴しています。
日本は狭い国土なのに鉄道も網羅してて、バスでしか移動できないというのがなかなか実感としてわきません。
きっとモロッコのアトラス越えもバスしかないですよね?
やっぱり体力とエネルギー無いと行けないな~
ウイキペディアには「本来の意味でのカスバとは、オスマン帝国領下の16世紀において、アルジェの丘に建てられたオスマン帝国の太守の城塞のことである」とありましたが、そこから隣国のモロッコに至る街道がカスバ街道なのかな。
アイト・ベン・ハッドウは、町の建物の跡でしょうか?そこにカスバの女も住んでいたのかな?またもや不勉強ですみません。
ところで、今、BS4で月~金の2時半から「オスマントルコ外伝」パート2やってますが、オスマントルコ最強の皇帝スレイマンとその妃ヒュッレムの歴史ドラマなのですが、史実に基づいたすごい大胆で面白いフイクションで、当時のトルコや周辺国の風俗衣装生活などができるだけ忠実に再現されていますが、庶民の生活や街の風景はほとんど出てきませんから、おざささんには面白くないと思います。この旅行で写してくださってる風景情景は出てこないので。
カスバの女が誰の歌だったか検索したら、
エト邦枝 さんですって、これは知らなんだ。
カスバは土の砦、城壁に囲まれた居住区。
アルジェリアはもちろん有名ですが、モロッコは隣国で隊商が行き交うオアシスを繋ぐ道は続いてますから。
オスマントルコ時代の金銀財宝を集めたのがイスタンブールの旧市街だと思います。
スペインの無敵艦隊時代のものといい、世界のお宝をかき集めたところはすごいです。
見ごたえあります。
グランドキャニオンやナイアガラの滝もすごかったけど、天然のものとはまた違って人的財産の蓄積は見ごたえありますね。