昨日は人権協会の現地研修会でした。
最初の画像どれにするか悩みましたが、
舞鶴といえば岸壁の母ですもんね。
引揚者を出迎える家族が待ち侘びた元地。
昭和25年まで五条海岸桟橋の係留された所だそう。
昼食場所だったレストラン前の海岸で13:19に撮影。
舞鶴引揚記念館から10分くらい離れてたでしょうか。
前に小船留まった突堤みたいな地よりさらに奥で、
画像には写ってませんが舞鶴斜陽橋のすぐ近くに記念館がありました。
8:30出発で、2時間半の予定が遅れて、入館は11:40頃。
舞鶴引揚記念館に入場時にもらった券とリーフレット。
ブログ投稿にあたりよく見たら、中国語バージョンだった🙂↔️
誰のミスか知らんけど、指摘したらパワハラまがいとなる昨今の風潮🫨
記念館の「記」は「紀」なんですね〜
中の説明は一部漢字が同じでも???
けやきの会のガイドさん3人の案内で施設内見学。
1時間満たない滞在でしたが、
自分で勝手に見て回った1回目の見学とは異なり、いろいろ知ることができました。
先達はあらまほしき哉。
順番変えてレポートしますね。
舞鶴では、シベリア抑留者を中心に66万4,531人を受け入れた。
おぉーーこの場所だ!
2月に見学された悠仁さまがTV報道で映ってましたね。
舞鶴引揚記念館に、悠仁さまも - 秋麗(あきうらら)
先日のニュース映像で、悠仁さまが舞鶴引揚記念館を日帰り見学された報道みました。12日悠仁さま舞鶴市「引き揚げ記念館」へ-憂国の花束昭和100年戦後80年。昭和は64...
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帰還を待つ、岸壁の母。
白樺の樹皮裏に残された日記。
煤を墨としてブリキ缶などを利用し作ったペン先で記録残し、
脚のゲートル内に巻き付けて保管されたんだそうですよ。
器用な日本人はスプーンだっていろいろ技巧凝らす。
持ち手が女性のヌード姿は現地の刑務官に人気があって、
これと引き換えに食料多めに貰うとか。
1日パン3枚80g?(数字聞いたけど忘れた)とカップ一杯のスープ。
みな空腹と厳寒に耐え忍んで痩せこけていた。
聴診とかなくて、お尻の肉を摘んだその肉の厚みで選別される、びっくりの身体検査。
空腹と栄養を補ってくれたのが松の実と、白樺の樹蜜だったそう。
シベリア松は零下の厳寒に耐え年輪しまり堅くて重い。
これをシベリア鉄道の枕木として切り出す作業は超過酷だった。
正確な人数はわからないけれど、6万人以上が現地で落命された。
衣類を剥がされ裸体で白樺林に捨て置かれ狼の餌食となったり、、、😰
ウクライナや中東の荒廃した様子も心痛みますが、敵地で収容されても過酷です。
このポスター見かけたので、「舞鶴への生還」で検索すると、
「舞鶴への生還1945-1956
シベリア抑留等日本人の本国への引き揚げの記録」
で、登録された資料は合計で570点、その一部を紹介されています。